今まで通ってきた道も同じように消えていくだろう。
それでも、今は前に進むほかはない。
泡沫のような世界の中を、手探りで。
それが、ここにいた何よりの証────
--OverTheWorld.47 白に消えるもの -
未来から戻った場所はイクシフォスラーの格納庫だった。同じ地の底でも全く違う。
自然の暗さが、状況に拍車をかけるように辺りを取り巻いていた。
「帰って来たのはいいとして、問題はこれからどうするかだが…」
埒が開かないと踏んで、戻るよう促したジューダスは、ちらとカイルを見て小さな溜め息をついた。
「…」
「やれやれ、肝心のカイルがこの調子じゃな」
「無理もないよ、落ち込まない方がどうかしてるさ。あんな話を聞かされた後なんだから」
「カイル…」
見るからにどうしようもない彼を気遣うロニやナナリー。
方やジューダスはといえば何事か考えていたようだったが、決めたようにはっきりと告げた。
「しかし、だからといってこのまま手をこまねいていても何も変わりはしない」
怯えたようなカイルの視線が少しだけ上がった。
「エルレインは「神の卵」を衝突させるつもりだ。何があろうともな」
「…ジューダス」
「カイル、おまえがいくら悩んだところで事実は変えようがない。お前が決めなくてはいけないんだ。
この世界をどうするのかを、リアラをどうするのかを」
「おい、お前…!」
ロニが耐えかねたようにジューダスに詰め寄る。
感情を排除したような声は、カイルを思いやるロニの神経も逆なでしてしまう。
胸倉をつかんだ手は辛うじて止まったが、震えていた。
「…お前は、リアラの英雄だろう」
「…!」
その手に構わずにジューダスは再びカイルに顔を向ける。
その意味は、おそらく深い。
彼女がカイルを英雄として選んだ理由、それからここまで真実を告げずにいた理由、おそらく全ての答えがそこにあるはずだった。
「どうすれば…いい?」
迷ってはいる。
が、ジューダスの言葉でたどたどしくも前に進む道を模索し始めるカイル。
瞳は揺れてジューダスをすがるように見返したが彼は首を振った。
「言ったはずだ。どうするかはお前が決めることだ」
リアラの英雄となったカイルだからこそ迫られる決断。
カイルが決めなくとも道はおそらく決まっている。
けれどもしも決めない時に、彼は他の誰かがリアラを消すのを黙ってみていられるのだろうか?
そんな選択もまたあり得ない。
ジューダスは分かっていながら突き放すように口を出そうとはしない。
けれど、背中を押している。
誰が気づくでもなく自分で選ぶことのできるように。
「英雄…そうか、英雄だ!
この世界にはたくさんの英雄が居る。フィリアさん、ウッドロウさん、それに母さんも!!」
わずかに考え込んでいたカイルは突然に顔色を変えて背筋を伸ばした。
「あの人たちなら知ってるかもしれない。こんなとき、どうしたらいいのか、どうするべきなのかを…!」
「なるほど、英雄の先輩からアドバイスをもらおうってわけか。悪くないぜ、そのアイデア」
「いいね、行こう!ここでじっとしてたってなんにもならないしさ」
何にもならない。
カイルに決めろと言いながら彼らは行く道を知っている。
「なら、足はこいつを使えばいいわ」
ハロルドはきっちりと所定の場所に戻っているイクシフォスラーを指差して、中に入っていく。
壊れた天井からまばらに降る粉雪をくぐるように抜けて全員が搭乗を完了した。
そして、はじめに訪れたのがハイデルベルグ。
今の今まで吹雪いていたのだろうか、まだ昼下がりであるにも関わらず、いつになく人通りはまばらだった。
城門の前まで来ると、ジューダスはふと足を止める。
「ジューダス?」
「お前たちだけで行ってこい」
「会わないの?」
そう聞いたのは、他でもない
だった。
彼女から発されるにはお門違いにも等しいセリフ。
「お前もだ」
そういったのは、1人にすると臆面もなく顔を合わせようとする上、何を言い出すかわからないからだ。
今の言い草がそれを如実に物語っている。
正体云々の予防である意味はわかっていても、珍しいお誘いに
は進んで乗ることにした。
それでまたジューダスは複雑そうな顔をするが、背を向けてしまった彼女にはわからないことだった。
「じゃあ、行ってくるね。適当に時間潰しててよ」
英雄に助言を、と決め込んでからはなんとか前向きになったカイルが城の中へ消えるのを見送って
とジューダスも踵を返す。
と、いってもどこに行こうというでもなく彼らは城の脇の通路を通って記念公園へと足を運んだ。
…雪は止んでいるのに人っ子一人いない。
ジューダスはなんとなく自らの選択を誤った気分に陥っている。
人がいないのは別に良い。
むしろ、その方が気も楽と言うものだ。
しかし──その先へ進むための道もまた、雪に埋もれて消えていた。
城の前の通路の雪はかかれていてもここまで手が回らなかったのか、突然に道は終りを告げ、眼前に広がる公園はだだっぴろい雪原と化している。
それ以上行けません。と暗に言われているようなものだった。
それなのに。
「…うわ、こうしてみると広いねぇ」
「待て、行くな」
行こうとする人間が約1名。
なんとなく感じた危惧が現実になる前にとりあえず、止めた。
「なんで」
なんでと言われても。
「僕に言わせればなぜわざわざ踏み込むのか理解できん」
「なぜって…」
道がないから?
そんな(どうしようもない)答えも返ってきそうだったが、彼女はいくつかある内から他の答えを選ぼうとしているようだった。
そして、選ばれたのはもっとしょうもない答えだった。
「足跡、つけたくならない?」
「ならん」
即答。
ついでに言えば無駄な労力だ。
「じゃあ…少し落ち着いて話でもしようか」
と
の視線が向かった先は、公園の端に設置された雪除け屋根のある休憩所だった。
「寒そうだけど。それともどこか店でも入る?」
「そこでいい」
今更、というようにジューダスは小さな溜め息と共に先に雪を踏みしめる。
新雪の踏みしめられる感触がこするような音と一緒に土の上では有り得ない振動を伝える。
昼を回っているせいか切るような寒さはなく、ただ漠然と大気が広がっているようにも思えた。
「ウッドロウ、何話してるかな」
「あとでカイルにでも聞けばいいだろ」
「まぁそうだけど」
腰を落ち着けたものの、妙な沈黙が降りてしまう。
おそらく場所のせいもあるだろう。
平地に設置された屋根の下と言うのは視界も狭く、視線を馳せる場所も単調だ。
まして、この雪一色の風景では。
風の無い中、再び舞ってきた雪の破片に、ジューダスはなぜか溜め息を漏らしてしまう。
視線は遠くに行きかけたところで隣でじっとみつめている視線に気がついた。
「何だ」
その射干珠(ぬばたま)の闇色の瞳は笑わない。
それはまじめな話をしようとする前触れ。
「…そろそろ、私も決めないとかな、と…」
「何をだ」
わかっていながら、尋いた。
おそらくここで話さなければ話す機会はないだろう。けれど、なぜ今なのかとも思う。できれば、言葉にしたくないのも正直なところ。
しかし、そうしなければ始まらない。終わらない。
ジューダスは、カタコンベで聞いたその言葉をなぜか思い出した。
「ジューダスは…もう、決めてるんでしょう?」
それは疑問と言うより確認だ。
ジューダスは、首を振る代わりにその瞳をまっすぐに見返した。
それは決意の表れ。
神を殺したその時に消えるのはリアラだけではない。
もしも、神を消すことで歪んだ時の流れが修復されると言うのなら…
自分も、消える。
当然の可能性だ。そもそもこの世界こそが夢現、泡沫の
ようなものであるのだから。
エルレインを止めること。
それだけで済むのなら…それは訪れることの無い可能性で済んだだろう。
けれど、そう都合よく事は進まない。
引き返せないところまで来てしまった。
ジューダスにとってその可能性は、カイルたちとともに行くと決めたあの悪夢の中で形になり、同時に確かな決意にもなっていた。
それがはっきりと浮上した今、ジューダスとして成すべき事を全うするつもりの彼は他の誰に告げることもなくこのまま黙って行こうとしている。が、
についてはそうもいきそうになかった。
そもそもは、彼女も自分と同じ運命を辿らなければならない者である。
18年前、道を決めた時と同じように覚悟とは別の場所にある、心残り。
それはそういったものだった。
は、沈黙が何を意味するか知ってふっと笑みを漏らした。
どこか寂しそうに。
「いつもそうだね、覚悟と望みは別の場所にあるのに」
「…僕にはそれ以上の望みなんて無い」
「そう?覚悟、っていう言葉はそれだけで望ましくないことに対して使われるものじゃないの?」
「…」
の言うことは的確だった。
例えば死を覚悟する、ということは命と引き換えにしてでも成さねばならない事柄を示す言葉であって、その後に訪れるものを決める言葉ではない。
事実、リオン=マグナスはそうして大切な者のために謗りも罵りも受けることを甘んじた。
その先に、何があろうと…それが死であろうと生であろうと享受する。
それは、そういう意味なのかもしれない。
初めて、気づく本当の意味。
いや気づかないようにしていただけなのか。
それはあまりにも、叶えられがたい願いであるから──…
「まぁリオンらしいと思うんだけど」
「なんだ、人の生き方にケチを付ける気か」
含みを感じて、いつになく辛辣な言葉を吐くジューダス。顔は冗談ではないことを物語っている。
できれば触れて欲しくない、いや、絶対に触れられたくない話題でもあった。
も、それがわかっているからこそ今まで一度も取りざたしたことが無かったのだ。自分がそれに巻き添えをくう形で命を落としたのだとしても。
「ケチじゃないってば…」
淡く白い滲んだ光の中で思わず苦笑する
。そうするしかない。
「ただ…私は───」
は遠くを見る視線で正面の白い空間に顔を上げた。
「貴方に命を落として欲しくなかったんだよ」
「……」
重なる願いは痛切で…
はじめて言葉にして告げられたそれは何よりも深く心の奥に突き刺さった。
自分の行動に対して、願いを口に出すことの無い
自身から聞かされる望みが、それほど重いものだとは思わなかった。
それでもジューダスには、いつもの通り振る舞うことしかできない。
ただ一度の深い息と共に彼は呼吸を整えた。
冷たい空気が肺を満たして代わりに空に散るのは白い吐息になる。
「今更…だな。それに、僕たちの行く先はどこまで行っても同じだろうに」
「そう、同じ…なんだよね」
そして口を衝いて出たことを後悔する。
自分の身を案じている彼女。おそらく、先ほどの願いは18年前から未だに続いていることで過去に対する感傷などではないことをジューダスは感じ取って
いる。
自分たちは、死者ではない。
こうして生きているのだから。
だからこそ、その行く手を安易に決め付けるのは酷というものだ。
18年の時を越えた今でさえ、自分が引きずられるようにしてどうしようもない終りに向かう。それが仕方の無いことだとしても。
消滅へ向かうことを厭わない自分。
それでもその先へ向かうことを望む
。
願いと行く手は必ずしも同じではない。18年前のあの時と同じように…
だがしかし、隣にいる
から漏れたのは小さな笑いだった。
顔を上げると、予想に反して…と言うべきかそれとも案の定と言うべきか、いつも通りの顔がある。
無表情ではないが何を考えているのかわからない顔だ。
などとジューダスは何か予感めいたものに駆られた。
そんなジューダスなどお構いなしに
は立ち上がって一歩二歩と離れる。
白いコートの裾がまるでスローモーションのように翻るのを視界の端に捉えながらジューダスはその背を追って更に振り仰ぐ。
細雪はわずかに密度を増し、暗くない空とあいまってさらさらと音を立てながらまるでノイズのように背景を遥かに霞ませている。
幻のようにおぼつかないその先に
は足を踏み入れ、ジューダスも立ち上がった。
ジューダスが声をかけるより先に涼しい顔で振り返る
。
「そろそろ行こうか」
「……だから、そっちには行かないと言っているだろうが」
降り来る雪を当然のように浴びながら結局は「むこう側」に抜けようとする様子にジューダスは思わず眉を寄せる。
こうなるとここで腰を落ち着けたのもこうするための布石に見えるのは考え過ぎか。
白く霞む漠然とした中に身を置きながらも無論、彼女はそんなことで退いたりはしなかった。
「来た道を引き返してもつまらないし。ほら、こういうところは突っ切ってみた方が楽し…」
「別に僕は楽しくない」
それで、どうやらこの広大な公園(積雪約15cm)を縦断するつもりであると確信する。
「そんなこと言わずに…」
「そんなガキくさいマネは僕はしないぞ」
ジューダスが腕を組んでふいと横を向くと不満の声が返ってくる。
はちょっと考えていたが結局は無駄な論争を続けることにした模様。
「なんで?楽しいじゃない。誰の足跡もついてないんだよ?」
「それを僕に言ったところで僕が納得すると思っているのか?」
やや呆れ。
「…ほらあそこまで」
それでもめげずに
は降る雪に霞む遠い出口を指差した。
記念公園の石碑がある。
それから雪をかぶった薄墨色に滲む獅子の彫像。
雪に紛れて見えるのはそれくらいだ。
「もう少しだけ…一緒に歩こう?」
そうして余計なことに気づく。
先ほどの、自分の発言に対する粋な彼女の返答に。
残された時間はあまりにも少ない。
だが、そうして自分たちは一緒に行くのだろう。
例え行く手が霞んでいても
もう、引き返すことなど出来なくとも
ジューダスは心の中でひっそりと負けを認め、大仰に溜め息を吐いて屋根の下を出た。
さくり、と新雪を踏む感触が再び足元を沈ませる。冷たい雪が頬に舞い触れた。
それは仕方が無い、といった風であるけれど
にしてみれば満足のいくことだったらしい。
背中を向けて遠くを見やるも、ジューダスが隣に並ぶのを待って再び歩き出す。
汚されない雪の大地に残る足跡…
漠然と、白く幻のような広大な景色を眺めながら点々とつけ進む。
この世界に比べればあまりにも小さな証を。
それは彼らの軌跡を辿るようにして降り来る雪に、次第に影を淡くする。
「ついたそばから消されているぞ。それでもいいのか?」
「また付ければいいんじゃない?」
彼女の返答はどこまでも粋だった。
「…それに消えても、ここを歩いたことには変わりないよ」
それでも
は、構わないと言うように来た道を振り返って笑った。
