人は弱いから、強くなろうとするのかもしれない
そして強くなろうと思えたその時に、
紛れも無い強さを抱いているものでもあるのだろう。
-- INTERVAL 強さと弱さと--
この極寒の地で野営をすることは大変なことだ。
中隊であるならばともかくキャンプなどはれるほどの大荷物をこの人数で抱えて雪原を渡れるはずもない。
しかし、人は不便であるならなんとか合理化を図ろうとするもので、その代わりに中継拠点となっているのが空からの残骸だった。
天上軍の廃棄物、あるいは天上都市の落下部だ。
「雪中行軍は何度かやったけどよ、これだけしっかりしたものがあるとちょっと心強いよな」
残骸とはいえ分厚い金属の屋根付き(場合によっては床が天上とひっくり返っていることもある)、閉鎖性は雪の斜面など掘って寒さをしのぐより遥かに安
心感もあるというものだ。
地上軍がいったり来たりをするうちにまるで冬山の避難小屋のように燃料や非常食もわずかながらも備蓄されていったらしい。
元々は設置されていたものではないだろう。レンズ製品らしき小型のモーターを作動させればややもして、眠れるほどの温かさにもなる。
「でもこんなに無防備に物、置いといて盗まれたりしない?この時代って物とか全然足りないんだろ?」
「馬鹿ね、一般人がわざわざ雪原に出てくる訳無いじゃない」
「じゃあ、そういう人たちはどこにいるの」
「ラディスロウに身を寄せる人もいれば、朽ちた街に住み続けている人もいるわ。…というか、外には出られないのね。雪原に出ればモンスターに襲われる
か飢え死にするか凍死するか。あんた、用も無いのにわざわざこの吹雪の中、外に出ようとか思う?」
「う…」
まくしたてるように言われて「思わない」と言えば済むのに言葉に詰まるカイル。
そう、人々は細々と過去の残骸の影に隠れるようにして生きている。
ラディスロウにいる民間人はまだ運の良い人々なのだろう。
「街って言うと…レアルタとかスペランツァとか…」
「あら、知ってるのね。1000年後にもあるの?」
「残念ながら」
シン
が改変された現代の街々を思い出しながら名を口にするとハロルドは興味深そうに聞いてくる。短く答えたのはジューダスだった。これ以上未来のことに深入
りするな、という意味も有るのかもしれない。
「レアルタ、っていうとここから近いんじゃねぇの?」
「そうね」
こちらも短くハロルド。
彼女にしては珍しく視線が床を撫でただけでそれ以上言葉が綴られることはなかった。
「…レアルタは大きな都市だったんでしょう?」
今度はリアラが尋く。
改変されたとはいえ一度は目にしているそれは、ドームの町々の中にしてもかなりの広さであったことは記憶にも新しい。
シン
はと言えばその答えを待たなくてもハロルドが次に言うことはわかる気がした。
「えぇ、大きかったわ。だから真っ先にベルクラントの餌食になった」
「…」
先ほどの小さな沈黙の意味を悟って続く言葉を失うカイルたち。
そう、大都市だったからこそ完膚なきまでに破壊され、おそらく天上軍の「支配」を真っ先に受けたのであろう。
無論、人が多いと言うことは逃れた人間も比例して多いのかもしれない。
けれどそれは失われた命も壊されたものも多かったことに他ならず。
「といっても初期の攻撃だから…まだ良かったのかもね。ベルクラントも扱い慣れないせいか、それとも様子見だったのか街もいくらかは瓦礫として残って
る。身を寄せる場所が有るだけ、マシなのよ」
その言葉が暗示するのは他の街は跡形も無くふきとばされた、ということだった。
「ハロルド、レアルタの跡地にはハイデルベルグっていう街ができてるよ」
「
シン
!」
「別にいいじゃない」
唐突に未来のことを語り出した
シン
。ジューダスは止めたが小さく微笑うだけで彼女は先を続けた。
「結局人間て、懲りないんだよねぇ」
続けたと言ってもそれだけだった。
破壊と再生を繰り返す。
生きることを諦める者もいれば、生き残ろうとする者もいるこの矛盾。
例えば、こんな時代でもレンズ製品がすでに普及していたならレンズハンターのような人間は意外に不自由なく暮らせたりもしていたのかもしれない。
ある意味、タフで強かな生物だ。
「そうねぇ…何も生み出さない戦争なんてものだけやめたら、人間も結構いい線行くと思うんだけどね」
そういう彼女らは人間というカテゴリの外から客観視するような物言いだった。
* * *
外に出ても空は見えない。
かといって真っ暗と言う訳でもない。
空がことごとくふさがれているのに、考えてみれば不思議な光景でもあった。
雪がわずかな光…差し込むと言うより元々空と地上の間に満ちていたような昼間のそれ──を、闇の中にぼんやりと増幅させて大気中に放っているようにも
見える。
白い大地が発光しているような光景をみつめながら
シン
は白い息を吐いた。
『寒くない?』
一緒に持ち出した毛布を身を縮込ませるようにして肩口まで引き上げ直したのを見てシャルティエが声をかける。
「まだ大丈夫」
その微妙な言い回しに隣に腰をかけていたジューダスの眉がほんの少し寄った。
どうもモーターの調子が悪いのかそれともそういう仕様なのか密閉された空間はお世辞にも空気が良いとは言えなかった。
火照る頬をさますために風にあたりに来てそのままいつかのように遠くをみつめたままの
シン
。
隣にジューダスの無言の気配を感じてはいたが、ただ居合わせただけなのでこちらもやはりしばらくは無言のままだった。
それぞれの沈黙が落ちている。
しかし、シャルティエの小さな声を皮切りにして、自分の立てた片膝に頬杖をついていたジューダスは意識をこちら側へ引き寄せた。
「お前…なぜハロルドの実験台になど自分を提供した?」
言いたいことはたくさんある。が、その内のいくつかが混ざって言葉として出たのはそんな質問だった。
「…どう言う意味?」
「どういう意味とはどう言う意味だ」
「だから、ハロルドの実験なんかに、っていう意味なのかそれともソーディアンの試験データとして、ということなのか」
確かにそれによって答えは大きく違ってくるだろう。
前者なら戯れでしかない質問だ。
「どっちもだ」
ジューダスは短く答える。
この際、どちらでもいいことだ。いずれにしても核心には向かうのだろうから。
「ん〜じゃあ最初の方からね。あの場合はソーディアンがらみじゃないかなと思ったから。
趣味的な実験台として進んで手を挙げるほど我が身がかわいくないわけじゃないよ」
ぷ、と背中で笑うシャルティエの気配がした。
ジューダスはといえば複雑な顔をしている。
「なぜそう思った?」
「ピンと来た、っていうところかな。今、あの場面にジューダスが立ち会ったらそれが分かると思うよ」
どこか楽しそうな、けれどいつもより遥かに大人しい笑みで
シン
は再び雪原の向こうへ視線を馳せる。
その先は闇に沈んで何も見通せはしなかった。
「ユニットがベルクラント開発チームからもたらされてはじめてソーディアンが「成功」するものならハロルドが早く試したいことなんてそれしかないじゃ
ない」
それはそれで確かに納得はできる。
ハロルドも1人で研究していて煮詰まっていたのだろう。
その壁が取り払われて目の前が開かれたなら真っ先にそちらに向かいたがるのが当然と言うものである。
「それがわかったらお前は進んで手を挙げる訳か」
もうひとつの質問に自然と会話はなだれこんだ。
「そうだね…彼女と私の利害が一致したって事でしょう」
「まるで他人事だな」
ジューダスの言の葉に苛立ちのようなものがちらと覗いたことにシャルティエは気づいていた。
仮面の下ではわかりづらい表情も抑えるような声には如実に表れる。
シン
も気づいたのかジューダスの方に向けた顔には苦笑が浮かんでいた。
「そうじゃないよ。私が必要だから選んだ。そう言ったら納得してくれる?」
「…」
ジューダスは頷く事はせずに顔を背けただけだった。
「いつか言ったよね…人は恐いから力を欲しがるって。私もそれだけなのかも」
呟くような彼女の声に衝かれるように再び顔を上げるジューダス。
その瞳には驚きのような色が浮かんでいる。
毛布に包まれる下で、頬杖をついている
シン
瞳は、すぐ足元をみつめながらも遠い視線に見えた。
恐れを抱いて誰かを傷つけるようなものでなく…彼女が求めているのは先に進むための力だ。
少なくとも仲間の誰が見てもそう思うだろう。
本人だとてそのつもりには違いない。
それでも自分でそうでない可能性までつきつめているなど、思いも寄らなかった。
時折、こうして図り知れない深さを垣間見る。
「力を求めるのは弱さ、かなぁ」
大きく息を付く。
白い吐息は吸い込まれるように闇に消えた。
「手を挙げたのはそういう意味ではないだろう」
「うん?それはまぁ…言った通りだよ。この先、必要になるかな、って」
要は使い道だ。
いつか話した強い力の行きつく先は、そんな結論だった。
だとしたら、何が弱いか強いかは求めた後に伴う結果ではないか。
ジューダスは片手間ながらにそう思う。
『そう思ってるんだったら、やっぱり弱さでもないと思うけどなぁ』
思わずシャルティエが呟いた難しそうな声はしっかり
シン
にも聞えていて、彼女の視線はジューダスの背中の方へと流れた。
「そう?…でも弱いとか強いとか…難しいよね」
「お前はそう思うのか」
「じゃあジューダスはどう思ってるの」
時として単純なことだ。
強さなどその人間を知れば自ずとわかる。
けれど今はそれを明言することが、なぜかはばかられてジューダスは首を振った。
代わりに言う。
「お前、疲れてるんじゃないのか?」
「少しね」
だからだろうか。
いつもより透けるように見えるのは。
いや、むしろそれは時折垣間見え、今に限ったことではない。
例えばそれは、いつも境界に立っていて ふとした拍子にあちら側に踏み込んでしまう、そんなふうに思わせる。
「色々考えてたら、わからなくなってきた」
「…考えすぎるからだろ」
「…ソーディアンをつくること。スタンたちだったら何て言うかな?」
戯れのような質問に、「こちら側」に来ていることを悟る。
ジューダスは笑いもせずにちょっと考えてから答えた。
「喜ぶだろ。能天気なぐらいにな。…同じソーディアンマスターになったと言って」
「それ、もの凄くわかりやすいね」
「だろう?」
そうしてようやく薄い笑みを口の端に浮かべた。
彼らにはカイルたちとは違った強さがあった。
カイルたちが「世界のために世界を守ろう」というならスタンは…特にルーティは、と言うべきか…「自分のために世界を守る。文句があるのか」と言った
感じなのかもしれない。
結局は世界という言葉が、自分の大切なものの在り処であることを指すということを知っている分、大人だった、と言うことだろうか?
もしかしたら、旅を始めた当初から彼らには守りたいものがあったからなのかもしれない。
例えば、家族。
例えば、生まれ育った場所。
例えば、自分の信念。
今となってはいずれも憶測でしかない。
「とりあえず…」
どう言う意味なのか、視線を外したジューダスはそこでおもむろに小さな溜め息をついた。
シン
は大人しく続く言葉を待っている。隣に居るジューダスを見る形になるため僅かに首をかしげるようにして。
「もう、こういうことは金輪際やめろ」
「…」
それが何を示すのか、
シン
は理解したようだった。
言葉そのものがどうということではない…彼がそう切り出した意味自体を、だ。
証拠にいつもなら笑みと共に折り返し尋ねるところ、それをしようとはしなかった。
誰にも言わずにソーディアンの実験へ素体を提供することを決めたこと。
彼女の中でもそれは大きな決断で、故に仲間に対する引け目でもあったのだろう。
跡になって思えば、これは後にも先にも彼女のしでかした最大の出来事であろうが…
シン
は微苦笑を浮かべて目の前に広がる白い闇をみつめた。
「わかった。…とりあえず、当座の間はね」
「なんだその当座と言うのは」
「カミサマを倒すまでは…もう勝手なことはしない。約束する」
それが深い、それこそ底の知れない発言のようでジューダスは胸をつかれる想いだった。
それが一瞬、無意識に外に出てしまったのだろう。その紫の双眸は掠めるほどの痛みを宿して細められた。
一度も、話していない。
「もしも」この歴史を修正したらどうするのか。
「もしも」エルレインを止めて…いや、結局は止められずにフォルトゥナに挑むことがあるならどうするのか。
「もしも」フォルトゥナを倒したら、その後は───
むしろ、それはまだ現実味を帯びてはいない。
神はふたりの聖女に中立だ。
だからエルレインを止めることが出来れば…それで全ては終わるはずだ。
そう言い聞かせる一方で、それでは終わらないという警鐘めいた予感。
だからこそ誰にも話してはいないのに、まるで見透かされたようだった。
ただ、自分に向けられる、深い静かな闇色の瞳はその奥にいつもの輝きを宿しているのを彼は見た。
「それとも神に誓った方がいい?」
「…馬鹿か」
全く。
言葉遊びにふっと表情を緩め、短い溜め息を漏らすジューダス。
「神になど誓う必要はない。自分に誓っておけ」
『坊ちゃんてば…要は一言言ってやらないと気が済まなかった訳ですね』
背中から小さく笑うような声に囁かれてジューダスの眉は仮面の下で寄せられた。
それも、おそらく間違いではない。
「ごめん。でも先に話したら絶対反対したでしょう?」
「…わかったから…もうこの話は終りだ。決まったことをあれこれ言っても仕方あるまい」
「…」
「だから、必ず成功させる心意気で向かえ。
ユニットの生成は…おそらく心理状況にも大きく左右される」
それは心の強さを映し出すものだから。
よそ事を考えなどしてはいけない。
憂いなど、不安など抱かせてはいけないのだ。
だとしたら、そうさせないのは仲間である自分たちの役目なのだろう。
まっすぐに
シン
をみつめて言うと、応えるように同じ視線が返ってくる。
ほんのわずかな間…先に口元をほころばせたのは
シン
のほうだった。
「わかった。────ありがとう」