--ACT.16 最終局面へ向けて
任務を完了して城へ帰るとスタンたちはすでに帰ってきていた。
移動距離にしてアルメイダが最も近い町でもある。
だが、クレスタはダリルシェイドから海を挟んで対岸。
オベロン社のクルーザーを貸したので任務の完了はそれこそあっというまだったらしい。
「シエーネの方に進展があるみたいよ。あんたたちが帰って来たら全員で一度来てくれって言ってたわ」
久々の帰郷と、故郷を守れたことでかルーティの表情は少し明るい。
休むまもなくリオンと
は彼らと共にシエーネの元へ向かった。
「お、来たな」
相変わらずぞんざいな口調でシエーネ。
変わり身にまだ慣れないのかスタンが難しそうな顔をした。
客間は、ジャンク部品の散らばったテーブル周辺以外は手入れが行き届いていて花瓶に活けられた花の香りが漂っていた。
「例のものはできたのか」
「概ねOKだ。あとは大仕事だから、作業員でも借りることになる」
「で、なんなのよそれは」
シエーネの手元にはちょうど手のひらを広げて同じ大きさくらいの銀の基盤にはまるレンズらしき物体がある。
「これか?これは集積レンズ砲のコアだ」
「「「集積レンズ砲?」」」
いくつかの疑問の声が重なった。
フィリアが腰をかがめ、メガネを押し上げるようにして覗き込む。
「どういうものですか?」
「多数のレンズエネルギーを束ねて発射する装置…レーザー砲みたいなものか?」
にとってはわかりがいい例えだが、どちらかといえば大砲という言葉のほうがなじみがいい世界。
この場合大砲と言うと貧相そうなので敢えてそちらにしたのだろうが、むしろスタンたちにとってはイメージしづらかったらしい。
「?」
「つまりベルクラントの超小型版、ってことでしょ」
「そう、その通り」
が言うとすでにベルクラントの脅威は承知済みの彼等は納得したらしい。
それなら外殻も破壊できそうだ。
見えてきた希望に、スタンたちは顔を見合わせ頷きあった。
場所はそのまま会議室へと移る。
今度は城の人間を入れての打ち合わせだ。
七将軍と技師の数名が列席した広く清潔な会議室は厳つい空気に包まれていた。
シエーネは先ほどスタンたちに話したことをそのまま繰り返してから正面の壁に張られた図面を振り仰ぐ。
ただでさえお堅い場所は慣れないだろうに、そうそうたる顔振れに彼は端から見る分には立派な助手を演じている。
「外殻が破壊できると言うのは確かなのか」
「通常出力を臨界時の70%と仮定しても十分可能な試算結果が出ています。あとはここから本体を組み上げる技術力の問題ですが…」
思わぬところで役に立っているリトラーの「教育」。
は彼の努力に密かに苦笑を禁じえなかった。
むろんそんなことは知らないスタンはドまじめな顔でわからないだろう説明を聞いている。
…寝てしまわないか心配だったがさすがにそれどころではなさそうだ。
「我が国の技術力を信用してください」
レイノルズと呼ばれた技師が答える。
それに難色を示したのはルウェインだった。
「しかし、その技術力の多くはオベロン社のものだ。オベロン社は今…」
「城の人間で足りなければそのオベロン社の技術員を投入すればいい。王命では動揺を招きかねませんが僕か総帥の名前を使えば問題ないはずです」
語尾を濁した将軍の言葉にかぶせる様に継いだのはリオンだ。
「人員の確保はお任せしても良いようですね」
「であれば、そう時間はかからないと思われます」
シエーネが漂う決定を察したのか応じるとレイノルズが続けた。
元はといえばミクトランのもたらした知識が、こんな形で使われることになろうとは皮肉である。
しかし、ほっとしたのも束の間、レイノルズの言葉に安堵する人間もいれば切迫した状況故にその物言いに不満を感じる人間もいるのも確かだった。
控えめながら拳がクロスのかかったテーブルを押し付ける音が響いた。
「推測で話をするのはやめろ。思う、ではアテにならん。正確な時間で応えるんだ」
「よせ、アスクス。一刻を争う事態だと言うことはわかっているだろう。口論しているヒマがあったら開発に着手すべきだ」
「それはそうだが…」
七将軍のリーダーでもあるドライデンに制止を受け、アスクスは眉を寄せたまま言葉を沈ませる。議場の上にいたドライデンはそのまま、全員を見渡すよう
にして、その視線を同じ七将軍の一人に止めた。
「我々には時間がないのだ。ルウェイン殿、貴殿に開発の指揮をお願いしたいが?」
「技術的なことは何もわからんが、それでもよいのか?」
戸惑いというよりは念を押すような声音でルウェインは問い返した。何もわからないのであれば人を動かす折衝役にしかなり得ない。
将軍と言う地位はそれには十分なステータスだが、果たしてそれで指揮となりうるのか疑問だ。
とはいえ、他に指揮を取れるような人間はいない…
ドライデンがもう一度答えを繰り返そうとしたその時。
「その役、私に仰せつかりたい」
会議室の入り口から何者かの声がした。
「! ヒューゴ=ジルクリスト!?」
振り返れば、半ばドアにもたれるようにしてヒューゴが立っていた。
まだ体調が戻らないのだ。その顔色はお世辞にもよいとはいえない。
今や彼の身の上に起こった経緯は、ここにいる誰もが知っていた。けれど誰もが動揺を隠せぬままオベロン社総帥にしておそらくは現状において最も世界の
理に近いであろう科学者である彼を見る。
少し考えた後にドライデンは決を出した。
「適任だ。ならばルウェイン殿は計画のまとめ役として、ヒューゴ殿は技術の指揮官としてついていただきたい」
「わかった、引き受けよう」
「各自、集積レンズ砲の開発に全力を尽くしてくれ」
なすべきことが絞られ、それに向かって動くのが全てとなった今、誰も異論を唱えるものはいなかった。
それぞれが会議室から早足で去っていく。
ほぅ、と深いため息が壇上のシエーネから聞こえた。
「大丈夫?お父…さん」
残ったルウェインの後から慣れない呼び名でおずおずとルーティが近づく。
ヒューゴは青白い頬に薄く笑みを浮かべると娘の頭に手を置いた。
「学者と言うのは意外に体力を使う仕事でな。何、これくらいのことなら問題ない
それに、これほどのものがあるのに参加しないなど名折れだろう」
「…根っからの学者と言うわけだ」
肩をすくめるリオン。
誰が彼に向けて微笑むヒューゴなど想像しただろう。
細められたヒューゴの瞳は優しかった。
「さぁ、お前たちにもやることがあるだろう。マスターとして恥じないよう頑張りなさい」
「あ、それから」
シエーネの口調はヒューゴとルウェインが去るや途端に戻っていた。
「集積レンズ砲で外殻を完全に消し飛ばすことは出来ないから」
「何ですってぇ?!」
せっかくの感動の場面の後であるのにあっけらかんととんでもないことを言い出すシエーネ。
動揺をあからさまに声にしたのは会議室に居残ったルーティだった。
黙っていればシエーネは間違いなくウッドロウあたりに一喝されたろう。
そんな大事なことをなぜ解散前に言わないのだ、と。
しかし、そもそもあれほど強大な外殻を全部吹き飛ばせると思う方が間違っているのでごく一部、数にすると約二名が涼しい顔をしている前でシエーネは悪
びれる様子なく続けた。
「天上にもう一回上がってミクトランを倒さなけりゃならないわけだ」
「望むところだ!」
元凶を断つには結局のところ、それしかない。
ミクトランのいる、神の眼の在るダイクロフトへ行かなければ。
拳を握ってやる気満々のスタンにシエーネは口の端を吊り上げて笑みを浮かべてみせる。
「でも、どうやって…?もし外殻の一部を壊したとしても…ラディスロウは使えませんわ」
「外殻自体の重さで高度が下がってる。今なら飛行竜でも乗り込めるだろ。で、もうひとつ、リトラーさんから伝言があって…」
壇上から降りてきたシエーネは見渡すようにマスターたちを眺めた。
「研究所へ行ってソーディアンを第二形態にしろ、とのお達しだったよ」
「第二形態?」
『要するに我々も進化をすると言うことだ。ベルセリオスを見て気づかなかったか?』
ディムロスが会話に割り込んでくる。
強大なベルセリオスの力。
けれど、ベルセリオス自体に遭遇したことのないスタンたちにわかるはずもないことだった。
「まぁ…見た目は変わらないみたいだし…」
ため息と共に
がディムロスに向かって呟くとそうか、と彼も冷静さを取り戻す。
「第二形態のソーディアン…それがあればミクトランにも勝てるんだな!」
「なくても勝つのよ」
「ないと困るけどな」
出鼻を挫くようなシエーネの言葉にうっかりルーティの拳が飛びそうになる。
振り向きざま辛うじて堪えたルーティを前に、シエーネは広げた両の手のひらをあわてて振って見せた。
「いや、そういう意味じゃなくて…
そうしないと神の眼が破壊できないんだってよ」
「!」
驚きはソーディアンたちからも飛んだが、明らかに意味が異なっていた。
それはただミクトランを打倒する戦いでは想定されていなかった力。
遠い未来に神の眼を破壊するために開発されたもの。
それ以上のことはわからないといった様子のシエーネを見てリオンが続ける。
あまりにも静かな声でとうとうと、彼は語った。
「そもそも1000年前に神の眼を破壊できなかったのは、ソーディアンの力そのものが足りなかったせいだ。そのソーディアンの研究施設というのは戦争
が終わってからこういう日の為に作られたものなんだろう」
ソーディアンの生まれた場所は、ファンダリアの西。
いつか見た歴史的瞬間に思いを巡らせながら
は予感した。
その先にある、もう一度巡るだろう別れを。
今のスタンたちがそれに気づく由はない。
『そんなところだ。研究所はアルメイダの北、山の中にあったはずだが…今なら見えるだろう』
山であった場所がベルクラントにより吹き飛ばされたため見えるようになったらしい。不幸中の幸いと言っていいのか、微妙なところだ。
「じゃあ僕らは城で待機する」
「ってパワーアップは!?」
あっさりマスターとしての団体行動を蹴り飛ばされ、スタンは思う様リオンを振り返った。
ふっとどこか嘲笑するようにリオン。
「シャルはオベロン社によってすでに手が加えられている。お前らのソーディアンとは格が違うからな」
こんなところで遊び心を起こしておちょくらなくてもいいのだが。
「そうなの!?ずっるいわねぇ」
「しかし、だとしたらそちらを使えばいいのではないか?確認の取れていない施設を使うよりも…」
『残念だけど、僕のデータで僕用にしか研究されてなかったから無理だね、それは』
とこちらもどこか楽しそうにシャルティエ。
『すっっごく痛いから覚悟しておいたほうがいいよ。僕も死ぬかと思ったし』
『シャルティエ…お前な…』
そういってかの突撃兵ディムロスを不安に落とす偉業を1000年越しで成し遂げることも忘れなかった。
* * *
ソーディアンマスターのいなくなったダリルシェイドで、リオンが何をしているのかと言えば実はレンズの収集に奔走していた。
集積レンズ砲のエネルギー源として必要な多量のレンズ。
オベロン社の備蓄は全てミクトランが天上へ持ち去ってしまった。けれど流通ルートに乗っていたものはかき集めれば相当の量になるはずだった。
「足りそうか?」
「うーん、もう少し欲しいところだな。…コアクリスタルとかあると完璧なんだが」
「…」
中庭の噴水を壊して建設されている集積レンズ砲。
その脇の仮設研究所に集められたレンズを前にシエーネが顎を撫でている。
冗談なのだろうが何やら危機感を抱いて
は腰に下げられた水月を思わず退いてしまう。
リオンも嫌そうな顔をしていた。そんなことはそっちのけなシエーネ。眺めていた青淡の透明な微光をまとう山から視線を二人に戻して言った。
「劣化クリスタルでもあればな」
「劣化クリスタル?」
にとって聞き覚えの無い言葉だった。
リオンが珍しく漏れた素人じみた発言にちょっと意外そうな顔をしているとシャルティエが教えてくれた。
『劣化クリスタルはコアクリスタルになれなかったレンズのことだよ。純度が足りなくて人格を宿すには使えなかったんだ』
「ふーん、プロトタイプの失敗作ってわけか」
「へ?」
シエーネから見れば誰も何も言ってないのに口を開こうとしたところで
が応えたのが不思議だったようだ。リオンが「ソーディアンと会話中だ」と言い切った。
リオンからのお墨付きが出たのでシャルティエは続けていた。
『でもコモンレンズよりものすごいパワーがあるからあればまぁ安心だろうね』
「へぇ〜…でもそういうのが残ってる場所って決まってるんだろうな」
「例えば?」
「物資保管所とか」
行ってみる価値はありそうだが何も無かった時の時間のロスは痛い。リオンはデメリットを天秤にかけてから首を振った。
なんだかわからないシエーネに今のやりとりを説明してから聞いてみた。
「じゃ、ヒューゴさんに聞いてみようよ」
「おぉ、それは名案だな!」
「…」
指揮官であるからその辺りにいるだろう。しかしリオンは少々複雑そうな顔を見せている。
駄目だということではなく…彼自身、まだどう接していいのかわからないのだろう。
無理もない、長らく上司と部下と言う関係だったのだから。戸惑いを抱くのも当然。まして彼のような自立心と自尊心の塊のような人間であれば。
「一緒に行く?」
「お前が行ってこい」
時間が必要なのだ。彼らにはゆっくり家族になって欲しい。
無理に誘うことはせずに
は1人で行くことにした。
屋外に出ると拍子抜けなほどあっさりとヒューゴの姿はみつかった。今に限らずここを通れば実はいつも目と鼻の先にいる。
書類を片手に青いオベロン社の制服を着た作業員に指示を出している姿は、ミクトランがいなくなってもオベロン社総帥なのだと認識させる。
のっとられていたとはいえ長年の立ち居振る舞いは経験として成り立っているのだろう。
「ずっと見てきた」ことは彼自身の口から既に聞いていた。
「ヒューゴさん」
「
君か、どうかしたのかね」
「ちょっとだけいいですか?」
作業の人員の輪からはずれて
は劣化クリスタルのことを聞いてみた。
「劣化クリスタルか…屋敷にもあったはずだが、私が知っていると言うことはミクトランも知っているだろう。期待しないほうがいいな」
「あっ」
我ながら馬鹿だとは思った。
コモンレンズを持ち去るくらいなのだから劣化クリスタルを知っていて見逃すはずはない。
顔から火が出るような失態である。
「す、すみません〜」
これが他の人間であれば大したことでもないが大げさに狼狽している
を面白そうに見ながらヒューゴは笑顔を浮かべている。
どうやら微笑ましかったらしい。
「ははは、不思議なものだな」
「はい?」
「それは私とミクトランを完全に別の個体として視ているということだろう?事実を知ってしまえば…むしろ、もっと簡単に気づくはずだよ」
そのとおりです。別物だって知ってたので完全に見落としてました。
…とは言えずにただ苦笑する
。
「申し訳ありません、お時間をとらせて」
「いやなに、ところで…あの子は?」
謝罪の礼をするとヒューゴは言い淀んでからそう言った。…こちらも抵抗があるらしい。
エミリオ、と呼んでいいものかそれともリオンと呼ぶべきなのか迷っているきらいがあった。
「頑張ってますよ。…名前、呼ばないんですか」
「…さんざん突き放していたのだ。どうにも…都合のよい父親のようでなかなかな」
「お察しします」
苦笑するヒューゴに応えて同じように笑う。
けれど、そのどうしようもなく繊細な配慮の仕方が良く似ているようで、あまり安易に使いたい言葉ではないけれど…
やはり親子なのだな。と思った。
劣化クリスタルの在り処は結局収穫なしだった。
代わりにオベロン社の保有するクルーザーや工場の動力源になっている純度の高いクリスタルを根こそぎ流用することにして落ち着いた。
「集めれば集まるものだな」
「もともとミクトランの知識がもたらした副産物なんだから…何か複雑だね」
「立っているものはサルでも使え」
何か違う。と思いながら集積されたレンズに満足そうなシエーネの言葉を右から左に流す。
彼は軽い足取りで次のプロジェクトに移るべく去っていった。
「意外と向いてる…?学者」
「現場向きのな」
白衣姿で研究者に混じってしまった姿を見送ってからリオンと
も歩き出す。
レンズの収集がひと段落着くと、特にすることはなくなってしまった。いや、塀の外のモンスター退治だとかは際限なくあるのだが。
「他に何かできることあるかな」
「そろそろ次のことも考えねばな」
「次のこと?」
嘆息したリオンの横で
は視線だけを彼に向ける。
「外殻が落ちた後のことだ」
『今からそんなこと考えてちゃ、気が重くなりますよ』
マスターの心労を少しでも和らげようとシャルティエは微苦笑すら伺える声でささやいた。
「まぁ、ちょっと気は早い気もするね」
「お前の口からそんな言葉が聞けるとはな」
常に先の先を見て歩んできた
。
今はどこを見ているのかわからない。
もちろん、知っている史実を離れてしまった彼らの行く手は暗中模索になるだろう。けれど、知ってしまっているよりは良いことなのかもしれない。
「だって、どうなるか全然わからないから」
にとっても、「知っている」歴史からは既に程遠いところにある。
未来は何一つ見えないのだ。
それは、ずっと前から変わらない事実でもあるが…
体験の伴わない知識は手の内を離れ…けれど着実にそれに代わるものが積みあがる。
それでも言えることが同じなのは積み重ねてきたゆえの自信なのかもしれない。
「やるべきことだけわかってればきっと、今は十分だよ」
今はもうひとつの山を超えなければならない時なのだろう。
他のマスター同様、まずは空を取り戻すことに集中すべきだ。
「歴史のベクトルは、必ずしも私たちの知っているとおりになるとは限らない」
「そうだな」
変える為に、断ち切るために、
そして、未来へ繋げる為に
そうして、今を生きていく。
* * *
「どうだった?」
「そりゃもう、凄かったよ!手にした瞬間に何か違う、ってわかるくらいでさ!!」
『本当に死ぬかと思ったがな』
ソーディアン研究所から帰ってきて興奮冷めやらぬ様子のスタン。その顔には気力が満ち溢れている。
第二形態のソーディアンを手に入れたマスターたちは王から決戦に備えた休養を言い渡され宿へと撤収した。
誰に言うでもなくぶつくさとディムロスがいまだにぼやいているあたり相当のものだったのだろう。イクティノスを除いたほかのソーディアンからも苦笑の
ような気配が漏れている。
「これでミクトランとも戦える!」
意気揚々と決戦を宣言したスタンの横で、ルーティはむしろ機嫌の悪そうな顔をして瞳を眇めるようにしていた。
どうしたのかと聞くと「こんな状態で休めるわけない」と苛ついた口調で返ってくる。
休息のために割り当てられたのは「ベルベットガーデン」。
ダリルシェイドでも最高峰に位置する宿屋だ。
王城にひけを取らない豪奢な装丁のその部屋には、わざわざ宿に泊まるまではないとヒューゴ邸に戻ったリオンを除いた全員が集まっている。
いつもなら特上の待遇に嬉しい悲鳴のルーティだが、今日に限ってはそれどころではないようだった。
『でも、ずっと行ったり来たりだしルーティだって疲れているでしょう?』
「疲れてなんかいないわよ!」
アトワイトの気遣いにもそんな調子で返してしまう。
邪険ではないが、贔屓目に見ても気丈というにも微妙な様子だ。
立っていた
は手近な窓枠に腰を預けて、少しだけ困った顔をした仲間たちの顔を見渡した。
「怒りっぽくなるのは疲れている証拠だよ。ゆっくり眠れと言うのは難しいかもしれないけど、体だけでも休めておかないと」
「正論だな。急いてはことを仕損じる、ともいうからな」
再び流れ出した時間に、ウッドロウは呼吸を緩めて微笑んだ。さしものルーティも
に言われては黙るほかはなかった。
代わりに声を上げたのがスタンだった。
ゆっくりと柔らかなベルベッドの椅子に体を沈めて、小さく吐息をつくとふと、翳りを落としたウッドロウの様子に正面から覗き込むように問いかける。
「?どうかしたんですか?ウッドロウさん」
「色々考えることがあってな」
「どんなことですか?」
とこれはフィリア。
ウッドロウは一度閉じた瞳をゆっくりと開け、再び淡い瞳でスタンたちを見る。
「そうだな、近い未来について、かな」
「え?」
やはり彼も人の上に立つ者なのだ。
この戦いが終わったとて失われたものが戻ってくるわけではない。何が起こるのか知っていても知らなくても、頭の痛くなる話だ。
それらを取り戻すにも長い時間がかかることだろう。
けれどそれをここで言っても仕方のないことを知っているウッドロウは「いや」と苦笑で紛らわせてスタンたちを撒いていた。
「我々ももう休もう。ようやく全てが終わるのだ。万全の体勢を整えておかねばな」
そして各部屋に分かれてみるものの…
落ち着けるはずもなかった。
全ての準備が整い、集積レンズ砲は明日にも完成される。
シエーネは今頃、最後の作業に追われているのだろう。それぞれの役割がそこにあった。マスターの役目といえば今は体力を蓄えておくことであるのだが、
こうして起きている時は高ぶる気持ちを抑えても、ベッドに入れば鼓動はゆったりと安眠を誘ってくれるとは思えない。
部屋の中をそわそわとしているルーティの姿を窓越しに見ながら
は暗闇のかなたにうすぼんやりと光を放ついくつもの半球を眺めていた。
部屋は男女で分かれたので今いるのは
とルーティ、フィリアの三人だけ。
フィリアは沈みそうなソファにちょこんとかけてルーティを眺めている。
「ルーティさん、少し落ち着いたらどうですか」
やがて目の前を往復されることに疲れたのか、苦笑するようにそう言った。
あまりに豪華すぎてくつろげるのかは微妙な空気を味わいながら
は窓辺で頬杖をつきながらそれを背中に聞く。
「落ち着けるわけないでしょ!こんな時に」
「そうですか?」
ある意味大物だ。
しかし、フィリアも天然でなく時折確信的にそういう態度を取ることがある。今がそれのようだった。
「落ち着かれないのでしたら…スタンさんたちの部屋にでも行ってみましょうか」
「だっ、誰があんなやつのところに…」
にこにこしながらフィリア。
なんとなくついていけない会話の流れを感じながら振り向く。渋い顔をしたルーティの姿があった。
「ってあんた、スタンのことどう思ってるのよ」
とこれはルーティ。
おそらくは前々から聞き出したかったことに違いない。便乗した感がある。
「どうって…」
「大体」
ほとんどハモって二人はそれぞれに評価を開始した。
「とんでもない田舎者だし」
「正直で純朴だったり」
「何かに夢中になるとほかは何も見えなくなる…」
「ひたむきで一生懸命ですし…」
「なんでも抱え込んで厄介ごとを持ち込むし」
「責任感の強いところとか」
「…ふっ」
「ちょっと
。何笑ってんのよ…」
リオンのような笑い方をしてから耐え切れずに「くくっ」と声を押し殺している
の背中にルーティのバツの悪そうな声が届く。
それから彼女は恥ずかしさを無理やりフィリアに向けなおしたようだった。
「どうしてそうやっていい方に解釈したがるわけ?」
「ルーティさんが悪い方に解釈しているだけですわ」
「そ、そんなことないわよ」
いつにないフィリアのまっすぐな姿勢にルーティの方が退いてしまう。
いつから彼女はこんなに強くなったのだろう。フィリアは静かにひざの上に組まれた自分の手の上に視線を落とした。
「ねぇ、ルーティさん。人ってどうして素直になれないのでしょうね?」
「さぁ、知らないわよ」
「ほんの少し素直になれればずっと楽になれるのに…」
「どうせあたしは素直じゃないわよ」
ルーティが自分を認めた瞬間だった。
フィリアが視線を上げて拗ねるようなルーティと目が合うや、にっこりと微笑んだ。逆にルーティは視線を逸らす。
「ちょっと出かけてくるわ」
「はい」
パタム。と幾分思いやりを込めてドアが閉まると
はフィリアを振り返った。
フィリアはじっと扉をみつめたままだ。
「……どうして素直になれないのか、…なかなか的を得た疑問だね」
おさげを揺らして振り返る。
その言葉尻に乗るようにクレメンテがささやいた。
『全くじゃ…人のことが言えた義理ではないと思うがのう』
「し、知りませんわ」
先ほどの堂に入った表情はどこへやら。今度はフィリアがうろたえる様にして顔を赤くする。
それから、ちらりと
の方を視線だけで見上げた。
彼女にしてみれば、見透かされているような恥ずかしさでもあるのだろう。けれど
が何も言わないでいると元通り姿勢を正して…それから少し考えるようにして聞いてきた。
「
さんは?」
「?」
「どう…思います?スタンさんのこと」
何のことはないただ会話を続けているだけだ。
そんななんでもない空気をそのまま受け止めて
は首を捻った。
聞かれれば聞かれたことを考える。そんなこと言われても答えは期待されるほどのものでもない。
「…うーん…大馬鹿者、かな」
「…」
ここにリオンが居たら鼻で笑いながら「全くだな」くらいは言ったろう。だが、フィリアはフォローの言葉もなく先を詰まらせている。
…フォローも出ないのは酷いのではないかと思いながら、それはそれ、これはこれ。
思うが侭に続けている
。
「馬鹿にはいいバカと救いようのない馬鹿がいる。スタンは…前者」
どうしようもないお節介で、田舎者。
人を騙すことを知らなくて思ったことにはひたむき。
足元が見えない崖の上でも夢見てる。
…そんな人間の代名詞と言ったらそんなものだろう。けれど、不思議と憎まれるようなものではないその馬鹿さ加減。
ルーティが言ったなら素直でないと言われるだろう表現も
にかかるとまったくそのままだった。
フィリアもぱちくりとしてから遂に口元を花のようにほころばせた。
「…ふふ、
さんらしい表現ですわね」
「リオンやウッドロウのような先を見据える人間がいるなら、そういう人も必要なんだよきっと」
世の中に要らない人間なんていない、などという安っぽいことを言うつもりはない。
けれどスタンのような人間が、このパーティには必要なのは確かだった。
そんなスタンが現れたのはそれからすぐのこと。
彼も眠れないらしいが、ルーティがいないことを知ってなんだかんだと探しに出かけ…
クレメンテに「素直じゃない」と 評されることになった。
「素直になれたら楽かもしれないけど…
素直じゃないから、面白いこともあるのかもね」
