--ACT.6 暗闇の中に見える光は
「アスクス=エリオット、24歳。セインガルド城に来たのは5年前…確か19の時だったはずだ」
「何か、城の中では珍しい感じだね。なんていうか…」
「品がない、だろう」
リオンの言葉は歯に衣着せない。他の兵士が聞いていたらなんということやら…
人がどう思うかなどどうでもいいが、他に言葉を選ぼうとしていた
の複雑そうな顔を見て、リオンは僅かに口元をほころばせた。
それは余裕なのだろうか。こんな時に、おかしなものでもある。
はもう窓の外を見やって表情を元に戻した彼の横顔に、少し大人びたものを見出していた。元々、実年齢よりは大人びた性格の少年ではあったのだが。
窓の外は海だった。
2人は城から遣わされた十数名のクルーとともに航行するベルナルドの中にいた。
今は潜行していないため、海面が見える。セインガルドのある大陸沿いに北上しているため、視界には島影もずっと着いて来ていた。
『アスクス将軍は傭兵上がりなんだよ。立ち居振る舞いとか口調とか…やっぱりちょっと違うかもね』
リオンの続きはシャルティエがついで説明してくれる。
去り際の捨て台詞とも思える宮仕えにあるまじき口調を思い起こしてなるほど、と思った。
傭兵だから品がないというのは偏見だが、ご丁寧な口調の折り目正しい傭兵と言うのもなかなか想像を超えたものがある。
まとっていたどこか、野生的な雰囲気も長年の傭兵生活で培われてきたものなのだろう。
将軍になるまでの馴れ初めに珍しく興味を抱いて
は聞いてみた。
「セインガルドって傭兵でも貴族でも将軍になれるチャンスがあるんだ?」
「そうだな。かつては王自身が凄腕の剣士だったと聞く。アスクス将軍が召し上げられたのも王の目に留まったからだ。…つまり王には選定眼と、要不要を 判断できる政の才能があるということさ」
王制と言うと、どうしても離れられないのが貴族の権力集中だ。
早い話が本人の実力よりコネの世界であるが、今のセインガルド王の治世ではそういった腐敗が少なく健全であるのだと教えてくれた。
リオンをこうして城から出してくれたのも、結局は彼の言うとおり今何が本当に必要なのかをわかっているという証拠だ。
ただ、何かを貫くということはアスクスのようにそれでは割り切れない人間も必ず出てくるのも仕方のないことだった。
「アスクス将軍は剣一筋で、激情家だ。信念があるといえば聞こえがいいが古風といえばそれまでの性格、というとわかりやすいか?」
「…」
要するに直情的なのだろう。
酷い言い草ではあるが、リオンは彼のことを嫌ってはいないようだ。
むしろ会話を楽しんでいるように、続けた。
「剣の強さにもそれが出ている。豪胆で実直だ」
『あぁいうタイプは、自分が納得すると案外すっきりしたものなんですよね』
「わかりやすい人、ってこと?」
「まぁそうだな」
客員剣士として、慣れ親しんではいたのだろう。痛烈な感情をぶつけられた割にはリオンはどこか飄々としていた。それとも己の所業をそのまま認め、受け 入れているからなのかもしれない。
「ミライナ将軍は貴族の出なんだっけ?」
ふと、神の眼を乗せた飛行竜の飛び去った夜に会った女将軍のことを思い出して聞いてみた。
彼女は、おっとりしている外見もあってアスクスとは正反対にどう見ても物腰穏やかな品のある面持ちをして見えた。
『よく知ってるね。将軍にはお姉さんがいて…そちらは社交場でよくみかけますよね』
「シルレル家には男児が居ない。それでミライナ将軍がこちらの世界に来たらしい。貴族らしい政略だな」
『でもいざという時は凄腕なんだから…いいですよねぇ女性将軍って言うのも』
何が言いたいのかシャルティエが夢を見始めたところでリオンの下らんな、というセリフが斬って捨てる。
とにもかくにも彼女の場合は将軍の中でも瞬発力では追随を許さないというほどなので、適材適所で結果オーライだったのだろう。
そんなふうに、七将軍や城の中のことを聞きながら日は過ぎていった。
しかし、ベルナルドの航行速度を持ってしてもなかなかスタンたちの乗ったはずの船影をみつけることはできなかった。
ダリルシェイドを出たときから雨が断続的に降っていたが、遠い海上で発生している嵐のせいで風も強いのだ。
巻き込まれてさえいなければ、あちらも風の恩恵をふけてかなりの速度で北上しているのだろう。
幸か不幸か、それらはラディスロウへの到着を加速させていた。
「見えました!王国船です!」
報せが入ったのは多島海に入り、縫うように小島の合間を航行する頃だった。
島の向こうには、大陸の影が見え始めている。
その上を吹いているはずのカルバレイスの熱風も、ダイクロフトの落とす影に冷えて見えるようだった。
そこはもう北の魔の海域だった。
「…浮上している…何があった?」
「スタンたちは中、かな」
海上特有の風が遮る物のない空間を時に舞い、駆けていく。
ベルナルドのハッチから外気に肌を晒すと、途端にマントが風をはらんで大きく靡いた。
先に停泊していた王国船の上で「魔の暗礁の主」である海竜の登場に、驚愕の表情でこちらを見ていた水兵がその姿に気付く。
そちらには伝令と、ここで待つように連れてきたクルーへ指示を出し2人は濡れた赤錆色のラディスロウの中へと踏み入れた。
湿った匂いがする。
本来なら機密性の高いラディスロウであろうが、ダクトなどを通して水没していた箇所もあったからだろう。
それから浮上して外気が流れ込んだせいもあるのかもしれない。
入り口付近の空気はまだ新鮮だったが、奥に進むほどに風は流れを失い停滞していた。
「…どこにいる?」
非常用の動力が戻っているのかうっすらと天井に明かりの灯る広い中央の通路で足を止めて、伺うようにリオンが呟いた。
無論、応える者はいない。
耳を澄ましても、沈黙が占める広い空間特有のコーンという僅かな反響が聞こえるくらいだった。
それから船体に波の打ち寄せる音が、どこからともなく空の空間を介する様に遠くに響いていた。
「司令室に行ってみようか」
「司令室?」
『クレメンテ老がいた場所ですよ』
あぁ、と頷いて再び歩き出す。正直、場所は覚えていないが歩いていればすぐにたどり着く場所だろう。
ナビゲータとしてはシャルティエも声をかけてくれるので安心だ。
一度細い階段を下りて、幅の狭くなった通路に入る。閉鎖性が見通しを悪くしている。
千年前の文化特有の、曲線と円を駆使して描かれた文様を壁に眺めながら、ふと、2人は足を止めた。
ことのほか近くに足音がしたからだ。
何者かと構えるより先に、聞こえる声がそれが誰であるかを明らかにしていた。
「あんたみたいなお馬鹿さんじゃないことは確かね。フィリア、心当たりある?」
「え、あ…ストレイライズ神殿に行けばないこともないのですが…」
場違いな、騒がしいしゃべり声は近づいてきている。
は懐かしい声に──実際離れていた時間はそれほどでもないがそう思う−─喜色を浮かべてリオンを振り返るが、リオンは隣で複雑そうな顔をしていた。
それも理解できる。
到底笑顔で再会、という別れ方ができたわけではないのだから。
「酷いよ、ルーティ。ルーティだってそんなこといいながら心当たりだってないんだろ?」
「何よそれ、類は友を呼ぶとか言いたいわけ?」
「誰もそんなこと言ってないって…」
「どーせ私には知的で品性のある知り合いなんていないわよ!!!」
彼の足は動かなかった。
それでも声の主たちは向こうから近づき…すぐ目の前の角からふいに現れた。
「…」
互いに落ちるのは沈黙。
リオンはスタンたちに会ったら何を言うつもりだったのだろう。
どこかバツの悪そうな彼の顔を見るにそれが決まっていたとは思えなかった。
少なくとも弁解や釈明をすることは考えていなかったにせよ。
「リオン君…?」
「
さん…」
暗がりに、あちらから見れば文字通り予告なく現れた2人の姿をどう思ったのだろう。
ウッドロウとフィリアが呆然と呟く横でルーティは唖然と彼らをみつめ、スタンはぱくぱくと口を動かしていた。
「ウソ…!」
「お、お化……痛ーーーーーーー!!!!!」
「夢じゃない!?」
ルーティは、自分をつねればいいのに代わりにスタンを思い切りつねりあげその悲鳴でこれを現実と判断したらしい。
わんわんと響くスタンの絶叫。
「馬鹿だな…」
「うん、バカだね…」
彼らの行為に一度は目を丸くしたものの思わず呟きあってしまったところで、ルーティは涙目になったスタンを放って置いて素早く2人を振り返り、暗がり に浮かぶ姿を再度確かめた。
それこそ信じられない、と言った表情をしているのは彼女だけではない。全員がみつめ、2人の反応を待っているようだった。
はそちらに向かって苦笑を投げかける。
「夢じゃないよ」
「…っ本当に?本当に無事だったの!!!?」
頷くとはじかれたようにルーティは臆面なく抱きついてきた。
良かった、と何度も繰り返しながら苦しいほどに抱き締められる。
それは彼女の想いの強さなのだろう。
スタンたちも駆け寄り、その無事を確かめる。
「リオン!」
駆け寄ったスタンもまた、残るリオンを抱きしめそうな勢いだったがそんなことをしようものならすぐに離せと殴られるくらいのことはされていただろう。 踏みとどまったのはさりげに彼の幸いだ。
「良かった…無事だったんだな!!」
「男が泣くな、みっともない!」
我知らずか涙をためたスタンをいつもどおりたしなめてリオンはそっぽを向いた。
「あの激流の中、良く無事で…」
「本当に…でも…でも、ご無事で良かった…!」
口々に彼らは生還を喜び、薄闇に沈んだラディスロウの中に刹那の灯火がともったようだった。
「…ベルナルドがあったからな。──なんとか脱出して後は…」
その声を背中で聞いていたルーティの腕がするりと
の首から離れる。
彼女は喜びの涙に瞳をうるませたまま、だが、なぜか厳しい表情で唇を引き締めゆっくりと振り返った。
リオンを。
リオンもそれに気づき、視線が重なる。
「…」
妙な沈黙と緊張感が向き合ったその一瞬だけ空間に満ちていた。
ふいにつかつかとルーティはその遠くもなかった距離を詰め、そして…
パンッ!
乾いた音がリオンの頬を打った。
「…っな…」
「馬鹿!!!!!」
「ル、ルーティ!?」
呆気にとられる仲間たちの前でルーティは腹の底に溜めていたものを吐き出すように叫んでいた。
「踏ん切りつけて、せっかくこれからダイクロフトを攻略しようって時に…遅いのよ、あんた!」
「…」
「私はね、あんたみたいにくそ生意気でひねくれた弟なんか…持った覚えはないわ!」
突然に。
しかし、彼女の中では確かに抱き続けられていたのだろう言葉は、何の前触れもなくぶちまけられた。
「僕だってお前みたいにガサツで品のない女は姉だなんて思ってない!」
売り言葉に買い言葉。
彼らの意図していなかっただろう展開で、けれどすかさずリオンは応じてしまう。
「ルーティ…っやめ…」
思わず再び手が出そうな剣幕で一歩前に出ようとしたルーティの肩をスタンが後ろから抑えた。
それがきっかけなのかはわからない。
胸の前で握られた拳は唐突に力を失い、落ちたかと思うと彼女は暗い表情で俯いた。
「弟なんて…思ってないわよ」
ぽつりと呟く。まるで自分に言い聞かせるように。
それからしっかりと顔を上げてルーティは、これまで見せたこともないような必死な顔で訴えた。
「けど、仲間なんでしょ?──ずっと一緒にやってきたんじゃない。
それなのに一言もなくあんな方法を選んで…私たちが何も思わないと思ってたの?」
「────…すまない」
今度はリオンが押されるように小さく俯いて、応える。
と全員の視線が集まった。小さな驚きと、労りと、それから一呼吸置いて微苦笑。
けれどスタンとルーティはといえばぽかんと口を開けるくらいの勢いでただ彼を見ただけだった。
ある意味、いいコンビというか失礼と言うか。
それで、リオンも耐え難くなってしまう。
珍しく殊勝な態度は長続きせず、唸るようにリオン。
「…なんだ、僕が謝ったらおかしいか」
呆気にとられたような顔のままスタンはぶんぶんと頭を振った。
それから満面の笑顔で、本当に何が嬉しいのかと聞きたくなるくらいの無邪気なにこやかさで嬉しそうに言う。
「そんなことない…そんなことないよ!」
「だからといって、気安く懐くな!!」
「いいじゃないか、だってホラ、まだ肝心なこといってないし」
「肝心なこと?」
「そうだよ」
気付けば、彼の周りには笑顔の仲間たちの姿がある。
紛れもない、彼の還る場所。
そして、
のたどり着きたかった場所でもあった。
笑顔と共に迎え入れる仲間たちの姿。
スタンは改めて一歩離れると手を広げるようにして明るい笑みを浮かべた。
「2人とも────おかえり!」
