永い眠りから目覚めると、そこは天上都市。
イクティノスは、もう長くは無いだろうつきあいに喜んで参戦を決めた。
--ACT.12 相反する者-バルック=ソングラム
守護竜の迎撃を避けるために、再び集ったソーディアンマスターたちは暗闇都市アンスズーンを抜け、クラウディスへと侵入していた。
この都市は、他の都市とは異なる。
憩いの場として作られたのかそれとも生態研究用の都市なのか、緑がその内側の大半を占め、ふんだんな採光はまるで空中庭園にでも来ているかのような錯 覚を引き起こす。
ついこの間海底から復活したばかりとは思えない豊かさだった。
「…なんだか、遺跡みたいね」
「…こういう場所、好きだなぁ」
一度ラディスロウに戻り休んだこともあってすっかり調子を取り戻した
は珍しく趣向を主張している。
「気を緩めてると怪我するぞ」
「大丈夫だよ。頭、柔らかくしておかないと謎解きできないよ?」
「…そんなことをする必要がどこに…」
「あれはなんだろうか、リオン君」
呆れながら反論しようとしたリオンの声を遮ったウッドロウが指をさしたのは、場違いなほど穏やかな木漏れ日の差す緑の蔦に埋没した石碑だ。
かなり大きなもので、近づいてみるとまるで伝承のような文章が刻まれていた。
「『闇を照らす女神は、やわらかな時を刻み
無限を照らす星のかけらは宵に落ちる
輪廻をつかさどる大地の神は神々の間に鎮座し
万物の熱源たる炎の神は基盤
天への道を示す』
…なんのことでしょう?」
「ほら、来たよ」
「だから何の話だ」
記憶を取り戻してからこちら、彼女は何らかの肩の荷を降ろしたようだった。
おそらくは死線を分けるだろう戦いを前にして、ひとつの憂いが除けたのは幸いと言うべきか。
けれど「この時代」では見せなかった緊張の解けた表情を前に、これで良いものかとリオンは疑問を覚える一瞬。
なぜ楽しそうなのだ。
その理由はすぐに明らかになった。
通路の先にある部屋、そこは広場のようだった。
生い茂る緑と高い採光窓から降りそそぐ光。沈黙に神聖ささえ感じさせるその巨大な広間の正面には壁の向こうから這うように巨大な樹木の根が覗いて いる。
両脇の壁はくり抜かれており外気が出入りしていた。
この都市はそもそも荒れ果てた天上では異色。緑をくぐる風も決して無臭で無機質なものではない。
木々すらも生い茂るその空間は広大な内庭そのものだ。
床には透明なガラスのようなパイプで十字の文様が描かれそれぞれの先に、くぼみのようなものが見られた。
「まぁ…!」
「…行き止まり?」
鳥でも行き交っていればそれはもうのどかな光景にフィリアが思わず笑みを浮かべたが、そういった感動に疎いルーティは眉を顰めるだけだ。
無論、行き止まりなわけがない。
「…先ほどの碑文…」
「だね」
中央付近まで全員が進んであたりを見回す。
明らかにこれはなんらかの仕掛けだ。
も知識としての覚えはあった。
「何?ここに何かあるのわけ?」
「おそらくなんらかの仕掛けがあるはずだ。この都市の有機さは守護竜のシステムを守るためのカモフラージュなのかも知れんな」
あるいは、クラウディスそのものが生体研究施設なのかもしれない。
最深部に近いことを知って、スタンたちの顔も自然、引き締められた。
「まぁ、あの碑文どおりにすればそんなに難しいことじゃない… ?」
改めて見渡して、気付く。
大抵であればその辺に転がっていそうな仕掛けを解くためのものが見当たらない。
まぁ、簡単にはいかないかと
は少し考えて、改めてこの部屋を探索することに決めた。
「手がかりを探すんだ。この部屋の中にも何かあるはずだからな」
先に動き始めた
の姿に、スタンたちにもさっさと動くよう促すリオン。
自らも床に埋め込まれた文様の元へと足を運ぶ。
「…」
「この十字の先に、何か置くんでしょうか」
もう一度碑文の確認に行ってもらったフィリアが戻って来て部屋の中央で思考を馳せるリオンに声をかけた。
「だろうな」
「月と星、大地の神と…太陽でいいのかな?」
「
さん」
メッセージ自体はそれほど難しいものではない。
前者の二つはそれでいいはずだ。天体をテーマに設定してあるなら太陽も間違いない。
額に指を添えたまま考えている
にフィリアが向き直る。
ウッドロウとスタンがその向こうで何事か話しているのが見えた。
『大地の神?』
由縁があるからと言うわけではないだろう、おそらくは単なる疑問としてシャルティエが復唱した。
「ってなんだろうね?」
「それを解くために考えているんだろうが」
「それは他のヒントを見たらわかるかもしれませんわ。…わたくしも、他のものはそうだと思います」
支持を得たところで謎は解けないが、そのまま話を進めることにする。
「じゃあそれで仮定して…『星の欠片は宵に落ちる』、これで星に当たる何らかのものは西に置けばいいってことになる」
「すると大地の神とやらは東か」
「?どうしてです?」
「太陽と向き合うのは「基盤」。たぶん、それ、星のことじゃないから残ったのがそれ」
「あぁ、そうですわね!」
素直に笑顔で手を合わせるフィリアはのんきに嬉しそうだった。
「太陽と月の位置は何か決め手があるか?」
「うーん…このくぼみ…北と南で違うかな?」
とりあえず奥のくぼみを調べてから引き返す形で入り口側のくぼみに戻る。
その時スタンが何かを発見したように声を上げた。
「これ…!」
大きなグローブに小さな小箱を収めて掲げ、それから草を踏みながら駆け寄る。
箱には鍵などかかっておらず、中には布に包まれた金属が入っていた。
「???」
「輝銀鉱と…金だな。純度は不明だが」
「こちらにもあったぞ」
「…これも宝石でしょうか?…黒檀のようにも見えますが」
ウッドロウの持ってきたのは鋭利なリングにカットされた真っ黒な石だった。
「オブシディアンじゃないか?」
「リオン、詳しいんだね」
「オブシディアンは装飾用のナイフの刃に使われているのをヒューゴ邸で見たことがある。カットされたものは切れがいいから不用意に触らないほうがいい ぞ」
リオンは一度箱にしまうように言ってから改めて並べられた3つの宝石を眺めた。
「…お前は何も見つけなかったのか?」
「え?えぇ、まぁ。なんていうか役立ちそうなものはね」
「その後ろに隠したものを出してみろ」
「なんのことかしらぁ?」
「あ、ルーティ!!それも宝石だろ!!?出せってば!」
「……………こんなところでレンズハンター根性を出すな」
呆れると同時にバカ呼ばわりも忘れず、リオンはブーイングを飛ばしてなげやりに差し出したルーティの手から小箱を受け取った。
「…スターサファイアだ」
スターサファイア。
結晶の中に含まれる針状の鉱物が、光の内部反射によって、神々しいアステリズム(星彩効果)を作り上げる希少な宝石。
ルーティが欲しがるのはもう彼女の中の摂理のようなものではある。
「まぁまぁ、これで4つのものが揃ったではないか」
「オブシディアンがなんで大地の神かわからないけど、とりあえず配置してみようか」
「配置って、どれが何に当たるかわかるの?」
「…なんとなく」
一人で理解していても何なので説明しながら
はくぼみのひとつにスターサファイアをセットした。
「特定の惑星には対応する宝石や金属、色が当てはめられることがある」
そのくぼみはティファレト<美>と記されていた。
「太陽は金。対応するルートは…多分ティファレトなんだろうな。基盤って言うのが月のことだとしたら」
入り口側に移動する。
「月は銀。これは対応に向かう位置。それでもって残った東はオブシディアン」
が。
「…」
「どうした?」
「はまらない」
「えぇっ!!?」
はまる、といっても形状がはっきり現れているわけではない。
くぼみの部分に触れると勝手に吸い込まれてはまるのだが、オブシディアンに関しては反応が皆無だった。
「何か足りない…?」
「何が?」
「…そもそも「大地の神」とはなんなんだ」
結局謎解きは最初の疑問に戻ってしまった。
全員が一様に顔を顰めて考え込む。
と言っても唸るもの眉を寄せるものただ黙るもの様々だ。
「…他のものは…天体ですわね」
フィリアが呟いた。
「オブシディアンに対応する星って何?」
「僕が知るか」
聞く方が間違っている。
確かにそんなことにまで詳しいリオンはちょっと何かが違う。
は思考を寄り道させてから吹く風の方に顔を向けた。
その向こうには地上で見るよりも透明で深い青の世界が広がっている
「…土星、かな」
「土星?」
「そう、土星。なんか黒っぽい」
「イメージの問題…?」
判定は微妙なところだ。
「他にもこじつけるなら破壊と再生のシンボルでもあるから…「輪廻」にかかる可能性はある。それにこの形って」
「つまりこのリングは土星の輪ということなのだな」
真ん中にセッティングされる球があると踏んで全員で探すことになる。
「…」
「どうした」
みんなが地面や物陰を捜す中、じっと見上げたままの
に気づいたリオンが声をかけた。
あれ、と
が示す樹上には、小さな実がまばらになっていた。
カシスのような小さな黒い実だ。
黒い…
「…ひとつずつ探す気か」
気の遠くなる地味な作業の予感にリオンの顔が渋くなった。
「気は進まないけど、炎の晶術か何かで洗い出せないかな」
「スタン、ちょっと来てみろ」
「?」
呼んだのはスタンだけなのに、全員が集まってきた。
「ファイアボールとかでいいかな」
「壊すなよ」
「鳳凰天駆ーー!!」
たったいまファイアボールと言った彼はなぜか鳳凰天駆でその樹木に向かってつっこんでいった。
「……………………」
「だ、だって晶術より技の方が慣れてるから、うまく行くかな〜って」
誰も聞いてないのに言い訳をするスタン。
焦土と化した一角にリオンが深く溜め息をついたのは言うまでもない。
「自然破壊は頂けないな」
「でもお目当てのものはみつかったわよ、ほら」
複雑な表情を見せた
にルーティが上機嫌で焦げて剥き出しになった石床の上を示す。小さな宝石が転がっていた。
…オブシディアンの耐熱温度がどれくらいか知らないが、熱崩壊させないで良かった。
宝石は親指の爪ほどの球体でリングのオブシディアンにぴたりとはまる大きさだった。
小さな「土星」を
が東のくぼみに収めると、何かの稼動音が一瞬あたりの空気をぶらす様に震わせた。
「で、最後の光ってのは?」
「レイでもかけてみたらどうかな」
「いいんじゃないの?ここ天上都市だし、レンズ反応で」
が水月を左手で抜いて、そのままコアクリスタルを「太陽」に向かってかざす。
晶術を放つ時のように集中するとレンズは感応して淡青の光がコアクリスタルを中心に溢れ、透明なケース越しに金の鉱石に触れた。
「!!」
低い振動と共に正面の壁が口を開ける。
2mほど丈夫にあるその入り口の前には支えの無い透明な階段のようなものが現れる。
天上都市らしい仕掛けだ。
その先は、這う木の根の主の部屋だった。
主とは巨大な樹木。
屋内であるが、やはり広場のように広大な敷地で作られたその奥に聳える木々の行く手は、遮るもののないよう天窓…というにも広いスペースが開けられて いる。
手前部分だけが人工的に仕切られた庭、と例えた方が早いのかもしれない。
両脇を覆う壁に沿うように水路が渡され、どこかはわからないどこかへ流れ込んでいる。
やはりその壁にも窓が開けられ柔らかな光が帯になって草色で覆われた足元に落ちていた。
しかし、何より彼らの目を奪ったのは正面にある巨大なレンズ。
「ここ…」
が呟くと同時に喜びの悲鳴を上げたのはルーティだった。
「何あれ、すごーーい!!ざっとみつもって300万ガルドの価値はあるわね」
「馬鹿なことを言うな。あれだけのレンズがあるこの場所がどういう場所なのかわからないのか」
「どういう場所なのよ」
二人の態度は対照的だった。
一気にテンションの上がったルーティに対してリオンの表情は警戒するように険しくなる。
ウッドロウがはっとしたようにレンズを幹に抱く大樹を見上げた。
「まさかここが…」
「守護竜の、いや、クラウディスのコントロールルームかも知れんな」
ここは科学の駆使された天上都市。長閑さはフェイクでしかない。
これほどのレンズがある場所だ。なんらかの動力になっているのは確かだった。
「そう、そのとおりだ。ここはクラウディスの中枢だ」
「!」
いつからそこにいたのか、リオンにすら気づかれないほどの気配でその男はそこにいた。
「久しいな。少年たちとはチェリク以来か」
「バルックさん…」
悠然と、バルック=ソングラムは入り口から歩み寄る。
窓から入る光と影が、交互にコントラストを描きながらその姿を徐々に近づける。
その精悍な顔は敵意もなく、自信にあふれたように笑みを浮かべていた。
「イレーヌはお前たちを止められなかったのか」
「…」
沈黙に何があったのかを悟る。
聞いたその表情も一瞬だけ沈んだ。
「バルックさん…守護竜を止めてください」
そう、無理を承知で言い出したのはスタンだった。
「それはできない。君たちだとて、力づくで私を止める覚悟で来たのだろう。特にリオン、君はそうでなければここにいるわけはない」
「あぁ、そのとおりだ。生憎僕たちには時間がなくてな」
強い意志を宿した視線がぶつかりあい、リオンの手がシャルティエの柄に伸びる。
それを知ってか知らずか、その空気に横槍を入れたのはやはりスタンだった。
「バルックさん…俺はあなたのことをいい人だと思ってました」
「恐縮するが…私はこういう人間だ。善いも悪いもない」
チェリクに設立された基金。イレーヌと同じように弱者の救済に砕身していたバルック。
イレーヌが理解を示したにもかかわらずあんな結末を迎えたせいだろう。
スタンはどうしても納得できない顔で退く気はないようだった。
「私はこれでも表裏のない人間のつもりなのだが…そう思われたのならばそれが私の人となりと言うものなのかもな」
ふと笑みを落として、対峙するその真ん中を何事も無いかのように通り抜け、柔らかな木漏れ日の差し込む大樹へ続く階段に、歩を向けるバルック。
影を通り抜け、日向に出た背にスタンは問いかけた。
「バルックさん俺はあなたと戦うことを望んでなんかいない」
「それは私とて同じこと」
「じゃあなぜ、こんなことをするんです」
「こんなこと?」
再び間があった。
「しょうがあるまい。これは私の使命なのだから」
使命。
まるでリオンと同じ事を言う。
使命以外の何者でもない。感情など関係ない。
だがそこにはリオンとは違う、バルックのヒューゴへ対する確かな忠誠が覗いていた。
「バルック、あなたが今までしてきたことは本心じゃなかったの?」
日向と影の境界に立ったルーティから苦々しい声が漏れる。彼女らしからぬ暗い顔だった。
イレーヌのしていることは金持ちの道楽にも見えていたのかもしれない。
彼女は孤児として施される側に自分の立場を投射することが出来たのだから。自立に対してプライドの高いルーティであれば間違ってはいないとわかりつつ も反目も尚更だ。
しかし、チェリクで自らも慎ましく病人、老若男女差別無く働くバルックには一目置いていたようだった。
「本心?」
バルックは背中で振り返っていた歩を再び階上へ進ませながら静かに笑う。
「私は今までずっと自らの本心に従って生きてきた」
部屋の周囲を廻っている水流が、時折光を反射してあちこちに光の揺らめきを投げかけている。
ちらちらと、光はバルックの強面にも映りこんだ。
「それはこれからも変わりはしない」
「それじゃああなたの作った基金って一体なんだったのよ!?身寄りのない子供たちのための施設を作ったり災害救助のために義援金を送ったりしたことっ て一体なんだったのよ!」
静かな緑の空間に、ついにルーティの叫びが放たれた。
「それも私の本当の気持ちだよ。
弱者を救うというのは社会通念として正しいことだと思っている」
「だったら今やってることは何!?
あんたの目は節穴なの?地上の様子が見えてないって訳じゃないでしょ!」
「今、世界は病んでいる。それを癒すには痛みを伴う荒治療が必要なこともある」
「…そんなの、間違ってる」
変わらないバルックの口調にルーティは握った拳を戦慄かせ呻くほかは無い。
バルックは瞳を細めてシステムブレイカーでもある巨大なレンズを見上げた。
「人の思いはそれぞれだからな。君の言い分を否定はしないさ」
真に信念を持つものと言うのはこうなのだ。
決して押し付けがましくはしない。
そういったものも当然あるのだと受け入れた上で自らの想いを貫く。
それが、強さでもある。
「だからわたしも持論を曲げないし、曲げさせはしない」
「許せない…」
「君のように私を恨むものは少なくないだろうな」
「そうじゃない」
ルーティは強くかぶりを振った。
「わたしね、世の中ってロクでもない奴らばかりだけど中にはあなたのように尊敬できる人もいると思ってた…
そんな自分が許せないのよ」
「私の全てを否定するようないいようだな。一時の感情に流されると判断を誤るぞ」
「これ以上の悲劇を望まないだけよ」
「悲劇か」
バルックはふと遠い目をしたがそれはスタンたちから見えるすべはない。
大樹を振り仰いで彼は木漏れ日を瞳に映した。
おそらく、過去を語るのははじめてなのだろう。
全てを語らずともその声には深い回顧の意が滲み出ていた。
「私は君がどんな境遇に生まれ育ったのか知らないが、私とてはじめから順風満帆の人生ではなかった。
むしろ、多くは辛酸と苦渋を交互になめるような人生だったよ」
おそらくは、イレーヌとは違う生き方。
それがルーティに共感を覚えさせた彼自身の纏う空気でもあるのだろう。
スタンとイレーヌが理想において理解しあえる仲ならば、ルーティとバルックもまた語れば現実において解りあえる関係を築けたのかもしれない。
「私はヒューゴ様に出会うまでは社会の底辺の住人だった。
だから世の中にはもっと酷いことが存在することも知っている」
「それでも…人と人は理解しあえるものですわ」
黙り込んでしまったルーティの次に言葉を継いだのはフィリアだった。
「確かに、そうかもしれんな」
体ごと振り向いたバルックの瞳は、かつてオベロン社の人間として並んでいたリオンの姿を映す。それが一瞬だけ笑むように細められたのは気のせいのよう なものなのかもしれない。
「個人同士ならばあるいはそうなのかもしれない。だが、人間を集団としてみた場合、その見解は必ずしも正しくない。
現実として世の乱れは甚だしいではないか」
「だからといってあなたのやり方は看過できるものではありません」
「そうかもな…」
「わたくしにはあなたの心の声が聞こえます。本当は罪の意識に際悩まされているのでしょう?今からでも遅くはありません。神は罪を告白するものを拒ん だりは致しません」
苦笑するバルック。
その言葉を聞いて眉を潜めたのは
のほうだった。
それも事実なのかもしれない。けれど、彼女のような人間はどう足掻いても理解できないこともある。
時として、属するものは自らの信奉が第一と勘違いしがちだが、そのものが大きな盲点を作り上げることもある。
人は違うのだ。
異質な相手を認めることができる人間に、理解を示さず自らの側に属させようとする主張は穿き違えというもの。
バルックは揺れるはずもなかった。
「確かに心が痛くないといえば嘘になる。大義のために大虐殺者としての汚名は拭いようはないからな」
「今からでも遅くはありません。神は罪を告白するものを拒んだりは致しません」
「もう禅問答はやめろ、フィリア」
止めたのはリオンだった。
「そう。残念だが、私は無神論者だ。まして人間が捏造した神に疑いもなくその身を捧げる神官の言うことなど大事には聞こえない」
「な、なんということを…」
「私のために死した人々には謝罪の仕様も無いが、神などと言う無為なものに赦しを請おうなどという気はさらさらない。君のような生き方を否定しようと も思わんがね。さぞかし…知らぬということは心地よいことなのだろう」
「バルック…」
その言の葉の意味を捉えたリオンの瞳が、暗い髪の下でわずかに歪められる。
知っていることの辛さ。
抱えたまま進むには相応の覚悟がいる。
そうして結ばれた覚悟は容易には変えられない。
リオンもまた、それを知っている。
「私は君らのように前向きに生きている人間が好きだよ。残念ながら私と君たちではその方向が少々違った。それだけ…ただそれだけだ」
もういいだろう、と呟くとバルックは小さなリモコンを取り出した。
その手元で電子音が跳ねる。
こちらからはオブジェの陰になってみえない、その裏側で機械の起動する音が響いた。
「守護竜をここへ呼んだ」
「!」
「残念だが、クルーザーは破壊させてもらう。ダイクロフトへは行かせない」
「バルック!!」
リオンがシャルティエを抜いて臨戦態勢に入る。
ウッドロウが続き、ためらいながらもスタンもディムロスを抜いた。
「評価は結果によってのみ決定される。これ以上、問答する余地はない」
「な、何!?」
ふいに地面が揺れた。
いや、揺れたように思えただけだ。緑が波打つように蠢くと、土を割って触手のような個体が数体首をもたげた。
「アースワームか…気をつけろ、ヤツは蟲使いだ!」
「それより制御装置を…!」
カウントダウンが始ってしまった。
守護竜がここへたどり着けば浮遊クルーザーが破壊される。
守護竜を破壊させないためにバルックがいる。
どうしなければならないのかは必定だ。
『なんとか隙を見て破壊してください!』
「スタン君、制御装置を破壊するんだ!!」
天蓋のように頭上から影を落としたワームに弓を番えたウッドロウの腰でイクティノスが叫び、ウッドロウが復唱する。
「そうはさせん!」
装置のあるだろう大樹へ向かって走ったスタンの前にバルックが立ちふさがる。
バルック自身は拳の使い手だ。
剣が相手では圧倒的不利にも思えるが、振りかざす時間差のない分動きは早かった。
「ぐあっ!」
思いのほか長いリーチにスタンが階下に吹き飛ばされる。
アースワームを一体撃退して、その下に来ていたリオンは危うく巻き込まれそうになったが横から迂回するようにして一撃を放つとバルックは手甲でそれを 止めた。
力の差は否めない。リオンは押し合いになる前に素早くシャルティエを引いて着地様晶術を放つ。
「グレイブ!」
「っ!!」
下級晶術は威力が無いが殆どタイムラグ無く放てる。リオンのように前衛で物理的な攻撃と複合させるには向いている。バルックは足元から突出した刃に足 を取られそうになりながら辛く逃れる、その隙を突いて
が階段を駆け上がった。
「させるか!飛虫!」
「
!」
階段の上に駆け出て振り返る。
蜂のような虫の一群がざわりと枝葉を揺らして現れ、迫っていた。
一体一体はさして大きさもないが数が多すぎる。逃げられない。
悟った
は銃を握った右手を襲ってくる虫に向け、左手は水月の柄を強く握る。
銃はトリガーを引けばそれでよい。
ショットシェルが正面から迫った虫の羽を落とし、残った飛虫は次のタイミングで放たれた晶術に落とされた。その内のいくつかはうち漏らしたが、攻撃を 掠めるくらいで剣と、ルーティの放ったアイシクルでなんとか殲滅した。
集中攻撃を回避したその姿にほっとしたのも束の間。
「!!?」
再び背を向け制御装置に駆けようとしたその背中から予想外の速さで捕まえたのはバルックその人だった。
左の手を掴まれたと思えば次の瞬間には首に太い腕を巻かれ絞められる。
一瞬吊り上げられるように呼吸ができなくなったがそれも次の瞬間には緩く開放された。
「全く、油断ならないお嬢さんだな…」
ものすごい力だ。バルックにしてみればほんの少し抑えている程度なのかもしれない。
けれど、到底振りほどけそうもなかった。
「
!」
「バルック!
を離せ!」
「らしからぬ物言いだな、リオン。大人しくしてくれれば誰も命を取ろうなどとは言わない」
ぬかった。
人質にとられる形になってしまった。
ワームを倒したルーティたちも見上げるようにその眼下に集ったが罵るだけで動こうとはしなかった。
「守護竜がクルーザーを破壊するまでの辛抱だ。それが終わったら君たちには地上に帰ってもらうことにしよう」
「はっ!随分親切ね。でもそんなことすればまた私たちはここに来るわよ!?どんな方法でもね!」
「それは楽しみなことだな。せいぜい新しい世界の礎になってしまわぬよう生き延びることだ」
「…っ」
バルックの手がコントローラーを握り指示を飛ばしている。
おかげで
の両手は開放されたが水月は足元。
辛うじて使えそうなのは銃くらいだ、が。
「おっと、不用意に動かないでもらいたいな」
弾倉に触れたところで、すばやく右手ごとのど元に引き上げられ再び呼吸を一緒に締められてしまう。
「それが、あの時の銃とやらか…だが、その威力ではここからあの装置は狙えないな。ほら、お目見えだぞ」
空の彼方で咆哮が響く。
飛行竜よりスマートな、ドラゴンそのものと言った姿の青竜がまっすぐにこちらへ向かって来ていた。
バルックが小さく笑う。
すぐにドラゴンの強大な翼は風を連れてきた。
「…く…」
こんな時、どうするべきか。
生憎と「私のことはいいから」などと陳腐な言葉を吐く気はさらさらない。
は、不自由な右手を思い切り傾けると…
トリガーをひいた。
ガウン!
「!?」
何事かとバルックの手が緩まる。
抜けられるほど甘くはない、けれど二度三度と続けるには十分の甘さだった。
「く、この…っ」
時間差で、ボンと鈍い音が響く。
今の弾は先ほど虫たちを落とした拡散型ではない。
離れた機械に対して、十分な貫通力を持つスラッグショットだった。
制御装置に異常を察したバルックは
を突き飛ばすようにして開放し、装置へと駆け寄った。
同時に、スタンたちが階段を上がってくる。
その間も、
は咳き込みながらトリガーを引き絞る。
ガン!
バルックの横を掠めた弾はついに煙を上げさせた。
「大丈夫!?」
さきほど飛虫にかすめられた腕の傷をルーティがすかさず癒してくれる。
うずくような痛みの感覚は残っていたが、傷は消えた。
バルックは制御装置の前でパネルをたたいていたが、ついにその両の手が拳として握られ悔しそうにたたきつけられる。
『破壊に成功したようですね。早くここから離脱を…!』
「離脱?」
イクティノスの言葉がわからず復唱したスタンだったが、リオンははっと顔を上げ、せまる守護竜の姿を認めた。
「逃げろ!守護竜が来るぞ!」
「だ、だって制御装置は壊したはずじゃ…」
「だからだ!制御不能に陥っている!」
南西の空から影はぐんぐんとスピードを増して迫っている。一直線に、だ。
もはや目的地はどこかわからないがこのままでは間違いなくこの場所を掠めていく。
「バルック!」
リオンはそれでも彼に声をかけたが、バルックは苦々しそうに制御装置をみつめたまま動こうともしなかった。
「来るぞ!」
「きゃああ!!」
悲鳴を上げて建物のほうに駆け込む。
最後にウッドロウが、元来た通路へと駆け戻った、その瞬間。
守護竜は轟音と共に天蓋と、左右の壁を瓦礫にして巻き上げ、体躯の一部を眼前に晒した。
崩れてきた天井の合間にスタンたちが最後に見たものは墜落する機体のようにゆるやかに、けれどなす術もなく通り過ぎていく巨大なドラゴンの体躯と、轟 音に紛れた咆哮。そして何者かの断末魔だった───…
