眠っていたのはどれくらいなのか。
雨が降り続けているせいで日の高さはすぐにはわからなかった。
時計を見ればまだそれほど遅くない時間。
しかし鳥たちはもうすぐ寝床へ集う頃で眠り直すにはまだ早く、行動しだすには遅いと言った時間だった。
濡れた窓ごしに暗い空を見上げてしばしどうするか考える。
僅かに乱れた服を正して は再びヒューゴ邸を出た。
その足は再び王城へと向かっていた。
--ACT.5 錯綜する思惑
「…というわけでシャルティエを持ってきたよ」
「何がというわけだ。なぜお前がシャルを持って来る」
『それは僕のマスターが
だから、ですかねぇ?』
「……………………。」
『や、やだなぁ!ちょっとした冗談じゃないですか!ほら、
が晶術を使えるからそれをお披露目してとりあえず僕を暗い倉庫から助けてくれようとして…!!』
話についてこられず思わず沈黙したリオンの態度をどうとったのかシャルティエがまくし立てるように状況を説明してくれた。
自分の軽口に対する弁解のように見えないこともないがいずれにしても中途半端な切り出しにますます彼のマスターは押し黙ってしまってしまったことは言 うまでもない。
それも今度は小難しそうな表情で眉を寄せるようにして。
…状況としては暗転してしまったようにも見える。
「とにかく何とか動けるようにしないとと思って。そうしたらシャルをまず手元に戻したいなぁと」
「別にシャルは封印されていたわけでもないだろう」
「使えない場所に置かれてたらただ接収されたのも同じことだよ。ソーディアンはマスターの所にいるのが一番」
そういって
はリオンのいる小さな丸テーブルへ、ことりとシャルティエを置いた。
すぐ手元に置かれて自然、リオンはシャルティエに手を重ね、取り上げると鞘から僅かに柄を上げ刀身を確認した。
おそらく意図はないのだろう。つい触れたような彼の視線は流れるようにすぐに
に戻る。
「で?」
シャルティエを持ってきたところで状況は変わらない。
常時カギのかけられたこの部屋から脱走しようと言うのであれば話は別だが、そうでなければここにシャルティエを置いていくこともまた状況をややこしく するだけだ。
リオンは城の一員としては模範的かつ常識的だった。
「このまま城で沙汰を待つのも結構だけど私としてはスタンたちと早く合流できたらと思って」
「それとシャルを持ってくることと何か関係があるのか?」
『そりゃあれですよ。3人寄れば文殊の知恵って…』
「お前は黙ってろ」
よほど揃ってダリルシェイドに戻って来られたことが嬉しいのか、いつになく饒舌なシャルティエをリオンは黙らせて
に先を促した。
「いや、シャルはシャルでなんだか囚われの身っぽいから連れ出さなきゃと思ったんだけど…」
の言い分はソーディアンの人格を尊重した判断だった。
「それに、シャルを押し頂いた時点で私にも王命が下ったんだ。ダイクロフト攻略の手伝いを一任するって」
「!?馬鹿な!!」
「…詳細は追々話すけど、ソーディアンと意志の疎通が出来る、っていうのは彼らにとってそれだけ特別なことなんだね。で、とりあえずここからどうしよ うかな、と」
どうもこうもない。
にしてみても意外なほどの待遇の良さだったが、セインガルドにとっても世界にとってもそれだけ余裕が無いということだ。
しかし、それが意外な効果で事を運びやすくしてくれていた。
「考えた結果、やっぱりベルナルドを動かすのが一番早いと思うんだ。スタンたちが出航したのが昨日だって言うから多分、他の場所に移動されるより早く 追いつけると思う。
うまく会えなかったとしても次に行く場所はわかってるし…」
「何?」
「起動ディスク。ラディスロウは潜行モードをオフにすれば海面まで浮上は出来るけど、本来の機能を復旧させるにはそれが必要なんだ。最悪、そっちに先 回りして待つことになるかもしれないけど…」
「おい」
口ぶりから察するに
の中ではすでにいくつかのシナリオが練られているに違いない。
この数時間で何をどう考えたのかはわからないがすでにそのうちの一つが既に決行直前で選択されていることを直感してリオンはそれを中断させた。
ひとつ、危惧がある。
「どういうつもりだ。1人で行くつもりか?僕はモンスターが頻発しているからやめろと言ったはずだがな」
「まさか」
真面目な口調でそう丸くした瞳を次の瞬間には緩ませ、笑う。
優しいというよりは鋭い怜悧さを宿し、どこか勝ち誇ったような笑みでもあった。
「ほら、私は学者ってことになってるし。つきましてはリオン。ソーディアンマスターとして護衛についてもらいたい」
「…」
読めてきた。
少々頭を抱えたい気分になりつつリオンはここから出る日がそう遠くないことを悟った。
この女は自分の知らないところでほんの数時間の間に行動を起こしてしまったらしい。
その全貌を聞いたほうがいいのか、それとも想像に留めた方がいいのかは微妙なところだ。
不思議と、シャルティエの含み笑いまで聞こえてきそうな気配だった。
「何があった?」
それでも聞かずにはいられなかったリオンの問いは当の本人ではなくシャルティエに向けられたものだった。
『
の言ったとおりですよ。
には資質があっても戦闘能力がない。知識があっても利用できる場所まで行くにはそれなりの準備が必要だ、ってことです』
今や戦う力が皆無かといえばそうではないが、元来はそういう人間であったはずだ。
そして、王や将軍の前では「そういうこと」になっているらしい。
ここまでは確かに辻褄の合ったことだった。
「実はシャルティエを預かったのもソーディアンの助言を受けるために、って理由なんだ。意志の疎通ができる人間が王宮に居ない以上、セインガルドに とってもお蔵入りにしておいてもしょうがないしね」
『だから非戦闘用として預けられてるだけなんですよ』
確かに天地戦争時代の兵器が相手なら、ソーディアンの出番は必要不可欠だろう。
戦闘用の道具としてだけでなく、当時の様子を知る希少な情報源としても。
「それで、どうせだったら使える人が持っててくれた方がいいし…ついでに魔の海域に行くのなら腕の立つ護衛が必要だということになって」
「利害の一致が僕の保釈というわけか」
順番はおそらく逆だ。
腕の立つ護衛が必要だ、と持ちかけそこへリオンを推挙したのだろう。
例えば「シャルティエのマスターはリオン=マグナスだ」などと。
既に決まったことなのか、
は頬を緩めて余裕を露にしていた。
「早業だな」
「のんきにしてる場合じゃないんでしょう?」
その通りだ。
リオンは雨の向こうにたゆたう黒い浮遊大地の影を見ながらそっと瞳を伏せた。
ゴンゴンゴン。
乱暴なノックがあったのはそれからすぐのことだった。
ここは留置された人間の部屋であるからそんなものは必要ないのであるがノックの主が自分を落ち着けるためのものであったのかもしれない。
あるいは、鍵がかかってないので開ける動作の代わりに打ったものなのかどうかはわからなかった。
扉はガチャリとやはり荒々しく開き、2人の兵士を従えて現れたのは妙に人相の悪い若い男だった。
人相が悪く見えるのは元々この城に住まう人間たちにはあまり見られないどこか荒削りな顔立ちに加え、あからさまに敵意が含まれていたからだ。
「アスクス将軍…!」
自分を鋭く睨眼した男の名を呼び、リオンはがたりと音を立ててイスから立ち上がった。
「リオン=マグナス。勅命が下った。この
殿と共にスタン=エルロンほかソーディアンマスターを追い、合流せよ。ラディスロウ浮上のための助力を命ずる」
リオンは口早に復唱された勅命をひと呼吸置いて受諾する。
足先をそろえてびしりと姿勢を正すと敬礼でもって短く呼応し、凛とした声を部屋に響かせた。
「リオン=マグナス、拝命いたします」
「これは保釈ではなく、仮釈放だ。事態が急を要するため、お前の身の所存については保留となっただけのこと…それを忘れるな」
「御意に」
リオンの瞳は臆することなくアスクスのそれを捉えて離さない。
その様子にふん、と鼻を鳴らしてアスクスは踵を返した。将軍色をあしらったマントが翻り、もとの場所に収まる前に彼は背を向けたまま猛獣が唸るような 気勢で低く告げた。
「オレはてめぇを許してねぇ。それを忘れるな」
