--OverTheWorld.26 虚空 -
「ダイクロフト、か…まさかこんな形で来ることになるとはな」
ジューダスのその呟きはシャルティエに向けられたものなのかもしれない。
再び天から光が降り注いだその時、彼らは天上へとやってきていた。
閑散とした通路。空中都市群として誇っていたその時にはあっただろう人影は全くない。
「選ばれた者だけが上れる」というからにはここに住まう人間の絶対的な数が少ないのだろう。
そこは文字どおり地上からは隔絶された気配で満ち溢れている。
例えば、静寂と、清廉さ。
空中都市と言うよりは天上に浮かぶ神殿だ。
内装もそれにふさわしく、簡素だが麗しく高潔な雰囲気をかもしだしていた。
「空から見下ろすなんて、正に神様気取りだね」
ナナリーにとってはその清廉さが肌に合わないらしい。これが元の世界なら見晴るかすにも美しかっただろう、地上の赤茶けた大地を遥か眼下にそう毒づい
た。
ひたすらにまっすぐな通路を辿っていくと、やがて扉の無いホールが現れる。
その一段高くなった壇上には見覚えのある後ろ姿があった。
「エルレイン!」
「やはり来たか…」
背を向けたまま低く呟く。もう何度も聞いた「輝きの聖女」の名からは想像もつかない冷たい声だった。
彼女にとってはそれすら必然であるのだろうか。依然として静かな気配のその背中にカイルは拳を握って一歩前へ出た。
「世界がこんなふうに変わってしまったのはお前の仕業なんだな!?」
「世界を作り変えたのは確かに私だ」
ゆっくりと振り向くその無感動な視線は全員にそそがれる。
「だが…それを望んだのはほかならぬお前たち人間だ。悩みや苦しみが無い世界、幸福だけが在る、そんな世界を…」
「レンズなしでは生きられないこんな世界が幸福だと!?そんなバカな話があるか!」
思わず叫んだロニの言葉にも動じない。
それどころか彼女は発せられた疑問に応えていく。
無論、投げつけられた言葉は疑問などではなくもはや非難だった。けれど、彼女は答えることが義務であるかのようにただ先を続けた。
「今はまだ過渡期に過ぎない。神がより完全な形で降臨を果たしたとき完全な世界、完全な幸福が現出するのだ」
「完全な形?」
「本来ならもっと早い段階で完全な降臨がなされるはずだった」
ほんの少しだけ、俯いた顔に翳りがさす。まるで憂いを帯びるように。けれどそれも聖女として人々に見せる表情の一面でしかない。
「神の御使いである私が奇跡を示し、人々の信仰を集める。集まった信仰は神に更に力を与え、完全なる形となるはずだった。だが、時が流れてもなお神を
拒むものが存在し続け、降臨した神は十分な力を持ち得なかった」
「どうやら、あたしたちホープタウンの人間のことらしいね」
それだけではない。きっとあの時代、他にも邪魔になる輩は多かっただろう。
例えばそれがアタモニ神になびかないハイデルベルグであったり、自ら改革を断行したノイシュタットであったり、独自文化の元に統合されたアクアヴェイ
ルであったり。
「英雄」の軌跡のある街には希望の力も確かに息づいているはずだった。
「このままでは完全なる神も、完全なる世界もままならない。そう考えた私はレンズを集め神の力を高めることを思いついた。しかしその計画も、お前たち
によってはばまれてしまった」
1トーン落ちた声音に暗い怒りをよどませるエルレイン。表情も詰まされる屈辱か忌々しさか、あからさまではないながら、ひどく沈んだものだった。
「私に残された道は、更なる過去にさかのぼって全ての民が神をあがめる世界に変えること。
結果は見ての通りだ。神への信仰を宿したレンズもこうして大量に集めることが出来た」
「そのために天地戦争を利用したわけか」
仲間たちの間をゆるやかに流れていたエルレインの視線がジューダスに止まる。
臆すること無くジューダスは口調を微塵も変えることすらなく続けた。
「バルバトスを送り込んで天地戦争の結果を逆転させ地上を荒廃させる。そこに救世主が登場し、救いの手を差し伸べる。
救世主は神の恩恵と称して人々の信仰を一身に集める、か。とんだ三文芝居だな」
「せっかく舞台に上げたというのに脚本どおりに動かない役者に何も言われたくはないな」
「………」
仮面の奥で深い色の瞳が僅かに細められる。
「脚本?そんなもの、初めからありえない。未来なんて本来、不定のものなんだから」
その沈黙はどういう意味だったのだろう。
すぐに感情を消してしまったその瞳からは今は何も推し量れない。そんなジューダスを横目に
が静かな、けれど強い怒りを込めて言うと一瞬間を置いてエルレインは微かな笑みを浮かべた。
「不定のもの、か。ならばいかように変えることもできる。そうしたところで、変えられたものは文句など言えまい?それもまたその世界の「未来」なので
あるから」
「そんな馬鹿なことあるかよ!」
ロニが声を上げたが、その真意を
は薄々気づいていた。
決まっていない、けれど誰かしらに握られる運命。
変わったところで、変えられたところでそこから進んでいくしかない。
つまりそれは裏を返せばそれは「決まっている」のだとも言えるのかもしれない。
それは答えの出ない問答だ。
けれど、ひつと確かなのは、誰かの運命へ携わる誰かが確実に存在するということで。
今はそれは神と聖女…エルレインの手に集約されていることに他ならない。
「こんなやり方は間違ってる!歴史を歪め、過去を変えてまで人は幸せになろうとは思わない!」
リアラがついに声を上げた。
「リアラ、お前はまだわからないのか?
どんなきれいごとを口にしたところで消してしまいたいほど辛い過去が誰にでもある。
例えばそう、そこにいるジューダス…
いや、リオン=マグナスのように」
「!」
「リオン=マグナス!?」
を除いた仲間たちの視線が集った。一様に信じられない、といった顔で。それはただ、ひたすらな驚きだ。
「神の眼を巡る騒乱でスタンたち四英雄を裏切ったって言う、あの…?!」
「そう、無念を残して死んだ彼に機会を与えたのだ」
「でたらめを言うな!」
「でたらめかどうかは本人に聞けばわかること」
ジューダスは僅かに俯いたまま。沈黙が流れた。
「なんで黙ってるんだ!!僕はリオンなんかじゃないって、そう言ってやれよ、ジューダス!!」
リオンなんかじゃない…
その言葉に痛みを感じているのはジューダスだけではない。
例え、ジューダスとして認めても、リオンとしては認めない。
カイルの声はそんなふうにも聞こえていた。
そしてジューダスはといえば、カイルの言うとおりリオンであることを否定して通すこともできたであろう。
そうすれば、真実がどうあれカイルたちは彼が「ジューダス」であることを肯定したはずだ。
だが、ジューダスは否定しようとしなかった。
「そうだ、僕はリオン…リオン=マグナスだ」
自ら仮面に手を伸ばすジューダス。
いつかこんな時が来るのではないかと思っていたのかもしれない。
だから、顔を上げた彼の顔には迷いや戸惑いと言うものはなかった。
ただ、わずかな痛みを宿して見えていたのは、
だけであったかもしれない。
「そ、そんな…どうして……!」
うっすらと微笑むエルレイン。
その腕が、優美な動作で、だが素早く天に向けられる。
「神よ!大いなる御霊を今、ここに!!」
「しまった!」
光が、あふれた。
まるで吹き上げられる風に押し上げられるかのように法衣の裾をはためかせ、空に浮かぶエルレイン。
そしてその後ろにある「神の眼」。
その両脇に、無限とも思える奥行きで無数のカプセルが羅列する。
「こ、これは…」
頬に触れるひたりと冷たい床の感触。目を開けたリアラは広がる光景を前に愕然とした声をあげた。
「ようやく目覚めたな。どうだ、新しい世界の感想は」
「エルレイン、あなたは一体何を…!」
戸惑いながら視線を巡らせるとカプセルの中には1人ずつ人間が納まっているのが見える。
眠っている、のだろうか。
知らないその横顔はとても安らかだった。
だが、異様な光景だ。
理解しがたい表情の片割れを安堵させるかのように薄い笑みを浮かべエルレインは彼女の元へと舞い降りた。
「案ずるな、彼らはフォルトゥナの力でただ夢を見ているだけ」
「夢…?」
「現実では不可能なことも夢の中では何もかも思い通りになる。痛みも苦しみも感じることは無い。
これこそが、神が望み、そして人々が望んだ完全なる幸福…」
そこに眠る人々はいつの時代のどの人間なのだろうか。
彼女の手によって作り変えられた人間?
それともはじめからこの世界にいた人々?
それすらもわからない。
ただわかっているのはその無限回廊のどこかに彼女の仲間たちもいるのだということだった。
そして、きっとこの世界には「誰もいない」のだということ。
薄ら寒くなって静寂の中でリアラは声を張り上げた。
「そんなの、まやかしに過ぎないわ!夢の中で幸せになることに、どんな意味があるというの?」
「意味はある。なぜなら彼らは永遠に夢から覚めないのだから。醒めない夢は現実と同じ。そして永遠の夢の中では幸せもまた永遠。
これこそがすべての民を幸福に導く、唯一にして絶対の法」
「…違う、そんなの絶対に間違ってる。カイルたちはどこ!?一体、皆をどこへやったの!?」
答えはわかっていた。けれど尋ねないではいられなかった。
「彼らもまた永遠の夢を見ている。もうお前の声も届かない」
「そんな…」
「お前の声に応えてくれる者はもう誰もいない。
おまえの役目は終わったのだ」
冷たい床へ視線を落としたリアラはエルレインの言葉に、はじかれたように顔を上げた。
まるで悲鳴のように声を絞り上げる。
「終わってなんか無い!」
「永遠の幸福を捨てられるものは無い。人は…!はかなく…弱い…だからこそ彼らには神と神の救いが必要なのだ」
「いいえ、私は信じてるわ、人間の強さを」
聖女2人の視線が真っ向からぶつかった。
思えば、こうして視線をはずすことなく聖女である片割れの…彼女の目を見たのは初めてかも知れない。
先に視線を逸らしたのはエルレインだった。
「仮に目覚めさせたとしてもお前たちに待っているのは悲劇だけ…」
「それでも…!」
きゅっとペンダントを握り締めた。
今度は私が、皆を助ける番。
リアラの祈りは光となって精神世界へとダイブした。
カイルの夢は記憶だった。
ただ多くを望まない幼少の、優しい時。
ロニの夢もまた同じ。
彼の夢にはスタンがいる。
けれどただ昔の時を繰り返すカイルのそれとは違う。
確かにそれは彼の「夢」だった。
消してしまいたいほど辛い過去。
それはスタンが自分とカイルを庇ったがためにバルバトスによって殺されてしまったこと。
そして、それをカイルにひた隠しにしてきた自責。
そう。
スタンは、既にこの世界のどこからも消えて久しかった。
まるで皮肉だ。
死んだはずのリオンはそこにいるのに、スタンはもういない。
カイルはリアラの呼びかけによって今を取り戻した。
ロニとともにその、封じられた記憶を────
ナナリーの夢もまた失われた時だった。
けれど彼女の場合は「今」も交じり合い
当然のようにその隣には弟であるルーがいて、食料の潤ったホープタウンでナナリーは笑顔でカイルたちを迎え入れる。
その矛盾を解いたのはロニだった。
ナナリー自身もどこかでそれが夢だと気付いていたのかもしれない。
彼女の記憶から成り立つ町外れには墓があり
確かにそこにはルーの名が刻まれていた。
そして─────
「ここが、
の夢?」
カイルは風の渡る草原を見渡した。
そこは夢と言うにはやはり例に漏れず現実そのもので、けれど何か変わったものがあるというわけでもない。
豊かな緑、青い空。
程近い場所には森が続き、何度も旅で通りすがってきた世界のどこかの光景、といえばそう見えないことも無い。
けれど、絶えない風は浮き足立たせるようでどこか心が透くような景色だった。
そのままあたりを伺いながら歩いていくと新緑の木々の向こうに唐突に開ける空とその絶景。
その先は張り出した崖になっていて遥か遠くまで見渡せる場所だった。
「うわぁ!凄いや!!」
夢であることも忘れて駆け出したカイル。
「いらっしゃい」
「!?」
はっと振り返ると木陰で腰をかけた
が笑顔とともにカイルを迎えた。
「
!?」
「あ、あたしたちのこと…わかるかい?」
「うん」
あっさり頷くとナナリーたちは顔を見合わせた。
ナナリーの夢で、彼らは同様に笑顔で迎え入れられた記憶がある。
だからそれがどんな意味であるのか図りかねているようだった。
そのせいか、リアラがちょっと考えてからこう聞いた。
「
…ここは、どういう場所なの?」
「どういうって…私の夢でしょ?」
「!お前…わかって…?!」
だから迎え入れる言葉を述べたのである。
明らかに彼女はここがどういう場所なのか理解しているようだった。
「待ってたよ。自分じゃ出られないし」
「…どうして夢だって…気付いたんだ?」
誰だって辛い過去はある。
エルレインの言った言葉は否定は出来ない。
事実、彼らも忘却の心地よさにつかまっていたのだから。
そう聞かれれば、いくつか仮定がないわけではなかったが、その内のどれが正しいのかは
にもわからなかった。
「さぁ…私にとっては「今」しかないから、かな」
「今?」
「本当の意味で過去に戻るって言うことは何も知らない時に戻るって言うこと。だとしたらきっと…私は同じ選択をすると思うから。
そのせいかな。夢を見ても「違う」って思うんだ。眠りかけてもすぐに目が醒めるみたいに…」
立ち上がってカイルの傍まで歩み寄る。不思議そうに見ているその青い瞳を見返してから
は遠くに視線を馳せた。
「だから、とりあえず自分とは関係なさそうな夢を見てみたってわけ」
「それが、ここ?」
「きれいでしょ」
例えればそれは人の不可侵な豊稜の大地だった。
下方に見えるどこまでも続く森からいっせいに鳥の飛び立つ、その雄大な光景。
思わず感嘆を上げたくなるその様に
は満足そうに笑みを浮かべる。
リアルなイマジエーションに遊んでいる、ただそれだけのようだ。
途端にあたりの景色は何も無い空間になった。
夢で遊ぶことをやめたせいだ。既に辺りは漠然とした空間でしかなくなっている。
「聞いておきたいことがあるなら今の内だよ」
夢の中には時間が無い。
だから話したいことがあるなら、とそれだけ言うとロニが躊躇しながらも口を開いた。
「お前…ジューダスのこと、知ってた…んだよな?」
「うん」
「それはリオンを知っていた、ってことでいいのか?」
「そうだね」
「─────スタンさんたちと、旅をした「
」って、お前のことなのか?」
「そう」
「…そっか…」
それ以上は聞かなかった。聞けなかった、というのが正しいのかもしれない。
リオンと同じく18年前の人間がここにいると言うことは、彼女自身も一度は命を失った身であると容易に想像できるから。
元々、「
」の名を知っていたロニにはそのつじつまを受け入れることは難しくなかった。
だが、横でそれを聞いていたカイルは違う。
「父さんたちと…旅してたの!!?」
つい先ほど、その姿を夢で見ていた。
それを振り切るのは辛いことだったし、彼の中で過去の話と今の
を結び付けるまで至らないのだから大袈裟な反応をしてしまうのも無理はなかった。
その唐突な大声に一瞬目を丸くした
だが、何事か思いついたように口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ほら、あれ」
無色の空間が再び鮮やかな色で彩られる。
真っ青な空と海。白い鳥。
そう、指し示されたのはどこかの船の上だった。
その甲板に、見慣れた姿がある。それは
自身に他ならない。
その正面には同じくらいの背丈の黒い髪の少年がいた。
こちらに向けている背には朱色のマント。青いブーツに腰から見事な意匠の施された剣を下げている。服は違ってもその後ろ姿には確かに馴染んだ面影が
あった。
思わず声を上げようと口を開けかけると、すぐ横を通りすがる者がいる。
視界をかすめる金の髪、細く長いマントの端が風を孕んで大きくひるがえる。
「と、父さん…!?」
今度こそ声を上げたカイル。
そこにはカイルの記憶にある姿形とさして時を重ねて見えない若いスタンの姿があった。
だが声は彼には聞えておらずスタンは甲板の先端にいる少年へと声をかけた。「リオン!」と。
振り返るその顔は仮面こそ無いものの確かに、知っていた。ジューダスだ。
波風に髪を遊ばせながら彼らはやってきた仲間たちを迎え入れる。
スタンの隣には確かにそれもまた、よく見知る面影の、気の強そうな黒髪の少女と緑の髪の神官服の女性もいる。
何気ない船旅の中の光景。
「彼」だけは相変わらずそうだったが、みんな笑っていた。スタンもルーティもフィリアも。
そこには夢に見ようと思っても、もはや見ることもできない姿があった。
しかし。
「はい、ここまで」
思わず途切れた光景に「あっ」と未練がましい声を上げてしまうカイルとロニ。
「これ以上見せるとジューダスに怒られるからね。話しだったら後でいくらでも聞かせてあげるよ」
「ジューダスの許可が出たら?」
多分、出ないだろう。
「そうだね」
それでもリアラのいたずらっぽい声にそう答えるとロニが諦めたように溜め息をついた。
「じゃあ、早いとこ助けに行かないとな?」
「そんなこと言ったら怒られるよ」
「ばーか、こんなこと言う機会はない。今の内だ。お前も言っとけ。」
なんというか志の低い発言に思わず笑みが漏れてしまう一同。
だれも彼が「リオン」であることを咎めようとはしなかった。
きっと、あの光景を見たなら言葉にせずとも理解できただろう。
彼も、確かに仲間の一員であったのだと。
