信じつづけること
約束…するから
--OverTheWorld.49 「英雄と呼ばれる者」2 -
クレスタの街の奥、少し離れた敷地にその孤児院はあった。
【デュナミス孤児院】
看板に描かれた名前は、この孤児院の経営者のものではない。
「資質」を意味する言葉だった。
「あらっ、カイル!おかえり!どうしたの急に?」
中庭を越えて入り口に差し掛かると思いがけず中から先に声がかかる。
とりあえずここまではと一緒に来ていたジューダスは顔を隠すように俯き、
の背を押しやった。
向こうを向いてろ、ということらしい。
久しぶりに聞くルーティの声は、確かに彼女のものであったけれどずっと落ち着きに満ちて聞こえた。
ジューダスに言わせればあの時はかなりのじゃじゃ馬だったのだから、これでも普通の女性に比べればまだまだおしとやかさには程遠いものであるが。
「母さん、オレ…」
我が家に戻って気が緩んだのかそれとも母の顔を見たせいか、カイルの声はわずかに震えていた。
「はは〜ん、あんた珍しく何か悩んでるでしょ?」
水仕事をしていたのかルーティはタオルで手を拭きながらやってきて戸口に歩み寄ったカイルの前に来て、顔を覗くようにして言う。
「えっ!?ど、どうして…」
「自分じゃ気がついてないんだろうけど、やたらと鼻の頭を掻くんだもの。父さんも同じクセを持ってたからね」
わかりやすい人々だ。
「父さんが…」
それで思い出したようにカイルは表情を沈ませ、それから決めたように庭の方を振り返った。
「みんなゴメン。ちょっと、はずしてもらえるかな?」
「あぁ、わかってる」
その言葉はジューダスにとってみれば幸いでもある。
まっさきに庭先に植えられた広葉樹の木漏れ日を踏みながら、彼は背を向ける。
がそれに続くとロニとナナリーも顔を見合わせるようにしてカイルに向かって一つ頷き、同じ方向へ歩いていった。
「どうしたのよ?」
「聞いて欲しいことがあるんだ」
リアラは一足遅れて小さく駆けるように、ハロルドはマイペースに、それぞれ仲間の背中を追って小さくなる姿を見送ってカイルはルーティに向き直る。
真剣な眼差しをする息子にルーティもまた、微笑みを消してまっすぐに見据えた。
スタンと同じ、青い瞳。
ここを出たのはほんの少し前なのに、なぜか妙に成長して見えるそれを。
「わかったわ。…ちょっと来なさい。」
そして、ルーティはカイルを外へと誘う。
道々に話す、これまでの経緯。
ルーティが旅に出ている間の様子を聞けば当然、話が当の問題に辿りつくにも時間はかからなかった。
それから、スタンの行方についても。
はじめは聞かれていたことにぽつりぽつりと答えていたカイルが次第に自ら語り出し、溢れるように繋がれた言葉が途切れた頃、彼らは街外れの森の小道を
高みに向かって辿っていた。
「そっか、思い出しちゃったんだ。父さんが殺されたってこと」
ルーティは、優しい笑みを浮かべながら少し困ったような顔をした。
「あの日のことだけ記憶から抜けてたから、ロニと相談してあんたには話さない方がいいって…良かれと思ってやったことだけど、かえって傷つけたのかも
しれないね。ごめんね、カイル」
「いいんだ、そのことはもう…」
うな垂れる息子の肩を叩いて再び歩き出す。
風が清かに木々を揺らす。その度に木漏れ日はさざめいて穏やかな日差しを2人に投げかけた。
潮の香りが金の髪を吹き揺らす向かい風に乗って流れてくる。
木々に覆われていた視界が晴れた。
その先は、セインガルドの海を臨む場所。
名もない墓碑が風の渡るその場所に…見晴るかす崖の上に立っていた。
「これ…」
ルーティはその前に立って遥か遠く海の向こうを見る。
吹き上げの風が黒い前髪を大きく揺らしている。
カイルは母の背中に声をかけた。
「父さんの…?」
「…あんた馬鹿ね」
しかし返って来たのは妙に呆れた顔だった。
「旅に出たことになってる人間にお墓なんかあるわけないでしょ」
「馬鹿って…だって名前がないじゃんか!」
「これは私たちの仲間のお墓よ、18年前に死んでしまった…」
ジューダスと
だ、カイルは悟る。
2人は海で死んだと言っていた。
ルーティの瞳はふっと寂しそうに翳ったが再び遠くを見る目で遥かに霞む水平線を振り仰いだ。
その視線の先には2人の消えた場所があるのだろうか。
「でも、あんたが、まさか世界の命運を決めるほどの英雄になるなんて、思わなかった。
血は争えないってことかな。ふふっ」
目的の場所にたどり着いて、ようやくルーティは話の核心に触れる。
ここへ連れてきたこと、その意味はわからなかったが…ルーティにとっては大切なことなのだろう。
ルーティは、ひとしきり笑ってからふと笑顔に影を落として瞳を伏せた。
「でもね、英雄なんて…うんざりするほど人間よ。私もスタンもそうだった」
「うん、わかるよ…」
今ならわかる。
世間で謳われるルーティと、彼の知るルーティは違う。
リーネで聞いたスタンもそうだった。そしてリオン=マグナスも…
何一つ、知らないということをカイルはこの旅で知った。
それから、英雄と呼ばれるものが自分の思い抱いていたそれとは大きく異なるものであることも。
「母さん、オレ、自分なりにいろいろ考えてみたんだ。でも、どうしても答えが見つけられなくて…」
「あんたの探している答えは、あたしは持ってないわ。それがあるのは…ここよ」
ルーティはそっとカイルの胸に手を当てた。
暖かいぬくもりがじんわりと、染みるように伝わる。
「あんたの胸の中にしか、その答えはないわ」
視線を落としているとふいに引き寄せられる。
いつにないほどに、強い力で気付けばカイルは抱きしめられていた。
「か、母さん!?」
「カイル…つらいよね…苦しいよね…
大好きな人を自分の手で殺さなきゃいけないなんて…!」
声が震えている。
何を重ねているのだろう。
ぬくもりを感じながらカイルもまた、震えるような想いが込み上げて母の背中を抱きしめた。
「でもね、カイル。やっぱりあんたが決めなきゃいけないの。それは、あんたが英雄だからじゃない。あんたが、あの子を好きになったから」
「母さん、オレ…!」
「辛いのはあの子だって同じ。だから、あんたが決めるの。ビシッと男らしく!どんな結果になろうと、あの子はあんたを信じてくれるわ」
口調が緩んで、それは紛いもないことを伝えてくる。
カイルは大きな答えを得たようにルーティの肩口に顔を埋めるようにして何度も頷いた。
「うん…うん…!」
「なかなかいないわよ?自分のことを、そこまで信じてくれる人は。
だから…大事にしてあげなさい。
勇気を出してカイル。あんたなら大丈夫。
だって、あたしと父さんの子でしょ?」
緩やかに放たれる。
顔を上げてカイルはそこに、いつものように力強く微笑むルーティの姿を見た。
同じように笑みを返されるのを待って、ルーティはそっと彼の肩を押す。
「さ、それじゃ先に戻りなさい。みんなが待ってるわ」
「母さんは?」
「もう少しここにいるわ。なんだか、色々思い出しちゃったしね」
「うん、わかった」
「カイル…すべてが終わったら、またみんなでいらっしゃい。ここで待ってるから…」
森の小道を孤児院に向かって駆けて行く息子の背を見送りルーティは空と海とを振り仰ぐ。
「あたしたちも、あんたを信じてる。そうでしょ、スタン…」
呟きは風に乗って、海の向こうへ紛れて消えた。
* * *
「────だ、そうだよ」
「…ふん、何のことだかわからんな」
木々の後ろに、もうひとつの黒い影と白い影。
ここへ来たのはたまたまだ。
盗み聞くつもりもなかった。
海を眺めているとやって来た来訪者がルーティたちと知って身を潜めたら、こうなった。
は腰を下ろして背中を木の幹に預けたまま傍らのジューダスを振り仰ぐ。
緊迫して身を隠すというより、なんとなく聞いていた、というような気分で上げられた顔には木漏れ日が落ちて、少しだけ眩しそうに
は瞳を細めた。
穏やかで、僅かに悪戯心の含まれた顔。
ジューダスもまた、立ったまま同じ木に背中を預けるようにして素っ気無く答える。
わかっていながら素知らぬ振り。
はっきり言って欲しいのだろうか。
いや、彼に限ってそんなことはないだろうと思いつつ、
は仮面の下から有らぬ方向へ向けられた深い色の瞳を覗き見る。
「やっぱり、スタンは約束を守ってくれたみたいだね」
「…」
それは以前に聞いている。リーネでの話だったか。
は膝を抱え込むようにして足元の新緑に触れた。
おそらく今が一番いい季節だ。
そよぐ風も、緑の木々も全てが優しく涼やかだ。
は伸び伸びと柔らかな葉を指で鋤くようにしてつまみ上げてみる。
今でもあんたを信じてる。
誰のことかは、言わなくてもわかる。
スタンだけじゃない、ルーティもフィリアも同じなのだ。
今でも、彼を信じてる。
リオン=マグナスを。
18年後にして知る真実。
柔らかな空気になれていないジューダスは、むしろ居心地が悪いように落ち着かないようだったがやがて、長いため息と共にその事実を認めたようだった。
「18年経っても…相変わらずおめでたい奴等だ」
ハイデルベルグで彼は持てるものの多くを、仲間も、友人も失ったといっていたがそうではない。と
は思う。
会えないだけで、今もそれは変わらないのだ。
そして…先ほどから少しひねたリアクションがまるでジューダスではなくリオンと言う人のそれに見えて
はおかしくなった。
膝を抱えたまま笑っているとジューダスは不愉快そうに眉を寄せただけだった。
