お前が代わりに、泣いてくれたから。
--OverTheWorld.43 残滓 -
水に投げ込まれた石に揺らめく波紋のように、
世界は揺れて気づけばそこはハイデルベルグだった。
「全部、終わったのかな、これで」
「バルバトスも倒したことだしそう思いたいところだな」
「…………」
せっかく着いて来たハロルドには申し訳ないが本当はそうであればいい。
元どおりの世界、ほとんど流れていない時間。
安堵の言葉を交わす仲間たちの声を、ジューダスと
は黙って聞いている。
とにかくウッドロウに会うことになった。
こちらの時間では、レンズ奪還の任務に出たままだ。
その行方を報告する必要があった。
相変わらず、瓦解の爪痕の生々しい玉座の間での報告を済ますと、レンズは海に沈んだものの誰の手にも渡ることがないであろうという結末をウッドロウは
幸いとした。
労い、何も出来ることのない代わりに今晩は部屋を用意してくれるという。
城内は荒れ果てたままの場所もまだあるが、あるだけの部屋を開放してくれた。
暖かな寝床に、料理。何よりも見知った世界である安堵感。
今晩は誰もが惰眠をむさぼることだろう。
束の間の、安寧。
ハイデルベルグの淡い斜陽が紅を帯びて西の尖塔越しに差し込む。
ジューダスは窓辺に佇み、物思いにふけっていた。
小さなノックがして答えるとドアが開く。
珍しく仮面をはずしているにもかかわらず、彼は部屋に鍵すらかけていなかった。
1人部屋だから、といえばわからないでもないが相手も確認しないで答えるのも珍しい。
椅子に腰掛けたままゆるやかに振り返ると
の姿があった。
部屋もまた、夕闇に沈む狭間の時間を受け、淡い西日に包まれている。
から見ると橙色になずむ景色に、まるで彼の姿は幻か、過ぎ去った記憶の中の光景のようだった。
おそらくは、鋭利なまでの辣腕さとも、冷徹さとも無縁の表情はありのままの彼であることを伝えてくる。
「少し、ここにいてもいい?」
じっとただみつめられて、
は苦笑しながらそれだけ言った。
「好きにすればいい」
そして、再び窓の外に首を巡らせからゆっくりと窓辺に肘をついた。
はソファに移動して腰を下ろす。
何をするでもなく、同じように外を、それから遠くを見つめるジューダスを眺めた。
そんな顔をしていると思った。
けれどここへ来たのは自分もなんとなく落ち着かなかったからだ。
思い描いた彼の様子は自分の心理を投射しているだけなのかもしれない。
じっと視線を落とすようにして、手元を見つめる。
けれどどうしても見えてしまうのはもっと遠くだった。
部屋は暖かく…何よりも平和であることとそのぬくもりが余計に倦怠感を増し、研ぎ澄まされた鋭さを奪っているようだった。
「長かったね」
「…」
「でも、ここではほんの少ししか時間が経ってないんだから…不思議」
ジューダスから返事は返ってこない。
あれ以来、口数が減ってしまった。
無理も無い。
積み重ねてきた時間が違うのだ。シャルティエを失った痛みは彼にとって大きなものであるはずだった。
同じだけど違う。
そんな痛みを覚えたまま
もまた押し黙って瞳を伏せた。
沈黙のおりる薄暮の時間。
光は徐々に霞んでたゆたう大気を淡く見せている。
先に沈黙を破ったのはジューダスだった。
「そんな顔をするな」
物思いに沈んでいた
が顔を上げるといつのまにかジューダスはこちらに向き直っている。
いつからそうして見ているのだろう。
それがわからないほど感傷に浸ってしまっていた自分が少しもどかしい。
彼の瞳にはいつもの怜悧な光が多分に戻っていた。
けれど思慮深い瞳はやはりどこか奥底に深い寂しさを刻んでいて…
残滓を受けて深い色の瞳は淡く、優しいすみれ色に染まっていた。
「ジューダス…」
「これで、良かったんだ。シャルもそう言っただろう」
名前を言うことを避けていた。
言えば必然的にそれが寂しさになってしまうから。
それに。
本当はまだ、どこかでひょっこりとあの声を聞くことができそうで。
口にしたら、本当にもう会えなくなさそうで。
案の定、押さえ込んでいた気持ちが溢れてくる。
けれどジューダスはむしろ、踏ん切りをつけたようにはっきりとそう言った。
シャルティエを他でもない自らの手で神の眼に沈めたリオン。
シャルティエにしてみても突然の別れであったろう。
けれど、彼はソーディアンの仲間の元に還った、とも言える。
正史では果たせなかった…選択によってはリオンとともに迎えることもあったかもしれない結末を、迎えた。
ソーディアンの一員としてシャルティエは役割を果たすことができた。
もちろんそれ以上に、リオンをマスターとして思いやる気持ちもあったろう。
シャルティエもまた、過去の仲間や任務より18年前に今のマスターと共に歩む道を選び取っていたのだから。
そのためにあの選択を享受し、役に立てたのなら彼にとっても幸せなことなのかもしれない。
いずれせよ今は推測するしかない彼の最期が、満ち足りていたことを祈るばかりだ。
「そんな顔をいつまでもしていては心配する。だから、もういいんだ」
わずかに俯いたその顔をつややかな黒い髪が覆う。
久々に見る彼の素顔。
これほどの旅をしても変わらない。
「シャルは…満足してくれたかな?」
「そうだな。お前が泣いてくれたから…」
そこまで言ってなぜか彼は口をつぐんでしまう。
それからもう一度、空を見上げた。
リオン=マグナスのその顔で。
お前が泣いてくれたから、僕は泣かずに済んだんだ
「そっ、か…」
見上げる空は薄闇。
いつのまにか消えてしまった残滓の空には、宵闇の明星が光を放ちはじめていた。
* * *
はナナリーと一緒の部屋だった。
客間は続きで、目がさめるとリビングでロニやジューダスとも会うことになる。
カイルとハロルドの姿はなかった。
リアラに言わせるとハロルドは昨晩から出かけたままらしい。
昨晩、夕食の時に図書館のことを教えたら興味津々だったのでそちらに入り浸ってしまっているのかもしれない。
「で、カイルは?」
「わからないのか」
ジューダスはいつもと変わらない調子で淡々と言ってのける。
寝坊して起きて来ないというだけなのは誰もがわかっていることだった。
「あ、私、起こしてくるわ」
まだ強引に起こすにしても早い時間だったので、無理だろ、と言ったロニの予想を覆して
カイルはそのまま起き抜けでリアラとデートに出かけていった。
「いいねぇ、初々しくて」
「…くぅ、まさかカイルに先を越されるとは!」
あっさり起きたことにかそれとも2人揃ってデート宣言と共に出かけたことにか不覚にも呆然と見送ってしまったロニは今頃拳を作って唸っている。
微笑ましい様子で早朝の散歩に出て行くのを、帰ってきたふられマンが冗談半分本気半分にからかうことになるのはまた後のことである。
「それほど言うならお前も出かけてきたらどうだ?」
「な、何だよ急に」
「ナナリーと行って来ればいいだろうが」
「なんでこいつと…!!」
「そうだよ!あたしだってごめんだよ!!」
「やかましいから行ってこいといってるんだ」
…ジューダス、やかましくさせたのは今のジューダスの一言だよ。
ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てはじめた2人を前に心底鬱陶しそうなジューダス。
は黙って甘味を加えたモーニングティーを飲んでいる。
朝、甘いものを取ると脳が覚醒する感じだ。
そこへハロルドが帰ってきた。
「おっはよー!」
「おはよう。ハロルド、どこ行ってたの」
「どこって、図書館よ」
やっぱり。
「図書館〜?一晩中か?何読んでたんだよ」
「一概に何とは言えないわね。目ぼしい物はほとんど読んじゃったし」
「ほとんど!?ありえないだろ!」
「ま、アホのあんたじゃ無理かもね〜」
アホじゃなくても無理だろが。
それなのにロニはと言えば、ムキになってしまった。
「言ったな!?じゃあ左から4番目の棚の上から2段目、右から7冊目の本の250ページにあった内容を言ってみろ!」
「ほーい、『レンズ科学読本』の第3章、エネルギー効率と純度の集積率について。なかなか面白かったけど目新しいことはなかったわね」
「ぐぎっ…こうなったら直接確かめて…!!」
「…そんなこと言って、どこの本の何ページの話だったか覚えてる?」
「う…っ」
「自分の言ったことすら覚えられないヤツが天才と張り合うな」
ジューダスに止めを刺されてぐっと言葉すらないロニ。
ついでにだまってお茶を差し出すと一気に煽ってその熱さに自滅していた。
「で、ハロルド。未来を知った感想は?」
「文明が衰退しているせいか牛歩の歩み、ってとこかしら。でもこの国が作った図書館じゃ視点が偏ってるだろうから…できれば他の国の資料も見てみたい
ものだわ」
「…」
ハイデルベルグは大きな国だがどちらかといえば新しい技術より古き時代を踏襲している。
おそらく文明や歴史と言う点ならば、セインガルドがもっとも先進的で客観的な資料を有していたはずだ。
それはジューダスが良く知っている。
しかし、そのダリルシェイドは瓦礫に埋もれたままだった。
今思えば、18年前はセインガルドを中心として世界は文明再興の最盛期であったに違いない。
皮肉にもそれはオベロン社の力あってのことであるが。
「未来、っていうより違う世界みたい」
「そっか…俺たちからすれば1000年前は想像なんてつかないことばっかだったし、そういうものなのかもしれないな」
「あ、でもモンスターとか生き物は同じだし…進化が見えて面白いわ♪早くもっと温暖な方にも行ってみたいわねぇ」
「どうして」
「さすがにこの気候だと虫が居ないわ。雪国なんてちょっと私たちの時代の延長みたいだしね」
「虫マニアかお前は」
取り留めない話で盛り上がる。
ろくに眠っていないだろうにどういう身体をしているのかハロルドは自分の時代から持ち出した小さな端末…解析君弐号改(ネーミングのセンスも微妙)を
開いて今度は何かしらの計測を始めている。
はそういった光景を見るたびにレンズ内蔵の製品は動力コードも充電もいらなくて便利だ。などといつも思ってしまう。
むろん無限の動力と言うわけでもないのだが。
「何調べてるんだい?」
「大気中の成分の観測よ。何か、…匂いが違うのよね」
「はぁ〜天才様の考えることはわからんなぁ」
ナナリーとロニは早々に飽きたらしい。
雪と氷に閉ざされた時代に生きたハロルドにしてみれば、それは新鮮なことだろう。
天才だから、ではなく無味無臭の部屋に居た人間が草原に放たれれば薫る風の香りに気付くのと一緒だ。
ハイデルベルグは雪の街であるがあの時代に比べればはるかに刺激の多い世界であると思う。
「空気が甘いんじゃない?あの時代より」
「む。そういわれればそうかも知れない。純粋な大気としての成分は荒廃以前の記録と大して変わらないわね。最もあの時代の空気が汚染されてたわけだし
元に戻った、ってとこか」
なんとなく相手にしている
と、真面目にモニターに向かっているハロルドを横目に、ジューダスは運ばれてきた朝食に手を伸ばした。
「なぁ、このあとどうすんだ?」
口に物を入れながらロニ。
育ちが滲み出る瞬間だ。
「このまま終わり、…なわけないよね」
ナナリーは、ロニより深刻そうな顔で口調を渋らせた。
それは誰もが抱いている危惧だった。
歴史改変を防いで世界が戻っても…世界を守っても、終わりではない。
むしろ振り出しに戻ったと言うべきだろうか。
かといって次にすべきことも今はわからない。
「いずれにせよエルレインとは決着をつけねばならないだろうな。次の手を打ってくる前に」
「でもよ、リアラは全然そんな深刻そうな顔してないだろ?」
「うん。あたしもひょっとしたらこのまま…なんてこともあるのかなぁ〜なんて思ったりさ」
先ほどでかけていったリアラは、これ以上ないくらいに血色も良く、笑顔をふりまきながらカイルと出て行った様子はただの少女のそれだった。
それを見ればこの先に起ころうとしている災厄を考えられはしないだろう。
「あの笑顔が逆に曲者って気もするけどね」
片手間に観測しながら朝食をとるハロルドの傍らからソファに戻ってきた
はそう言って柔らかなベルベットに腰を沈める。
食事はテーブルについてしているため必然的にジューダスたちをちょっと見上げる形となった。
「どういう意味だよ」
「何も終わってない、ってこと」
そう言って空を見上げる。
雲が低い。今日は天気が崩れそうだ。
尖塔に掲げられた旗が大きく波打つように揺れている。風も出ているのだろう。
リアラのあの笑顔は最後に向けての決意のようなものだ。
彼女は、神がどうあるべきかおそらく結論を出している。
その為に自分の身がどうなるのかも考えが及ばないはずはない。
けれどそれはジューダスと
にとっても無縁の話ではない。
何を思っているのかジューダスは表情を隠すように顔を伏せ、ロニとナナリーは顔を見合わせた。
「2人の聖女、かぁ…いまいちわかんないのよね。ここの歴史書にも当のカミサマに直結するようなことなんて載ってなかったし」
「あぁ、フォルトゥナはいわば新しい神だからな。詳しいことなど僕らぐらいしか知らないだろう」
「ハロルド、結局自分の時代じゃ何も聞かなかったもんね。この時代に来たんならもういいでしょ、詳しく聞いておく?」
「そうね、おいおい教えてちょうだい」
天地戦争時代では、「神の使徒に逆らっている」くらいの認識しかなかったハロルド。
リアラが聖女であること自体、口にする必要もないので進んで教えてはいない。
ここに来る前はただの「協力者」だった(しかも自らしゃべるなと口止めまでしている)故、仲間となった今でも会話から人間関係を察することは出来ても
その根拠となる相対関係までは全く知らないと言う恐るべき事態がここに出来上がっていた。
「いつまでもふらふらしてないでさっさと朝食を済ませろ」
テーブルの上のスープが冷めてしまうとジューダスが
に声をかける。
それで
はようやく食卓に着いた。
「でも、せっかく戻ってきたんだからしばらくはゆっくりする時間が欲しいよねぇ」
「贅沢な願いだな」
「いや、そんなことないだろ?考えてみりゃ前にのんびりできたのっていつだ?」
ロニは記憶を辿り、この街に来たのが最後だったと探り当てる。そして言った。
「ハイデルベルグに入ってからこっち、ゆっくりした覚えがねぇな」
それは英雄を探す旅。
雪を当てあい、冗談を交わしつつ気ままな時間をこの街を訪れるまでに送った。
ハイデルベルグからは、エルレインに未来に飛ばされ砂漠を渡り、戻ってきたかと思えば今度は消えたリアラを探しにストレイライズの神殿へ。
飛行竜に乗り込み決死の覚悟でレンズを沈めてみたら今度は荒廃した現代と来たものだ。
その上天地戦争で苛烈な戦火を潜り抜ける羽目になったのだからそろそろ骨休みもしたいというものだろう。
長い、道のりだった。
「でもそう言われるとホープタウンでも結構ゆっくり出来たかな」
話のわからないハロルドに時折経過を説明しながら
はスープにスプーンを運ぶ。
部屋には暖炉の火が入っているから冷たいと言うほどではなかったが、
生ぬるい感触にやはりこれくらいは暖かいうちに口にすればよかったと思う。
「あぁ、あたしがカイルとリアラを連れて行ったときだね」
「暑かったけど時間はたっぷりあったし…」
「馬鹿が怪我をしたときだな」
「───まさかここで責められるとは思わなんだ」
そういえばそんなこともあったと思いつつ乾いた笑いを浮かべてみるとロニが明後日を向きながら顎に指をあてがってまじまじと真顔で呟いた。
「そういわれればそうだな。あの時は、誰かさんがいないおかげでゆっくり出来た、俺の最後のオアシスだったかも…」
「だーれーのことだい?ロニ?」
「い、いや別に誰とは…誰とは言ってねーだろ、うぎゃぁ!!やめっ…!吐くっ 戻す!!今食ったばっか…」
「ちょっと…本気でやめないとインブレイスエンドをかますよ」
食事をしている前で騒がれて眉をひそめながらそう言うとぴたりと動きが止まる。
思わぬ威力だ。
「だからとっとと食ってしまえと言ったんだ」
溜息をつくジューダス。
再び、フォークを口に運ぼうとして…
「?」
違和感を覚えて
は手を止めた。その正面でジューダスもつられたように
の顔を見る。
なんだか判らない。が、酷く眩暈のようなもの感じて
はフォークを取り落としそうになった。
「おい」
「!!何これ!?」
いつもと違う様子に身を乗り出しかけたジューダスはふいのハロルドの声に素早く振り向く。
そこにはモニターに釘付けになった彼女の姿があった。
「な、なんだ?」
ロニの声はハロルドへの問いかけとともに彼自身の感じた異常も表すことになった。
一瞬ではあるがその時、全員がぐらりと視界が揺らぐのを感じ取っていた。
「エントロピーが異常な速度で増大してるわ!このまま行くと…やばいかも!」
「やばいって何が!」
自然、ハロルドの周りに集まるようになる。
モニターを覗き込んでも小さな画面に踊るアルゴリズムが何を意味するのかはわからなかった。
「判りやすく言うと、時間の流れがとっても不安定になってるってこと!」
「不安定って…」
「あ、元に戻ったわ…」
一度は聞いたロニに視線を向けたもののモニターに目を戻したハロルドは現れた波形を前にどこか拍子抜けした声を上げた。
わけがわからず顔を見合わせる。
「とにかく、カイルとリアラを呼んで来て!」
そう言われてロニは慌てて城の外へと出て行った。
