--ACT.3 ダリルシェイド
ベルナルドがまず着いたのはダリルシェイドの北西にある小さな村だった。
俗に地図にも載っていない…というやつだ。
ダリルシェイドにいきなり入港しようものなら混乱に陥るのは目に見えている。
それからまずは1日でも休んで体調を調えるべきだと言った
の言葉をリオンが受け入れたせいもあった。
2人とも外傷はなくとも体力は疲弊して、目に見えない部分が満身創痍だった。
それでもあまりのんびりはしていられないのでとにかくまずは身体を休め、その後ダリルシェイドに程近い、できるだけ人の目に留まらない場所にベルナル ドを寄せ、徒歩で街へと入ることにした。
地に足を付けてまっさきに見上げたのは空。
ダイクロフトが少しくすんだ蒼空に薄い雲を分けるようにして浮かんでいた。
何度か見た光景だ。
この両日で
はおぼろげに記憶を辿り始めていた。
そう、以前見たのは深い雪の合間だった。かすめ見る程度の存在で、確かにそこにあった。
その更に前は、荒涼とした大地の遥か上空…遮るもののない青空に。
何度も見た。
それは確かな記憶ではないのにいつかどこかで見た光景を眺めるような心地だった。
同時に、何があったのかも悟り始めている。
それは
が可能性に辿り着くための知識を持っていたからかもしれない。あるいは自分自身に「忘れないこと」を課しているせいなのかもしれない。
それに反して、リオンにはそれほど顕著な気配はない。
だからこそ見た夢を反復するように黙っているだけであるが…
確信を得る日もそう遠くない気はしていた。
ともあれ、今空に浮かぶダイクロフトとそれをとりまく空は記憶の中のそれとも少しだけ、違っていた。
ダイクロフトを中核に空には土気色の触手が広がっていた。
触手、というには無機質なものではある。それは、巻き上げられた土砂が地表を形成しようとしている、外郭の一部だ。
外郭は、ベルクラントを用いて地上の土砂を空に巻き上げて作る。星を包むほどの大きさなのだから一度で作れるはずもない。
それは浮上後の初撃で出来た、網目のように空に張り巡らされた大地だった。
浮遊する大地はダイクロフトに合わせて絶えず空を移動しているようで、地上は時折影と日向を行き来している。まるで大きな雲の下に入ったような影の出 来方だ、と思う。あるいは水の中で見るゆらめきを暗くしたようなものなのかもしれない。
こんな時でなければ見上げる光と影のコントラストは悪くも無かったが、遠くに立ち込めようとする暗雲はどこか危機感も彷彿させた。
城の尖塔が黒い影となって現れたダリルシェイドの向こうに広がり出している雲。
嵐の予感がする。
「…」
風に乗って海のほうから流れてくる雨の匂いに気付いたようにリオンは足を止めた。
その視線がなぜかおもむろに左手の丘陵を撫でる。
『どうかしました?』
「いや…」
リオンは無表情に首を振って再び歩き出した。
* * *
ダリルシェイドの街から喧騒は消えていた。
といっても戒厳令が出ているという風でもない。
なんとなく、自主的に騒ぎ立てるのを控えているという感じだ。人通りはあったが誰も彼も不安そうな表情を浮かべてなんとはなしに足早だった。
商売根性の逞しい商人が営業用の笑顔と共に通りに露天を出していてもさすがに誰も長居はしない。
ただ笑顔が消えただけなのに、どこか街は閑散として見えた。
リオンはまっすぐに王城へ向かって歩いて行く。
同じ早足でも怯えるというよりも察そうとして歩いて行く2人の姿は今のダリルシェイドでは浮いても見えたことだろう。
王城が近くなると何人かがリオンの姿に気付いて振り返った。
けれど眉を顰めてみるようなものはいない。
どうやら彼に関しての情報は街までは下りてないらしい。
なんとなく胸をなで下ろしつつ城門へとさしかかった。
ここでの兵士の態度は何とも判断がつかなかった。あまりにも堂々と通り抜けてしまったリオンを止める声はなく、けれど後ろを振り返っていたらひょっと して門兵たちの動揺する表情も見られたのかもしれない。
はっきりとそれが態度として現れたのは、門を越えてもう城内へ入るための解放された両開きの大扉の前だった。
「リオン=マグナス!?」
慌てて両脇から出てきた兵士が、互いの槍を交差させて進路を塞ぐ。この槍は、攻撃というよりも元々こういった使い方をするものなのだろう。
実用的な無骨さより門戸の飾りのように赤い布や金糸で装飾がなされていた。
それを視界に確認するとどこから出てきたのか更に2人の兵士が囲むように背後にまわる。
「今、帰城した。王へとりついでくれ」
劣勢はリオンには見られなかった。
毅然と言い放たれ、勢いで進路を塞ぎはしたものの気勢を殺がれ、どういうことかと視線で門兵たちは問いをかわしあっている。
埒があかなそうな様子に一呼吸置いてリオンが口を開こうとしたその時。
再び、彼の名を、お世辞にも親しいとは言えない声で復唱した者がいた。
アシュレイ=ダグ。
彼の名前はそう言った。
淡白な興味ゆえにお世辞にも人の顔と名前を一致させることは得手ではない
は一度、謁見の間で会っただけの彼の姿を、もう遠くなってしまったような記憶の中で照合させようとした。
セインガルドに名だたる「七将軍」、とりわけ記憶に残っていたものはその芯の強さや威厳といった醸し出される将軍ならではの雰囲気だが、目の前の男は 中でも堅実で素朴そうな、どこか地味な印象がむしろ記憶に残っていた。
彼に初めて会ったのは神の眼を奪還し、帰還した直後。
スタンたち一行を労う王の脇に控えるようにして立っていただけなのでその時は「会った」というより「見た」といった方が正しいかもしれない。ただ、そ の後に気さくに声をかけてくるなど親しみやすさも伺えた。華々しい将軍の中にあって至って普通なのが良いのだろう。
だが、目の前に居る彼はその時とはうって変わりまだ若く精悍な顔を、リオンの姿を認めるなり厳しいものに変えていた。
残念ながらそれだけでも彼がリオンに対して抱いているものが思わしくないことは見て取れた。
「アシュレイ将軍…」
その姿を認めたリオンの口が声はないほどに小さく、そう動く。
アシュレイが闊歩するように早足に歩み寄り、まるで彼らは当然のように、正面から向き合った。
自然、兵士の槍も下ろされる。
「どういうつもりだ、帰って来るとは」
それは彼自身の不審の現われか。純粋になぜ、という意味かもしれない。言葉を選んでいる余裕など無いのだろう。
険しい顔で見下ろすアシュレイの瞳を、まっすぐに見返してリオンはもう一度、はっきりと言った。
「セインガルド王に、お目通し下さい」
* * *
その後はまるで罪人の扱いようだった。
まるで、ではなく彼らにとってはそうなのだろう。
「連れてこい」
アシュレイに命令された兵士はリオンを両脇から押え込むようにして後ろ手に捉える。
「リオン!」
「大人しくしていろ」
リオンは抵抗をせずに、だが、他ならない彼1人がこの捕り物劇に毅然とした態度を崩さない。
も抑えられそうになったが、リオン自身が制止するのと共にアシュレイも兵士を止めた。
神の目奪還の功労者の中に記憶していたこと、そして一介の民間人であることを慮っての判断か、ただ離すようにだけ指示してリオンだけを城の奥に連れて いうこうとする。
が大人しく従ったのはリオン自身が去り際に待っていろと言ったからだ。
ただ、アシュレイも
の処遇までは命じなかったためしばし、見送るほかはなかった。
「お茶をもういっぱいもらえるかな」
「あ、はい」
複雑な心境で
はニコラス=ルウェインのカップに紅茶を注いだ。
まさかヒューゴ邸に戻る訳にも行かず、所在無さげにしていた彼女に声をかけてきたのが七将軍の長老でもあるこの将軍だった。
たまたま近くに居合わせ、一連の状況を見納めていたらしい。
とりあえず部屋で待つよう案内され、お茶でも入れさせようとわざわざ女官を呼ぼうとしたので
がいれると申し出たらこうなった。
老練な将軍は、先ほどのアシュレイとは対照的に落ち着いた様子でカップをかたむけている。
優雅なティーカップも良いが、湯飲みの方が似合いそうだなどとどうでもいいことを思いながら
も自分のカップの中にゆらめく天井の灯かりに視線を落とした。
今は、請われるままにダリルシェイドを出てからここに戻るまでの話を一通り終えたところだ。
「わしはな、スタン=エルロンの祖父と縁がある者だ」
それでピンと来た。
七将軍のことはほとんど知識としても記憶してなかったが、1人だけ、因果を持つ将軍がいることは覚えていた。
「トーマス=エルロンに助けられた…」
「そう、よく知っておったな。あの青年が話したかね?」
知っていることをそのまま口走ってから、仮にも将軍という立場の者に失礼だったかと言葉を選ばなかったことを失言と思ったが、ニコラスは気にしていな いようだった。
年齢のせいだろうか、穏やかに、だがどこか精悍な笑みを浮かべたままなんとなく笑みで濁した
に彼は続けた。
「トーマスはわしの部下だった。スタン=エルロンはトーマスによく似ておる。あの頑固な正義感と意志の強そうな瞳がな…」
スタンの場合は頑固、というより田舎者ゆえの純朴さのほうが際立っていたが、なんにせよニコラスは懐かしそうに瞳を細めた。
懐古するのを邪魔せずにいると彼はすぐに現実に戻ってきて、続けた。
「スタン=エルロンは昨日、城に戻ってきたぞ」
「!」
「海底洞窟であったこと辛そうな顔をして王の御前で報告しておった。リオンと、もう1人仲間が死んだと言っておったがそれはお前さんのことではないの か?」
どこか砕けた口調で言われ
は深刻な面持ちで頷き返す。
当然、脱出できたなどと思ってはいないだろう。
それでも彼らは今、この城にいないだろうことを見れば次の行動に移っているはずだった。
「スタンたちはどこに?」
「あのダイクロフトに突入する手段を探すといっていた」
飛行竜では高度が足りないのだ。となればラディスロウを再び空へ浮上させるしかない。
今ごろは、海底に没したまま動けないラディスロウに向かっているのだろう。
…ベルナルドがこちらにあるのだから、向かっても潜れないわけであるが。
はたと、自分がしでかした出来事に気づく。
…………………まぁ、入れなければラディスロウを起動させるためのディスク探しを先にすればいいだけの話か。
は自分の中で完結して、思考を巡らせる。
その沈黙をどう捉えたのかニコラスは、小さく息をつくように微笑むとテーブル越しに大きな節ばった手で
の肩を叩いて来た。
「悲観することはない。ソーディアンマスターたちが戻ってくればリオンもこの城から出られるだろう」
政略的な意味も絡むのだろうが、今は素直に気遣いを受け取っておくことにする。
それから、
は気になっていたことを聞いてみた。
「あなたは…リオンを信じてくれるんですか?」
「さて」
改めて尋ねると、ニコラスは首をひねる。
半分は期待しているが決め付けるほど楽観はしていない。
真摯な声に答えるように将軍もまた皺の刻まれた瞼を落として考え込んだ。
「信じているかと言えば、NOだろう。しかし疑っているのかと言われても正しくない。事実を確認するには時間がかかる、というところか」
出された答えは老練された者らしい重みのあるものだった。
「なんにせよ」
もういちどカップを持ち上げて口をつける。
「あのスタン=エルロンがトーマス=エルロンの血を色濃くひいているなら間違いなくリオン=マグナスは贖罪の有無に関わらず、チャンスを与えられるこ とになるだろうな」
その時、ノックが響き返事を待たずに扉が開いた。
顔を出したのは規定の兵服を纏った兵士だった。
ニコラスの顔を確認するなり彼は直立不動で敬礼すると用件を告げる。
「ニコラス将軍、只今七将軍方々への召集が下りました。急ぎ、謁見の間へご参集下さい」
ニコラスの視線はちらりと
に戻り…
それだけで用件は知れた。リオンのことだ。
その後の処遇が、七将軍の元に下るのであろう。
