ささやかながらの雪がとけ
水が温むと春になる
風は、その訪れを告げるもの
--Interval 雪解けの頃 -
まるで冬の終りのようだ。
スペランツァを出て1日目。
日が沈み、月が昇る薄暮の中、ジューダスたちは今日の歩みを止めることにした。
彼らの世界であればジュノスの少し北になるだろうか。
レアルタの方角である南の山はうっすらと白い気配を見せている。
この世界にも正常な季節があるならば、ここは冬と春の境目とでも言うべきか。
まばらに積もった雪は何度も降り、溶けを繰り返しているかのように円やかを帯び、今も固体から液体へと姿をかえつつある。
今日は陽気がよかったから尚のことだったのだろう。
雪の積もる端から水たまりがいくつもできて、紺色の空を映しこんでいた。
空気が澄んでいて、淡い闇色の景色の中には葉を落とした黒い枝影までが欺かれずに佇んでいる。
風はどこか、暖かかった。
「ジューダス」
火を起こし落ち着いた仲間たちから1人、離れて空を見上げていると背後から声がかかった。
藍色のグラデーションに包まれた空気の中に
が立っている。
「食事、もうすぐできるって」
「あぁ」
その奥にはほの赤い光が岩壁ごしに揺らいで見える。たまたまみつけたごく浅い洞窟に今晩は休むことにして、カイルたちはそちらにいるはずだった。
返事はしたものの踵を返す様子も無いジューダスには構わず、その横をすり抜け水たまりに一歩軽く踏み入る
。
彼を呼びに来た、というよりは自分も外の空気を吸いに来ただけのようだ。
揺れる波紋を覗き、それから空を見上げた。
西の空に残っていた輝光は、今はもう僅かに雲間にダークレッドの色をたゆたわせているばかり。
逢魔が刻、とはよくいうものだ。
西には沈みゆく太陽の残痕、東には月の昇る淡い気配。
暗い朱け色の雲に、仄かな白い光の気配漂う深い紺色の空。
二分するはずの天頂は深い曖昧で、境界がはっきりしない。
辺りの景色も同じことだ。そのくせその影の存在感。コントラストを描き出す空気と色の透明さ。
その人の世から隔絶されたような雰囲気がむしろ、人を惹きつけて止まないのかもしれない。
「ジューダス、ダリルシェイドの春ってどんな感じだった?」
そのまま再び遠くをみやっているとふと、思いついたように
が振り返った。
あまりにも唐突な質問だ。
互いの境遇など興味も無いような、あるいは触れることの無い彼女にしては、珍しい。
過去を振り返れという意味でも、「ダリルシェイド」について聞くことも色々な意味で、唐突で不可解だ。
が、どうやら純粋な思い付きであるらしいことはその顔を見ればわかることだった。
いつになく暖かく吹く風に、心を掠められたかのように。
「…ダリルシェイドについては知っているんじゃないのか?」
「知識上はね。でもわからないよ。…季節らしいものはストレイライズの森で会った後からしか体感してないし…」
記憶喪失。
それが本当なのか嘘なのかわからなくなるのはこんな時だ。
知っているのに知らない。
そんなことが間々ある。
小さく浮かべた苦笑じみた笑みをなんでもないように消して
はわずかに俯いた視線を戻した。
「聞かせてよ。冬の終わりは…やっぱりこんなふうに暖かかった?」
「そうだな…」
ダリルシェイドにも季節がある。セインガルド自体がどちらかといえば四季の変化が富んだ国だろう。
はノイシュタットの桜がいたく気に入ったようだが、ダリルシェイドでも桜は咲く。
季節が巡るたびに、ヒューゴ邸の2階からも桜がよく見えたものだ。
「ダリルシェイドの冬の終わりはもっと美しい。最もここは…この世界は荒れているから比較対象にはならないが」
「でも夕焼けと夜空は同じだよね」
「この時間は特にそう見えるかもな。さすがのエルレインも空や月陽まではどうにもできないだろう」
わずかな沈黙があった。
は話の先を待っている。
「あまり気にかけたことは無かったが…ダリルシェイドも季節の波は大きかった方かもしれん。
雪はそれほど降らないが、桜も咲く。思えば夏もそれなりに気温が上がって風や雨が涼しく感じられたし、秋にはメインストリートの落葉の並木が一種の観
光地化していたしな」
「落葉…観光地化するほどきれいなわけ?」
「お前、見たことが無いのか?まぁ最盛期はほんの2,3日だがな。絨毯のように敷き詰められた葉の色が鮮やかな内は見るに値する」
『そんなこといって…いつもロクに見なかったくせに…』
その通りだ。
おそらく美しいなどと思う余裕はなかったのだろう。
ふと、呟くようなシャルティエの、呆れとも不満ともつかない声にジューダスは刹那考えた。
「紅葉かぁ…木はよくみるけど落ちた方は気付けば茶色くなってるし…敷き詰められるほど普通、イチョウや白樺は密生してないでしょ」
「あぁ、整備されている街だから見られる光景だったかもしれん」
それに落ち葉は大抵片付けられてしまうものだから、その上で積もっている光景などはそう見られるものではないかもしれない。
正直、その辺りの記憶は曖昧だ。
『あれは雨の降った次の日がいいんですよ。一気に落ちるから…あ、でも紅葉の方はその分楽しめなくなるかな』
「…あぁ、そういわれればそんな光景、見たことがあるかも」
『坊ちゃんの記憶にあるのも実はそっちでしょう。真面目に見てないから記憶が混じってる』
「…観光地化してたのは確かだろ」
『それも落葉じゃなくて紅葉並木としてだと思います』
そういわれればなんとなくそんな気もしないでもない。
やはり興味が無かったのか。
雨で散った後は「もったいない」などと誰かが言っていたのも聞いた気がする。
すると自分が見たものは多くの人間が残念がる一方でその死角に降り積もっていたものだったのか。
それにしても「真面目に見る」というのもなにやら可笑しな表現だ。
「どっちでもいい。僕の記憶の話だしな」
小さな溜息と共にジューダスはシャルティエの話をあっさり切った。
「どこが一番お気に入りだった?」
「……。城の中庭か?」
記憶を探って自問するような呟きだった。
「奥許しは立ち入れる人間も決まっているし、静かなものだ。それなりに春夏秋冬の風情が整っているしな」
時間の空いたときは七将軍とも手合わせをしたこともあった。
もうその頃は並の兵士では相手にならなかっただけにリオンにとっては貴重な時間でもあった。
そうして剣を真剣に振るっている間は余計なことも考えずに済む。
当時を思い出したのかふっと、仮面の下でジューダスの唇がほころんだ。
「リオンはダリルシェイドが好きなんだね」
「…なぜそう思う」
「楽しそうに話すから」
「…」
どこがそう見えるのだろう。
我知らずいつもの表情に戻ったジューダスを前に、珍しいものでも見られたかのように
は小さく微笑っている。
「人は自分の生まれた場所に還りたがるものなのかな」
それからそう、静かに瞳を伏せた。
「…お前も、そう思うのか?」
「それが全然思わないんだ。どうしてだろう?」
『ここ』に来る前は、そんなことを考えたこともあったけど。
小さく呟いたその意味は、ジューダスにはわからなかった。
「きっとここが好きだからだね」
「…『ここ』?」
「皆で旅をしている今が」
この変わり果てた現代に来る前にも、彼女はどこかに帰りたがっていたのだろうか。
一瞬そうも思ったが、それを聞いて間違いであることに気付く。
なんとなくではあるが…わかる。
もう帰れないその場所に郷愁を抱いて嘆くよりも、この時間を大事にすることを選ぶ。
だからこそそれが軌跡になって着実に彼女自身と言うものを創り上げてきたのだろう。
「でも、さすがにこの世界は勘弁願いたい」
「そうか。だったら早いところ取り戻さなければな。僕らの世界を」
いつしか濃紺の気配が辺りを覆っている。
もう西空の残滓もすっかり消えうせていた。
変わって星が空に淡く瞬く。
天球全体がほの明るく見えるのは、東の山の向こうに月が出ているからに違いない。
「ジューダスー、
ー!!」
いつまでも戻って来る気配の無い2人をカイルの声が呼んだ。
それでいて呼びに来る気配は無いのだから横着と言うか、それとも近くにいることがわかっているのだろうか。
振り向けばいつしか濃度を増した闇の中、際立つ炎の明かり。
ようやく2人は赤々と岩壁を照る揺らめきへ足を向けることにする。
「ねぇ、ジューダス」
「?」
「私もダリルシェイド、好きだったよ」
そういい残して先に仲間たちの元へと歩む背中を、ジューダスはしばし見送った。
『…こういう気持ち、懐かしいって言うんですかね。』
たまには、いいですね。
シャルティエのほんの少しだけ苦笑を交えた気配だけが余韻を残す。
「まぁ…本当にたまになら、な」
結局のところ、僕はあの街が好きだったんだろうか。
少し考えたが、答えを出すのはやめた。
ただひとつ。
ささやかな喜びも、哀しみも、憎しみすらもあったのは確かだった。あの場所に。
今は無き、麗しの王都────
…ジューダスも暖かな食事のにおいが漂う仲間たちの元へと歩き出す。
ここは気候の境界で、今の時期はまるで冬の終りだ。
けれどここから彼らは「冬」へと向かって歩き出さなければならない。
それでも今は、
吹く風が温かく感じられた。
あとがき**
冬の最中にそんな日があって、ふと描きたいと思いました。
そして、少しだけ「リオン」の話が聞きたくて。
久々に雰囲気重視の話になりました。
