いつかどこかで───
また、会おうね
FinalACT. Thank You For Your…
薄いグラデーションの闇は進むたびに姿を明らかにしていく。
そして、通ってきた道はまた闇色に沈むのだった。
電子光の走るパネル、美しい黒曜石の回廊、幾何学模様を刻む壁、様変わりを見せる神殿のようなダイクロフトを進む先に…
扉が開かれるとそこは、異質の空間だった。
「こ…れは…」
「人間…?」
それはいつか見た、エルレインの居城…そう奇しくも「ダイクロフト」の光景に酷似していた。
無数のカプセルの中に横たわる人々。眠っているような横顔。
しかし、違うのは彼らには呼吸と言うものが見られないことだった。
「し、死んでる…?」
土気色の顔色は、すでに失われて久しい命であることを示している。
神の聖女の居城と似たような光景でもかかわらず神聖な場所、というよりもどこか闇を孕んだ光景だった。
一様に姿は完全ではなく、中には体の一部が欠如しているものや白骨化しているものも見える。
吐き気さえ催す光景。生々しさを直視してしまったため思わず口元を押さえてよろめいたがなんとか崩れずには済んだ。フィリアは耐え切れずに膝を折って
しまったが、ウッドロウが腕をすくい上げている。
「…生きてはいないようだな」
損傷のなさそうなカプセルを覗き込んでリオン。
微妙な言い回しだ。生きてはいないが死んでもいない。確かにそんな様子にも見える。
よく見るとカプセルにはコードがついていてどこかで見たようなやわらかい光が時折行き来している。
光は鮮烈さよりふうわりとしたものでそれが生き物のように透明なコードの中を蛍火のように通りすがっていた。
『これは…』
クレメンテが渋い声を上げる。
『どうやら蘇生のための施設のようじゃの』
「蘇生!!?」
『おそらく地上から吸い上げたエネルギーが流れ込んでいるのでしょう』
イクティノスが淡々と言葉を重ねた。
人間を蘇生させるほどの技術力をミクトランは有していると言うのか。いや、この状態では蘇るものが人間とは限らない。
『スタン、壊してしまえ!』
「やめたまえ」
嫌悪感を込めて叫んだディムロスの声をさえぎるようにして響いたのは、彼らにとっては忘れ得がたい男の声だった。
「ミクトラン!」
振り返れば奥の闇に、いつのまにかミクトランが立っている。
明るい色のローブと金の髪は、夜空に浮かぶ月のように否応無しに闇に映えた。
その口元に優美ともいえる笑みをたたえて静かに瞳を細める。とうてい暴君などと言う形容は似つかわしくない立ち居ではある。
「それを壊したところでどうにもならんよ。それとも、同じ人間であるのに死者を愚弄する気かね」
「あ…」
人間、と聞いてカプセルに向かい合っていたスタンの手の表情に躊躇が走る。
死んでいてもこれは人間なのだ。
そう聞かされて直接手を下せるほどモラルの低い人間はここにはいない。
しかしその言葉に烈火のごとく怒りを植えつけられたのはソーディアンたちだった。
『同じ人間!!?お前たちはその同じ人間を虐げてきたのだろう!』
「私は地上人を同じだなどとは思っておらんよ」
『なっ』
破綻した論理だ。ただ、棲み分けをしただけの人間がどう違うと言うのか。暗く光った瞳には狂気の色が浮いていた。
「決着をつけよう…ふさわしい、神の眼の前でな」
ミクトランはそう言って淡い闇に掻き消えた。
いつか来た場所。
ソーディアンたちにとっても因縁深い場所でもある。
カーレル=ベルセリオスが散った場所。
オリジナルメンバーが死闘の末に戦争を終結させた、その場所。
神の眼はあの時と同じ、王の間にあった。
「こんなことをしてなんのつもりよ!」
神の眼は強大な光をたたえて胎動している。
コモンレンズと同じ透明な外周に守られるようにして中央には深い紫色のまるで人工的にカッティングされたような見事な多角形のコアがある。
それが、内側で動きを見せるたびに光は複雑に反射して常に自ら輝いている。
ミクトランは悠然と見上げていた背中にルーティの声を浴びて笑った。
「天上の民を蘇らせるのだよ。治めるべき民のいない王ほど滑稽なものはなかろう?」
「地上の人間を代償にか。同じものを作り上げて一体、どれほどの意味があるというんだ?」
「意味ならある。汚らわしい地上の民などいらぬ」
『愚かしい…お前だとてその地上の人間と同じ血を引いているのではないか!』
ディムロスの罵倒を聞いてもなお、彼は口元をゆがめていた。
私は、人などではない
小さく呟くその声は神の眼の放ったスパーク音により誰の耳に届くこともなかった。
「遥か古の時代、戦争を始めたのは地上の民だ。当然の犠牲と言ってもいい」
『天地戦争を、まだ続けているつもりなのか!』
「そうだ。あの戦争に真の勝者はいなかった。だが、これで全ては…終わるのだ。そして、始まる」
『狂っている…』
微笑む美貌の王に薄ら寒ささえ覚えながらイクティノスの声がゆがめられる。
「同じだろう。地上と天上は、互いの言い分を主張しているに過ぎん。もはやそれも終わるが」
『あぁ、そうだ。終わらせるために我々はここに来たのだからな』
ディムロスが唸るように低く宣言する。
チャキリ、と誰からともなく鞘なりが聞こえた。
神の眼を中心に半円状にコアクリスタルの輝きが取り巻き、ミクトランは冷たい頬に笑みを浮かべると空を撫でるようにして手を挙げる。
その手の内には黒刃の大剣が握られている。
『ベルセリオス…!』
呼びかけるディムロス。
反応はない。
赤黒いコアクリスタルは初めてベルクラントで見た時同様、沈黙していた。
代わりにミクトランの背後で神の眼が強烈な波動を発する。
プレッシャーはグレバムと戦った際に受けたものより格段上だった。
風が生まれ、ミクトランの動く後を追う。彼は片手でベルセリオスの長躯を頭上にかざすと、素早く振り下ろし…
見えない刃が空を裂いた。
「きゃあ!!」
「…くっ!」
それだけで後退を余儀なくされる。ソーディアンのコアクリスタルが一瞬煌いてマスターたちの身体を不可視の晶力が庇護した。
スタンとリオン、一歩遅れてウッドロウが床を蹴る。ルーティは反撃に備えるべく回復晶術の詠唱をいつでも発動できるように距離をとった。
フィリアの詠唱は続いていた。大技を放つつもりなのだろう。間隙を埋めるつもりで
シン
は敢えてソーディアンを使わない詠唱速度の軽い晶術を放った。
「フリーズランサー!!」
氷の刃はスタンたちの機動力を上回りまっさきにミクトランに踊りかかった。
天上の王がふ…と小さく笑うと神の眼がスパークする。
バチリ、と音を立てて晶力は派手に四散した。
「虎牙破斬!!」
スタンの一撃が頭上から襲う。ディムロスとベルセリオスは甲高い音を立てて組み合ったが薙いだ衝撃波は続いたリオンに容赦なく襲い掛かった。
すかさず一歩横に飛びのく。
「どけ!」
着地と同時に魔人剣が放たれる。衝撃波が薙ぎ、返す刃で二連続、これはリオン、オリジナルのものだ。
スタンが離れると入れ替わりでヒットしたが微風でも流すようにミクトランがローブを払うと霧散する。そこへ斬り込んだウッドロウ。イクティノスの鋭い
突きを繰り出したが刹那、ミクトランの姿が消えた。
「どこを狙っているのかね」
神の眼の力を使っているのか、人間としてはありえない形で中空に踏み留まっている。
無防備に下ろされたベルセリオスの無機質なコアクリスタルが鈍く光った。
「ブラックホール!」
闇色の圧力がのしかかる。
視界の右側にいたスタンを狙っていたそれは、1000年前の戦いで瓦解したままの柱を飲み込んで虚無に消えた。
強大な力を目の当たりに焦りを浮かべて「くそっ」と罵る誰かの声が聞こえた。
「どうかな、かつての同胞の力は」
「どいてください!インデグネイション!!」
長いフィリアの詠唱が、待っていたようにもとの場所に落ち着いたミクトランのふいをついた。
落ちるのは神のいかづち。
まばゆい閃光が玉座を覆う。
だが、それが消え去ったその時…破壊された玉座への階段の上に、ミクトランは今現れたかのように無傷で立っていた。
「うそ…」
『あやつ…神の眼の力を繰っておる…!』
『強力なエネルギーフィールドはそのせいですか』
さすがにグレバムとは違うのだ。
稀代の科学者にして天上の王でもあるミクトランは、神の眼の制御する術を身に着けていた。
本来、同質のレンズを核とするベルセリオスもそうしてコアから力を引き出されているのかもしれない。
「破る方法は!」
『刹那でいい、上回る力で崩すしかありません!』
「結局は力技か」
コツリと歩を踏み出したミクトランに反応して「シャル」と声をかけ詠唱に入るリオン。便乗するように
シン
も詠唱を開始した。
「ミクトラン!」
「…何!?」
スタンの奥義が渾身を込めてもう一度打ち込まれる。
拮抗を崩し、組み合ったディムロスはぎりぎりと競り勝とうとしていた。
「デモンズランス!!」
「ディバインセイバー!」
ミクトランを標的として上級晶術が放たれる。
時として、正反対の属性の攻撃は思わぬ効果を生み出す。互いの属性を打ち消しあうなどそれこそ微妙なバランスの下にのみ出来る芸当だ。それに気遣わず
最大出力で放たれた光と闇の晶術は反作用で大爆発を起こす結果となった。
「ぐあぁぁっ!」
ついに上がるミクトランの悲鳴。離れたウッドロウとルーティもそこへ持てる限りの晶術を叩き込む。
神の眼がオーバーロードを引き起こしかねない強大な磁場が刹那、王の間から音に対する感覚を失わせた。
「どうよ!!?」
「…まだだ…虫けらども…死ぬがいい!!」
爆発の余韻の向こうに見えるミクトランの姿。
その口調は明らかに余裕を失ったものでもある。しかし、次に待っていたのは耐え難い重圧だった。
『神の眼のエネルギーが集約しています!』
『ルーティ!防護晶術を!!』
「虚無の彼方へ去れ」
ベルセリオスが三度、発動しエクセキューションの波が空間を揺るがす。
全員が間違いなくターゲットに入っていた。
ミクトランは先ほどよりは憔悴した表情で虚無的な笑みを満足そうに浮かべる。
だが、その目が次の瞬間、忌々しい色を帯びて鋭く細められることになる。
「ソーディアンの力、舐めないで欲しいね」
アトワイトと水月の防護晶術によりその術は阻まれていた。神のラストヴァニシャーに比べたら威力・時間ともに軽い。
まだ、十分余力はあった。
「そうか?怪我はなくとももう満身相違のようだがな」
「さすが最強のソーディアン。ベルセリオスの力がこんなに凄いなんてね」
引き伸ばせば多少休む間が与えられる。ミクトランの言うとおり晶力は全員枯渇気味だ。あと2,3回なら防御はできそうだが肝心の攻撃が届かなければ、
持久戦は不利だった。
何か、決め玉があればいいのだが…
ソーディアンの力は個別に強すぎてまとめて制御するには難しそうだった。
何か…
何か、決め手になるものがあれば。
「そうだ、だがそのベルセリオスですら我が前には屈服したのだ。もはや抗う術はない」
ミクトランが皮肉げに手の内に宿るベルセリオスへと視線を落とした。
その時だった。
言い放ったその手元で ふん、とバカにしたように鼻を鳴らす声がした。
『あんたは兄貴の仇なのよね』
「何?」
『この私があの時、考えついたことがわかる?1000年もかけるなんて壮大な計画よ』
ふいに手元から響いた確固たる意思の存在にミクトランの顔色が変わる。
『私はこの時を待ってたのよ!!』
「ぐあぁ!!!」
バリッ!!
ミクトランの制御を離れたベルセリオスから闇を薄めた紫電が散る。
たまらずにミクトランはベルセリオスをかなぐり捨てた。
床を滑るベルセリオスにすかさず
シン
はとびついてすくい上げた。
「ハロルド!」
『
シン
!今よ、放ちなさい!!』
意志は言葉になって流れ込んでくる。
ハロルドのあの詠唱。
開始した詠唱は追う様に重なり、自分でも信じられないほど早いものだった。
それはまるで、歌。
『「失われし数多の意思よ…』」
神の眼の力が一瞬、流れを変える。
そう、水月には場に溢れる晶力を一時的に転用する力がある。それは対フォルトゥナ用にのみ考案された機能である筈だった。
『「迅く、我が元へ来たれ』」
重なる懐かしい声、朗々と続く詠唱にミクトランは阻害の手を伸ばすがそれもスタンたちの手によって阻まれた。
この詠唱には時間がかかる。彼らはそれを稼がなければならないことを知っていた。
『「まばゆかん無数の流星』」
「邪魔をするな!」
「きゃあ!」
身を呈して前に出たルーティの悲鳴。ハロルドの、
シン
の詠唱は止まらない
『「我が心を映したまえ」』
神の眼が呼応するように大きく唸りを上げた。
『「我が旅に終結無し、されど煌くは蒼き大地!』」
オーバーロードにも似た光が神の眼から、そしてベルセリオスのコアクリスタルが鮮烈な光を放つ。
『「彗星の皇妃、彼の者に粛清を!!』」
レンズの光が青光となってはじけた。
『「クレイジーコメット!!』」
さざめく大気。降り来る星の矢。
空間は大きく歪み刹那、闇色の時空が辺りを飲み込んだ。
訪れるのは光、光、光。
白い闇に全てが塗りつぶされてしまう直前に、ミクトランはひどく忌々しげな表情で皮肉めいた笑みを浮かべた。
「お前が…私を消し去るのか…」
それは長らく拠り代にした、ベルセリオスに向けられたものだったのかは定かではない。
光が収束すると、うそのように静けさが戻る。
そこには倒れ伏す一人の男の姿があった。
長い金の髪が床に波打って広がる。
神の眼の力を使い、人であることを捨ててしまったその男にはわずかにまだ息があった。
『天上の王も、こうなってしまえばただの人間だな』
あっけない幕切れに呆然と足を運ぶ。
玉座の前に集まると、どこか気の抜けた声でディムロスが静かに呟いた。
地上人とも天上人とも変わらない。
ただ、少しばかり時代を誤って生まれてきてしまったのかもしれない。この世紀の科学者は。
「…」
もはや何も映さないだろう瞳がわずかに揺れて「空」を見上げた。
「あなたはやり方を誤った。民の居ない国など、在り得ない。
空からの王国で、一体何を望んでいたの?」
シン
はその疑問をぶつけてみた。返事が返ってくるはずもない知りながら。
何を…
何をだろうか。
光を失う王の瞳。
その口元はなぜか笑みを浮かべていた。
* * *
『さーて!これでやることやったし、すっきりしたわ〜』
ミクトランが息を引き取り数巡の沈黙を叩き壊したのはそんな軽い一言だった。
厳ついベルセリオスからは想像もつかない声に、スタンたちは度肝を抜かれて言葉もなかった。
その次に出てのは「…ベルセリオスって…男じゃないの?」という呟きだった。
『ハロルド、お前…』
そんなことはおかまいなしに、こちらも呆気に取られたようにディムロス。1000年ぶりの再会にしてはいささか感動に欠ける第一声だった。
けれどディムロスの問いかけには様々な意味がある。
そのひとつ…敢えて言うなら「生きていたのか」という言葉をすくい取ってハロルドは軽く応じた。
『神をも倒すこの私があれくらいのことで屈服するわけ無いでしょ?』
あれくらい。
それはカーレルの死のことを言っているのだろうか。
冗談でもそんなことを言うとは思えないのにあっけらかんというその声が今更ながらに痛々しかった。
でも。
ハロルドなら超えられるはず、いや
シン
たちと共に旅した彼女は確かに乗り越えていたのだからここは笑ってやるべきなのだろう。
今更ながらに、彼女も全てを思い出したのだと実感しながら
シン
はベルセリオスの黒い刃に視線を落とした。
『どういうことなんです。ハロルド、あなたは先ほどずっと待っていたと…』
論理的な説明を求めてイクティノス。そう、生きていたらしいことがわかってもその他が一向にわからないのはソーディアンにとっても一緒だった。
沈黙を守り続けてきた彼女に対する疑問の声は尽きない。
『だから、仕返し』
「「『『は?』』」」
『兄貴が殺されちゃったから、敵討ち』
…………………。
ディムロスの堪忍袋の緒が切れるのはわりと早かった。
『ハロルド!お前というヤツは!!それでミクトランは好き放題やっていたんだぞ!』
『しょうがないでしょ〜?確かにあれからミクトランが一緒に居るの黙ってたけど、事実、コアはちょびっと破損してずっとスリープモードだったのよ。そ
れにミクトランだって天才なんだから、私が計画を立てようが立てまいが大して変わらなかったわよ』
…。そうだろうか。
アトワイトがはぁ、と大げさにため息をついてそれでも一応あきらめ気味に訊いてみる。
『…反省してるの?』
『してない。初めから、覚悟してたことだもの』
どんな犠牲が出ても。
世界がたとえ危機に陥っても。
やると決めたらとことんやる。
ベルセリオスがミクトランの手に落ちていた諸悪の根源(?)はハロルドの壮大な「仕返し」の計画。
天才の考えることはやはりわからない。
ただ、その天才ゆえの狂気が同様に天才と称されたミクトランと同調したことは否めない。
正気と狂気はいつだって紙一重だ。
軽い口調の裏でハロルドにも思うところはあった。
ミクトランがいることを承知の上でちょっと眠っているだけのつもりだったのに
長い間、意識を放棄してたなんて。
私としたことが。
1000年前と変わらぬ仲間たちに囲まれ、すべてをやりきった充足感の中でそれだけは不満だった。
名前を呼んでくれた。
彼女がいなかったら、どうなっていたことか。
『
シン
、あんたに感謝ね』
「ハロルド…。また会えてよかった」
ようやくソーディアンの会話の輪からハロルドは
シン
へと意識を向けた。
もう、記憶が戻っていることは明らかだった。
時間はあまりないけれど、少しだけ話をしよう
『私もよ。おかげでみんな思い出したわ。時間の理論ももう少し突き詰めて見たいけど…このカッコじゃ無理かしらね』
ふーむと本気で考え込んだ雰囲気に相変わらずだと苦笑がもれる。
「このタイミングで出てくるとは…さすが天才は訳が違うな」
『そうよ?当たり前じゃない。しっかしあんたも相変わらずねぇ…』
リオンが
シン
の隣に来て皮肉を言ったがあっさりかわされた。
『私が、あんたの運命まで巻き添えちゃってたわけね』
一度はリオンとしての死、そしてジューダスへ。
その時空間を越えた過程を記憶にとどめるハロルドの声は苦笑と共に少しだけ申し訳なさそうな韻を踏んでいた。
まさかジューダスであった彼の運命まで悲壮なものにしていたのが自分だなんて思わなかった。
きっとその糸は縺れ合って、もうほどけることはない。
「僕の運命は僕のものだ。誰かに翻弄された覚えは無い」
ふぅん?
それって気にするなってことよね?
久々に聞いたひねくれっぷりに満足そうなハロルドの笑い声。
『ま、今は幸せそうだから結果オーライよね?』
ちょっとだけ反論しようと眉を寄せたリオンの姿に、今度こそ、彼女の声は満足そうだった。
『さぁ、まだ終わりではないぞ』
『えぇ、私たちには最後の仕事が残っています』
全てのソーディアンが揃い、かつての同胞の会話を見守るスタンたちはその声で揃って顔を上げた。
「ディムロス…」
『外殻を破壊する』
「どうやって!」
集積レンズ砲ですら破壊できなかった外殻。この星を覆い尽くす大地はあまりにも広大だった。
けれど、答えはあまりにも簡単で。
『神の眼に私たちを刺すのよ』
最も難しい選択だった。
「え?」
『我々のコアには神の眼と同質のレンズが埋め込まれています。それらを共鳴振動させ、連鎖的に外殻を破壊します』
イクティノスの淡々とした口調。けれど針のような痛みを抱えているのを
シン
は感じていた。
「まてよ、コアクリスタルが壊れたらお前たちは…」
『永遠にお別れ、ということになるのぉ』
クレメンテの言い草はまるで明日の天気でも予想しているようだなのんきさだった。
けれどそんな思いやりでも納得など出来るはずはなく…「だめだ!そんなことできない!」
スタンは大きくかぶりを振った。
「これ以上犠牲なんていらないんだ!何か…方法があるはずだ!」
『駄目だ。こうしている間にも世界中の命が滅びに向かっている。お前はこの世界を滅ぼしたいのか?』
「だけど…」
『自らの分身であるマスターが死んだ時、私たちも一緒に死ぬはずだったのです』
再びイクティノスが語り出した。
『じゃから聞き分けなさい』
幼子に言い聞かせるようにクレメンテ。
未練がない、わけではない。彼らも最終手段としてこの場面を想定していたことを
シン
は知っている。
それは裏を返せば代償が必要ないのならば、それが良かったということだ。
誰だって、自分から死にたいと思う人間はいない。
生きることの尊さを理解している者ならば。
『いいのだよ、スタン。我らは長く生きすぎた』
ディムロスを両手で握り締めたまま、震えるスタンをなだめるようにディムロスの声が優しく響く。
やるべきことはわかっている。
けれど誰も、動こうとはしなかった。
寂しさと、優しさの同居する沈黙を始めに破ったのはリオンだった。
彼は無言で神の眼に歩み寄り、光を放つそれを瞳を細めて見上げた。
音も無く…
シャルティエを神の眼へと突き立てる。
神の眼の外皮は僅かな抵抗を見せただけで易々と銀色の刃身を受け入れる。
静寂の水面に沈むようにシャルティエは穏やかだった。
「リオン…」
誰ともなしに立ち上がり、集う。
「別れは二度目だ。言うことはないな?シャル」
『はい。…坊ちゃん、お元気で』
その返事にリオンはふっと優しい微笑を向ける。
それで十分だ。言葉は紡ぐほどに辛くなる。
トスリ、とその横に青い細身の刀身が埋め込まれた。
「代々我がケルヴィン家に良く仕えてくれたな。礼を言うぞ、イクティノス」
『その言葉だけで十分です』
ウッドロウだった。
「クレメンテ。今まで本当にありがとう」
フィリアが両手で不釣合いなほどに大きな刀身を捧げ持ち、万感の意を贈った。
「私が旅を続けられたのはあなたがいたからですわ。本当に感謝しています」
『まぁ、その、なんじゃ…ワシも楽しかったからの、お互い様じゃな』
「はい」
お前はもう一人でも大丈夫じゃな。強い子だからの。
そう笑うクレメンテの前でフィリアは瞳に堪えきれない涙を湛え、もう一度頷く。
自らクレメンテを神の眼に押し込んだ感触は忘れ得ないものになるだろう。
「アトワイト…」
『何も言わなくていいわ。あなたの気持ちわかっているつもりだから。貴女のお母さんとの約束をようやく果たすことが出来そうね』
「約束?」
ルーティは片手で透かすように眺め見て、アトワイトに問いかけた。
『あなたを守ること』
「……ありがとう、アトワイト」
『そう、それでいいわ。あなたは素直に生きなさい』
顔を伏せたまま、幾分大きな動作でルーティはアトワイトを神の眼に向かって振りかざした。
『最後に一つだけ言っておく』
ディムロスはなぜか今になって厳粛に、声をひそめる。
『私は嘘をついていた。お前は選ばれた存在などではないのだ』
そんなこと、もうわかっている。スタンは最後であるのに歯に衣着せぬディムロスの独白に苦笑した。だが、続くディムロスの声は途端に緩み優しくなっ
た。
『元々人間にはお互いに意思疎通を行う力があった。だが長い時間の中で天地戦争が始まった頃には人間はそれを忘れていた。
お前は私と出会う前からその資質を目覚めさせていた。それは稀有なことではあったが特別なことではない。…誰でもが持ち合わせる可能性なのだ』
だから、世界は捨てたものではないと…ディムロスは願っていた。
『この世界の今は我々が守る。だから今度は未来を…お前たちで決めるんだ。
いい世界にしてくれよ。お前たちなら、きっとできる』
マスターとソーディアンたちに残された、限られた時間。
シン
はそれを邪魔しないように見守っていた。ベルセリオスを片手に携えたまま。
『
シン
、私を皆のところへ連れて行ってくれる?』
「ハロルド」
『なんて顔してんのよ、これでお役放免よ。
全員そろって1000年前には達成できなかった任務が完了できるなんて
ソーディアン開発者としては冥利に尽きるわね』
その濡れた宝石のようなコアクリスタルに優しい苦笑を落とす他はなかった。
いつのまにか語らいを済ませたマスターたちが、こちらをみつめている。スタンはまだディムロスを手にしたまま。仲間たちの見守る中
シン
はゆっくりと彼らの元へ歩を進めた。
『ねぇ。私、未来なんて、運命なんて知らないままここまできたのよ』
「うん」
『あんたは未来を知っていた。でもここにはそれとは違う未来がある。
…神にも運命にも屈しないなんて…
やっぱり私が見込んだだけのことはあるわ』
「ありがと。ハロルド──」
ディムロスがスタンの手によって神の眼へと沈み込む。
そして、遺されたベルセリオスが…
揃うはずも無かった6本のソーディアン。
神の眼に突き刺さるそれは
燦然と光を放ち
まるですべてを全うした悦びを謳歌するかのようだった。