これら全ての始まりは
--ACT.13 ヒューゴ=ジルクリスト
ベルクラントの発射口からの侵入。
一見自殺行為のようなこの方法は意外にも問題はなかった。
メンテナンス用にだろう、巨大な剣を模した先端に当たるその部分には小型艇の発着場がありダイクロフト内部に向かって通路巡らされている。
仮にベルクラントが起動したとしても、避難所にあたる場所はありそうだ。
ただ、ベルクラント内部を移動する必要はありそうだった。
内部は当然、エネルギー射出のための中央が空洞化している。
見上げれば何層にも重なる空中回廊がその高さを示していた。
「なんだか…嫌な感じ」
いつ発射されるかわからない。そんな不安感もある。
膨大なエネルギーの残滓は、未だそこここにたゆたって暗い空間に宇宙を髣髴させる光景をもたらしていた。
まるで、沈黙の海───
人の長居するべき場所ではない。
無重力エレベーターを何度も乗り継いでようやくたどり着いた石模様を象った床の上でスタンは大きくため息をついた。
「…テクノストレス?」
「…って何」
「別に」
戯れはそこそこに一本道を進んでいく。
まだベルクラントの整備区域なのだろう。
区切られた空間はそこここに見えるようになっても居住空間には程遠い。
そんな冷たいコードがのたうつ部屋の入り口で、次のエリアへ続くドアがスライドすると先頭にいたリオンがすばやくシャルティエを抜いた。
ここは敵の本拠地だ。相手の姿が見えなくともそれに連鎖して仲間たちの反応もすばやくなっている。
全員がその姿を確認するより早く、武器を構えると無言でその先をにらみすえていたリオンの向こうから、低い声がした。
「リオン、どういうつもりだ。私に剣を向けるとは」
「!ヒューゴ!?」
部屋の奥に立つその姿から目を離さずリオンがすっと動くと全員が部屋に入る。
ヒューゴは現れたリオンの姿に薄い笑みすら浮かべていたが、その姿を認めるとわずかに瞳を見張った。
背中でドアが閉まり、対峙する形になる。
「なるほど、寝返った。というわけか」
彼は外の動きには一切無関心のようだった。
この分だと、イレーヌやバルックが果てたことも認知の外だろう。
余裕の表情で困ったような顔を浮かべすらするヒューゴに噛み付いたのはルーティだった。
「何が寝返ったよ。あんたのしていることに初めから協力するやつなんてここにはいないわよ!」
「ほう?実の父でもか」
「!」
リオンの顔から一瞬血の気が引いた。
反目しながらも従わざるを得なかった彼にとっては、言われたくもない台詞だ。
ルーティにとって自分を捨てたのが父という人であるならリオンにとってはひたすらに駒にされるためだけに存在した人間…
表面上がどうあれそれが血の繋がった人間であればそう簡単に割り切れるものではないだろう。
ただ押し黙るリオンとは対照的にルーティは心の底にわだかまっていたものを吐き続けている。
「何が父よ、あんたなんか父親だなんて思ってないわ!私を捨てて、リオンをいいように動かして…私たちはあんたの人形じゃない!」
人気の無いベルクラントの通路内に声は尾を引いて余る。
肩で息をつくほどに激昂した彼女は乱れた息を繰り返した。
スタンがその隣に歩み出て、まっすぐにヒューゴを見据える。
「ヒューゴさん…バルックさんもイレーヌさんも、…レンブラントさんも死にました」
「それがどうかしたのかね」
「!!」
スタンはそれで、彼を説得したかったのだろう。
けれど余裕はそのままにそういった声に、一瞬呆けた後、眉を寄せて叫んだ。
「どうしたかって…なんとも思わないんですか?志をともにした人たちでしょう?!みんな最後までヒューゴさんのこと、信じてたんですよ?!」
「信じるか信じないかは本人たちの決めること。私の知ったことではない」
「なっ…」
それも承知の上。
ヒューゴの顔には底冷えするような笑みが浮かんでいる。
言葉を失ったスタンたちの代わりに、暗い顔でわずかに俯いていたリオンが顔を上げた。
何かを吹っ切ったような確固たる意思を込めた瞳で。
「無駄だ。こういう人間なんだ。昔からな」
「父に向かって酷評だな」
「父親らしいことなどしなかったくせに今更だな。僕はお前を父などと思ったことはない」
「私の後継者として相応しいように育てた。剣術も、学識も、全てお前のためだ」
「お前の駒としてのな」
リオンの声は揺れてはいない。
にらみ合うも、ヒューゴはやれやれ、と吐息しただけだった。
6人を相手にしても絶対的な自信を抱いているかのように。
「そのとおりだよ。お前は実に有能な駒だった」
「貴様…っ!」
風を切る音がした。
次の瞬間、シャルティエの鋭い一撃がヒューゴを横なぎに襲う。
挑発だということはわかっている。
逆を言えば挑発に乗ってもリオンは戦いの最中に冷静さを欠いたりはしない。それが天賦の才能でもある。
けれど予想外の素速さでその一撃はかわされ、薙ぎ、避け、それを数度繰り返し…
ギィィン!
甲高い音が鳴ったかと思うとヒューゴは渾身の一撃を取り出だした剣の刃で受け止めた。
黒い刃。幅広の、生体のようなデザインを模した…
『あれは…』
『ベルセリオス!!?』
ソーディアンたちから一様に驚きの声が上がる。
長い黒刃は僅かな曲線を描いた刀身で淡い照明を鋭利に反射してみせた。
剥き出しのコアクリスタルは他のソーディアンよりも水月に近い。
けれどそのソーディアンはどのソーディアンとも違う様相を呈していた。
力で押し合っても競り負けるだろう無意味さを悟ってリオンは後退する。
「ベルセリオス?!あの残る最後の一本のソーディアンか!」
『そうよ、天地戦争時代に死んでしまったはずだった』
『どうして…どうしてベルセリオスがここに…!』
ウッドロウが怪訝そうにヒューゴが胸の前にかざして見せた大剣を見やるとアトワイト、そしてディムロスが己に向けるように呻いた。
イクティノスとクレメンテもそれぞれのマスターの手元で密やかに動揺を囁きあっている。
それも途切れると空調だけが動く音が刹那、空間を占めた。
「くく…ベルセリオスは私の計画に賛同してくれているのだよ」
晶術が発動する予兆。
コアクリスタルに集う晶力を感じて全員が身構えた。
「きゃあっ!」
「っく!!」
次の瞬間、闇色の刃が床から突出する。
それは後衛にいたフィリアと
を襲った。
「
、フィリア!!」
部屋はさほど広くは無い。もっと大きな晶術を使われたら全員が巻き込まれただろう。
まだほんの小手調べと言うことか。
「…嘘」
「何が嘘というのかね。君は古の知識が多少なりともあるだろう。この力を目の当たりにしても本物のベルセリオスかどうかわからないか?」
「そうじゃない」
辛くもシャドウエッジを避けるのと同じ要領で刃を避けて膝をついた
が、晶術の掠めたマントを払うようにして立ち上がった。
隣には腕を痛めて床にうずくまってしまっているフィリア。
ヒューゴは毅然と顔を上げる
を面白そうに眺めている。
「ハロルド=ベルセリオスがそんなことをするわけはない」
「…言いたい事がわからないのだが」
カツ、とブーツの底が硬い床を叩いた。
その言葉の本当の意味を悟ったのは、リオンだけだった。
ベルセリオスのオリジナル、ハロルド=ベルセリオス。
今ならば、その人となりはよく理解しているつもりだ。
「言葉のとおりです。「それ」はベルセリオスの意思ではないんでしょう?」
「だとしたら晶術が使えることにはどう答えるつもりだね」
彼らの問答には沈黙しているベルセリオス。
そう、それ自体が不思議なのだ。
ベルセリオスの人格はハロルド。
そのソーディアンは「死んだ」と言うが、ソーディアンの死はコアクリスタルの欠損を意味する。晶術が使えるということはつまり…完全な破壊は成り立っ
ていない証拠でもある。
しかし、そこに「いる」のはハロルドではない。
コアクリスタルに投射された「誰かしら」の人格と目の前に居るヒューゴが繋がっているのは確かであろうが。
それに…
「さぁ?でも、こういうことをしているのもヒューゴさんの意思ではないのでしょう?」
「…?」
ここへ来てはじめてヒューゴの顔から笑みが消えた。
訝しがるように形の良い眉が寄る。
けれど同じ顔をしているのは、ヒューゴだけではなかった。
仲間たちですら、
の言っていることは理解できず、同じように様子を伺っていた。
「彼」は、ヒューゴ=ジルクリストではない。
カーレル=ベルセリオスによって打倒された天上王ミクトラン。
1000年の前から我が身を貫いたベルセリオスのコアクリスタルに潜み、そうして今、長年の願いを成就させようとしている。
ヒューゴ=ジルクリストの体を長年の仮宿として。
それが一連の事件の真相だ。
「何…?
、何を言ってるの?」
ルーティが耐えられずに聞いてくる。
ここへ来て対立しながらも長らく求めていた肉親だ。
彼女にしてもそう簡単に捨てられるものではないのだろう。
はヒューゴの深い紫闇の瞳から目を放さなかった。
それは賭けのようなもの。
知っていればこそ、抱いていた可能性でもある。
ヒューゴ=ジルクリストをベルセリオスの支配下から解放できないか。
ルーティとリオンの父親だということもある。けれどそれ以前に…
おそらくは、ヒューゴ本人だとて本来は優しいだけの人なのだ。
ソーディアンの資質を持つ者。
それは本来、人間として大切なものを心の底に湛えている人々なのだから。
スタンもルーティも、フィリアもウッドロウも、
そして、リオンも。
それぞれが人々が忘れて久しい強さと優しさを抱いている。
ベルセリオス…否、ミクトランにのっとられたのは彼の弱さなのかもしれない。
だが、それでもチャンスがあるならば───…
「あなたはヒューゴ=ジルクリストではない」
「…」
そう言った瞬間。ヒューゴの顔から一切の表情が消えた。
それは感情が消え去った印でもある。
それでも
はその正体を口にはしなかった。
今、その存在を指摘してもヒューゴと言う器から出て行くことは無いだろう。
そうなればなったでヒューゴは格好の人質になり得るわけで。
リオンにとってもルーティにとっても知らずに戦うより尚、最悪の結果になりかねない。
だから、言わなかった。
「娘、何を知っている?」
感情を消した瞳はすっと細められ
口調が、そしてまとう雰囲気ががらりと変わった。
「全てを」
「やはりあの時に殺しておくべきだったな。いや、今死ぬことには変わりはないが」
ベルセリオスが水平に突きつけられた。
異様な殺気を帯びて再び晶力が渦を巻く。
その変化に誰しもが異様さを察し、スタンも動いた。
「でやぁ!」
「邪魔をするな!」
「ぐわっ!」
気合と共に放ったディムロスの一撃は恐ろしいほどの力で撥ねられた。
掻い潜ってリオンが孤を描くようにシャルティエを振るう。
ウッドロウもようやく手に馴染んできたイクティノスで鋭い突きを繰り出した。
しかし。
「ザコが何人かかっても同じこと」
学者とは思えぬほどの剣の力量でことごとくはじき、再び晶力を集わせる。
「下がってろ!」
詠唱を遮るようにリオンが割って入る。
ヒューゴの力量をリオンは良く知っている。
リオンの剣士としての技量が確立する頃、直々に技の一つを叩き込んだのも彼自身であるのだから。
「お前は私には勝てん!」
食い下がる最中、ガードロボットが二対現れウッドロウとフィリアはそちらに手を裂かれることになる。
『いかん、晶術が来るぞ』
ヒューゴが大きく奥へ続く扉の前に跳び、着地と同時にその口元が術の発動を命令した。
「っきゃああ!!」
炎が部屋を覆う。そして凍てつく嵐が、切り裂く風が。
悲鳴を巻き上げたディヴァインパウアは最後に爆発を起こして収まった。
「…リザレクション!」
危うく倒れかけた仲間たちを瞬時に晶術が癒す。
食らったダメージが出血性の怪我によるもので無いので体力の喪失感は大きくない。
そうして彼らは焦燥感を抱きつつも再び対峙することになる。
「さぁ、そろそろ頃合か」
余裕を取り戻したヒューゴはうっすらと笑って両手を掲げるような仕草をした。
剣を交わしたのはまだほんのわずかな時間だが、圧倒的な力の差はそこにいる全員の顔を見ればわかることだった。
けれど、誰も諦めてはいない。
もまた同じだった。
例えばそれは、まだ残された可能性。
ヒューゴを解放できないかと言うのは難しいことだったのかもしれない。
けれど、同時に湧き出していたもうひとつの疑問。
もしもコアクリスタルが生きているのだとすれば…当然に生じる矛盾。
本当に
あのハロルドが
生きる意志をなくして
ミクトランのされるがままになるのだろうか?
「ハロルド!ハロルド=ベルセリオス!!」
ふいに叫んだ
にソーディアンマスターたちの視線が集まった。
そればかりではない、ミクトラン…ヒューゴもまた驚きの色を隠せず見開いた瞳に
の姿を映す。
「いるんでしょう?!目を覚ませ!ハロルド!!」
「『…っ!!』」
びくり。
ヒューゴの体が一度だけ震えた。
更に大きく開かれた瞳はここにいる誰をも、どこをも見ていない。
硬直したように、ただ呼吸だけが続く。
『…………
…?』
小さいが、それは確かに女性の声。
誰もが耳を疑った。
それはここにいる誰のものでもなかった。
ソーディアンたちでさえもう聞くことも無いだろうと思っていたはずの声だった。
その声に、はじかれたようにヒューゴの瞳に鋭い狂気が戻った。
「貴様ぁ…っ!!!」
目の前にいたスタンでもリオンでもない。
ヒューゴは獲物に狙いを定めた猛禽類のようにベルセリオスまっすぐに
に躍り掛かる。
無防備な
の頭上に強靭な刃が猛スピードで振り下ろされた。
が。
「退け!邪魔だ!!」
「退くのは貴様だ!」
次の瞬間、ベルセリオスの黒い刃をシャルティエとアトワイトが、
リオンとルーティがソーディアンを交差させるように受け止めていた。
そのまま渾身の力をこめて撃ち返すリオン。
その隣ではアトワイトの晶術が発動を待っている。
「タイダルウェーブ!!」
「ぐわぁ!!」
ヒューゴの体は幻のように現れた波に飲まれて背後のドアにたたきつけられていた。
それは一瞬の出来事で。
「『く…』」
ふらり、と額を片手で抱えながら立ち上がったヒューゴの口からもれた声は、明らかに他の男の声と重なっていた。
その男の声はソーディアンと同じ、空気を震わせずとも意識に直接響くもの。
先ほど、確かに聞こえた懐かしい声とは違う。
『これはどういうことなんだ!』
ディムロスが耐えかねたようにヒューゴへと言葉を放つ。
だが、ヒューゴはひどく忌々しげな表情を向けただけで超速で詠唱を開始した。
狙いはまたしても
。
気づいたリオンがさせまいとすかさず床を蹴る。
「リオン!ベルセリオスを撃って!!」
その背中に叫ぶとリオンは視線だけで振返って頷く。
皮肉なことにまともに動けるのは決意を持ったリオンとルーティだけだ。
スタンたちは度重なる事態にどうしてよいのかわからずなりゆきを見守る他はない。
にのみ狙いをつけた執拗なほどのヒューゴの詠唱が終わるのとほぼ同時だった。
「『くっ…!』」
また、あの男の声がして一瞬の詠唱の途切れ。
そして、乾いた金属音がフロアに響いた。
ヒューゴの手を離れ、床を滑るベルセリオス。
「あ…」
ベルセリオスを遠くにはじき飛ばすと同時にあれほどに支配していた狂気の色が、ヒューゴの瞳から消え失せた。
代わりに呆然と開かれた瞳に戻っていく感情の色。
リオンは確かに、それを見た。
目前でぐらりと前のめりに倒れ込んでくるヒューゴの体を思わず空いた手で受け止める。
支えきれずにその場で座り込む形になった2人の元に
が、ルーティが駆けつける。
「ルー、ティ……リオ…」
狂気の去ったうつろな瞳で彼は2人を見上げた。
「と…うさん?」
思わずルーティが呟くとオベロン社総帥として見せたことも無い苦笑めいた優しい笑みがその口元に浮かぶ。
それだけだ。
それだけでルーティは理解した。
それが彼女の父親であるヒューゴ=ジルクリストであるのだと。
けれど、一歩が出ずに彼女は震える指先を上げたり下ろしたりするだけだった。
スタンたちも戸惑いながらもそれを見守った。
はその向こうにベルセリオスを伺い見る。
『スタン、ベルセリオスを確認してくれ…!』
事態が飲み込めず焦らされるようにディムロスが促す。
まだ何も終わってはいない。
同じくそちらを振り返ったリオンの視線も、部屋の反対側へ飛ばされた黒い大剣を見て警戒の色を浮かべた。
少なくとも、元凶があのソーディアンであるということだけは理解できる。
『少々、予想外だったな』
その声はベルセリオスから発せられた。
「!」
男の声だ。
ヒューゴよりは1トーン高い、スタンたちには聞き覚えのない声。
ソーディアンとマスターたちの見ている前でベルセリオスは空へと浮かび上がった。
ゆらり、と闇色のオーラが揺れる。
その隣の空間が蜃気楼のように揺らぎ、気付けばその柄を若い男のしなやかな指先が握っていた。
長い金色の髪が彩るのは白く冷たい頬。
ソーディアンにとっては忘れがたいその顔。
『ミクトラン!!!?』
「久しぶりだな、ソーディアン諸君」
はっきりと肉声を発したのはベルセリオスではなくミクトランと呼ばれた男の方だった。
「姿を現すには時期尚早である気もするが…まぁ良い」
『どうしてお前がここにいる!』
「せっかくその男の命が助かったのだから、聞いてみたらどうだ?もっとも、生きおおせたところであまり長くもなさそうだがな」
「…父さん!?」
ミクトランは実体化している。
それがどんな因果なのかはわからない。
一方でヒューゴの消耗が激しいのは目に見えて解った。
それでも、今しがたよりは大きく息を整え、はっきりとした発声を試みる。
「あれは私が17年ほど前に発掘した。だが、その頃から意識をのっとられ…」
すまない、と喘ぐようにヒューゴは言った。
「私はこのベルセリオスに身体を貫かれ、息絶える寸前に精神をコアクリスタルに移したのだよ。1000年…長かった」
『また、天地戦争を繰り返すためにか!』
「戦争は繰り返されない。現に地上世界はもう終わる。なんの反撃も出来ずにな。すぐに新たな時代が幕を開けるだろう」
『そんなことに何の意味があるの!?あなたに理想郷は築けないわ!』
「その通りだ。理想郷などいらぬ。地上人は果てるがいい」
『なんていうことを…』
ソーディアンが次々に天上王を罵るが、もはや彼は聞いていなかった。
身体のないソーディアンチームなど取るに足りない。
そう言って笑った。
「いずれお前たちも終わりだ。最後にいいものを見せてやろう。この先の部屋に来るがいい」
ミクトランはそういって陽炎のように姿を消した。
「…まさか…ミクトランとは…」
『いつまでもここにいるわけには行かないわ。早くとめなければ…!』
「でもヒューゴさんを置いていくわけには…」
ウッドロウがじっとりと冷たいものが背に這う気分を味わいながら息を呑んだ。
アトワイトが先を促す。
すぐそこに天上の王は居るだろう。
スタンは連れて行くことも難しいことを知りながら、ようやく自分を取り戻すことの出来たオベロン社総帥の姿を見た。
「いや、足手まといにはなりたくない。行ってくれ」
それに…
ヒューゴはどこか弱々しい笑みを浮かべて言いかけたことを飲み込む。
かぶりを振ってから
「
くん、すまなかった」
なぜかそう言った。
謝罪されるようなことがわからない。
まるで、逆に見透かされた気分を味わいながら
は一呼吸置いて首を振る。
「待ってて!すぐにあいつを倒して迎えに来るから」
もうすぐだから。
すぐそこだから。
ルーティが先に進むことを決めていままで見せたことも無いような真剣な顔で言った。
お父さん、という言葉を改めて口にすることはできないにせよ、彼女の表情は確かに肉親を気遣うそれだった。
「あぁ、待ってるよ」
その言葉を聞いてルーティはようやく頬を緩ませる。
「気をつけて行きなさい」
奥に続く扉がシュッと軽い音を立ててスライドした。
ルーティを先頭にスタン、ウッドロウ、フィリアと続く。
そして、遅れて
と最後にリオン。
黙って彼の姿を見下ろしていたリオンは扉を抜けてから隣に居る
に…顔は合わせずに小さく呟いた。
「
、…ありがとう」
「うん。良かったね」
それはおそらく初めて彼の口から聞く感謝の言葉。
その状況に対して名残を惜しんでいる時間がないのが、残念だった。
ミクトランのいる部屋には通路をふたつほど抜けて辿り着く。
そこがベルクラントの中央制御室だと言うことは嫌でも理解できた。
周囲に浮かぶスクリーンには空と大地が映り、ベルクラント外部の様子があらゆる方向で確認できる。
いくつかのモニターで地表は遥か遠くだったが、緑が見て取れるものもある。
正面のスクリーンに、その内のひとつが切り替わって映し出され、それはゆっくりと地表をなぞる。
クレスタの街のすぐ南。ダリルシェイド北の山岳地帯。
いずれも巨大なクレーターが大地をこそぎ落とし、荒れ果てた表面を晒している。
『これほどに大地を抉り、なお破壊を望むのか!』
「望んでいるのは破壊ではない。創世だ」
ディムロスの声にミクトランは口元を歪める。
「破壊からこそ新たなものは生まれ来る…とはいえ、外郭を形成するのに地上の全てが代償と言う訳ではないからな。まだ親切な設計だろう」
ミクトランの身体はこちらを正面に向いたまま。
だが、装置の上のパネルが一斉に押下され、見えない手に動かされるように蛍光色の軌跡を描き出す。
『何をするつもりじゃ!』
「まぁ見ていろ」
急くソーディアンを笑い飛ばすようにミクトランが瞳を細めると、あの音がした。
ベルクラントの起動する予兆する、あの音が。
「まさか…」
制御室内部にもエマージェンシーにも似たブザーがけたたましく鳴り出す。
発射のインフォメーションと、続くカウントダウンは無機質な女の声が告げていた。
スクリーンに映るベルクラント自身に光が纏わり駆け上る。
一瞬だけ、スクリーンの動力が落ちて制御室は色を失った。
ゴゥン!
ベルクラントが、放たれる音。
おそらく、映像が落ちたのは光に焼かれるのを避けるためなのだろう。
再び、スクリーンが中空にポップアップするとそこには巻き上げられる土砂と、一瞬にして深い爪痕を刻まれた大地の姿があった。
ダイクロフトが…天上都市群が揺れる。
おそらく、天上にとって最後の「地震」
スクリーンに映る地上は、あたかも急速に落日を迎えたかのように見る間に闇色の世界に落ちてゆく。
そして
「そのまさかだ。地上は闇に閉ざされ新たな天上世界がはじまる」
外殻は完成した。
「ミクトラン…っ」
ディムロスを気合と共に振りかぶろうとしたスタンは、次の瞬間雷撃をくらったように床に倒れ伏した。
彼だけではない。
次の瞬間、全員が悲鳴を上げてふっとばされていた。
貫かれるような痛みが、体中を駆け巡る。
「せいぜい新世界の礎になるといい」
『いかん、切り離されるぞ!』
ミクトランの姿が、唯一外の状況を伝えるスクリーンが嘲笑と共に掻き消えた。
同時に制御室の動力がすべて、沈黙する。
クレメンテの言うことは咄嗟には理解できなかったが、ガクン、と一段大きく空間が揺れて言葉の意味を悟った。
———ベルクラントが、ダイクロフトから切り離される。
生存?
悪いがこの状況では絶望的だ。
ここが成層圏にしても高度は14,5kmといったところか。
海面に落ちたとしても堅固なベルクラント自体が無傷だとしても、おそらく重力加速度も加わって中の人間は無事にすむはずがない。
おそらくはベルクラントの結合部を解除する音。
それが死のカウントダウンのようにひとつずつ振動を伝えていた。
「っ!」
「
!?」
脱出する時間など無論あるはずがない。
踵を返した
の行く手はさきほど通ったばかりの部屋だった。
「この揺れは…」
ヒューゴ=ジルクリストは壁に背をもたれたまま無機質な天井を見上げる。
長年海中に眠っていたにもかかわらず傷ひとつない天井は、土埃を降らせるようなこともなかったが、そうしていると振動は感じられた。
「ベルクラントが…切り離されようとしているのか?」
ようやくおぼつかない足取りで立ち上がる。
その時、がくん と床が大きく下がった。
その日、世界は闇に閉ざされ
巨人の剣は天から
深い海底へと没した──…
