友人で、兄で、弟で…
--Interval.決戦前夜
暗い空。
月の光も、星のさざめきも見ることが出来ない、漆黒の夜。
小さなランプの明かりだけが頼りだった。
調度品も少なく、飾り気のない部屋…
久しぶりに戻ってきた自分の部屋でリオンは闇に沈む窓の向こうをみつめている。
『坊ちゃん…』
昼と夜がいつ訪れているのかもわからない。
遂にそんな日が訪れてしまって数日後、
いつまでも眠ろうとしないマスターにシャルティエは小さく呼びかけた。
と言っても、続く言葉があるわけでもない。
イスに腰掛けて、見るともなしに頬杖をついて外を見ていたリオンはそれでようやく意識をこちらへと引き戻した。
薄暗い部屋の中、静かに視線だけがソーディアン、シャルティエへと向かう。
コアクリスタルは闇の中でもなお輝きを宿して見える。
『何、考えてるんです?』
あまりにも静か過ぎる彼の視線に、シャルティエは少しだけはにかむような声で聞いた。
明日はダイクロフトへと突入する。
いわば、今日は最後の夜だ。
彼も、彼のマスターもそこで何をすべきか…理解していた。
ミクトランを倒す。
けれど、それだけでは終わらない。
神の眼を破壊する。
神の眼を破壊するために、ソーディアンは犠牲になるだろう。
スタンたちはまだ知らないことだ。
シャルティエ以外のソーディアンが、謀っている唯一の真実。
訪れる現実を前にして、語ることもないマスターに、シャルティエは語りかけた。
『眠れないならたまには、僕の話、聞いてもらえます?』
ようやく彼のマスターは身体ごと向き直る。
ベッドサイドに立てかけてあるシャルティエに向かって口を開いた。
「なんだ」
『僕はね、ずっと坊ちゃんと一緒だと思っていたんですよ』
「…」
言わんとしていることがわからない。
リオンは、怪訝に…というよりどこか困惑した表情でシャルティエをみつめかえす。
こういう形で別れを切り出すのであれば聞きたくは無い。おそらくはそんな気持ちでもあるのだろう。
けれどシャルティエはそういったことではない事実を、ただ続けた。
『僕は他のソーディアンとは違います。多分…。ディムロスたちは天地戦争時代から使命を第一にしている。それこそ存在意義みたいに。けど、僕は…それ こそディムロスたちに会う前から、坊ちゃんがセインガルド王国で上り詰めていくさまを一緒に見ることになるだろうと思っていたんですよ。使命なんて、 どうでもよかった」
「…」
他のソーディアンとソーディアンマスターの関係とは明らかに違う関係を、複雑難解な環境の中でシャルティエとリオンは築き上げていた。
『坊ちゃんのお父さん…あ、今はミクトラン、って言った方がいいかな。彼が坊ちゃんに僕を与えて、それから坊ちゃんは物凄い勢いで剣の腕を上げてセイ ンガルド王国の客員剣士になった。きっとあのまま行けば七将軍になる日も遠くはないだろうって」
「…残念だったな、その前にこんなことになって」
『だからちゃんと聞いてくださいよ』
苦笑して皮肉そうに唇の端を歪めたリオンに懐古するように穏やかだったシャルティエの声は拗ねるような声になる。
それでリオンの表情は素直な苦笑になった。
鋭さのない空気にかまけて悪かった、と言われるとすぐに機嫌を直してシャルティエは続ける。
『ヒューゴさんが何を考えてるなんて僕にもわかりませんでした。でも、坊ちゃんに会ってから僕にはもうそんなことどうでも良くなってた。
僕は…僕のことを存分に使ってくれるマスターに会えて嬉しかったんです。
…オリジナルの僕は…実を言うと、あまり力を発揮できませんでしたしね。いつも疎外感に際悩まさ れて…だからですかね、使命とやらに疎かったのも』
シャルティエは遠い目をしたようだった。
リオンは線の細い、金色の髪の青年の姿を思い浮かべる。
幹部に抜擢されるにはまだ若かった。
実力はあっても彼は萎縮してしまった。
それは、仕方のないことだったのだろう。
史実ではなくリオン自身もジューダスの目を通して垣間見た印象でもあった。
『だから僕は、そのまま坊ちゃんの上り詰めるさまを見ていこう、って思っていたんです』
シャルティエはソーディアンの一員ではなく、自らのために生きる新しい道を選んでいたのだ。
時期がずれていたならば、そういうことになっていたかもしれない。
ヒューゴはリオンを駒として育てていたが、彼自身にはそういった力も資格も備えられていたのだから。
きっとそんなふうに自分と共に上り詰めていくマスターの姿を見るのが、彼にとっては喜びだった。
『けど、ディムロスたちに会ってそれが変わった』
それは回顧。
ディムロスたちに会わなければ、全てがシャルティエの描くとおりだったろう。
彼らにとっての運命の輪は、あの時廻り始めてしまった。
それとも、運命の歯車が狂った瞬間、というべきだろうか。
ともかく今にして思えば…全てがソーディアンの集ったその時からが本当の始まりだったようにも思える。
天地戦争時代を忘れていたシャルティエは、再びその渦中に放り込まれた。
マスターと共に。
「…後悔しているのか?」
夢を語るように嬉しそうだったシャルティエの口調が途端に沈み、リオンは静かに尋ねる。
シャルティエはあわててそれを打ち消すように元の少し高めのトーンで否定して、笑った。
『まさか。おかげで僕は彼らと対等になれましたよ。…ようやく、ね』
「そうか」
本当にようやくだ。
こうしてソーディアンとソーディアンマスターは再びそろい結局のところ、全てが使命に沿って動いている。
それはシャルティエにとって正直、幸か不幸かなのは微妙なところだ。
それでも、1000年前とは違う結末が…仲間との関係がここにできあがっているのは確かだった。
『でも、みんなマスターに嘘ついてたでしょ。ずっと任務のことは黙ってた。グレバムを追う時も隙あらば破壊しようとか」
「お前は全てを僕に話したな」
『えぇ、僕たちのすべきことが彼らとは違ったせいもあるかもしれません…でも、坊ちゃんのこと一度も謀ったりしなかったこと。僕の誇りでもあります』
「…」
そう言ったシャルティエの声は自信に満ち溢れていた。
リオンは面と向かって言われ、直視できずに僅かに視線を逸らす。
シャルティエの忠誠心は、他のソーディアンにはないものだ。
おそらく、どのマスターとソーディアンの関係とも…違う。
それでいてただの、主従関係でもない言葉で表すのは難しい間柄。
『まぁ、それはいいんです』
他に言いたいことがあるのかシャルティエは軌道を修正した。
『僕が話したいのはそうじゃなくって…僕の、ささやかな夢。聞いてもらえます?』
「…夢?」
彼らしい長い前振りだったと思いつつ つい、リオンは聞いてしまう。
また、話しは長くなるだろう。
『夢と言うか…だから僕にとって幸いだったことです』
「…」
今度こそ、何を彼が言い出すのか見当もつかずリオンはただ待った。
冷たい風が、窓ガラスを小さく鳴らした。
『確かに、ディムロスたちに会って全て思い描いていたものと変わってしまったけれど…
僕は今、幸せですよ』
闇の中、彼の声は穏やかだった。
「…ソーディアンたちの元に…今度こそ、仲間として戻れたからか?」
『そういう坊ちゃんはマスターたちのところに戻れて幸せですか?』
「僕のことはいい。お前の話だろうが」
幸せでないはずがない。
時折そうして余計なことを言い返して、諌められるのもよくある話だ。
シャルティエは小さく、楽しそうに含み笑いを漏らした。
『それははずれじゃないけど…当たりでもないです』
「…
のようなことを言うな」
『ふふ…そうですね、でもたまにはいいでしょう?』
コンコンコン。
その時、ノックする音があった。
3回。
それが誰のものか察してリオンはすぐに返事をした。
シャルティエは口を閉ざす。
ランプの明かりと共に入ってきたのは…
「マリアン」
ダイクロフトから無事にヒューゴ邸へと戻ったマリアンだった。
彼女は地上に帰るとすぐさまヒューゴ邸へ戻り、マスターたちの帰還を待っていた。
世界が危機に瀕していてもたいていの人間が出来ることは決まっている。
あいかわらずメイド長として働いていた彼女は、今日はこれほど遅くにまで仕事をしていたのかいつもの制服をまとっていた。
見慣れた姿。心配そうな顔で、けれど彼女は優しく微笑む。
「エミリオ、まだ眠らないの?」
彼女は明かりの消えないリオンの部屋の様子を心配して来たらしい。
リオンもまた口元をほころばせ、苦笑するように答えた。
「あぁ…もう少し。考え事を済ましてから休むよ」
「無理しないでね?」
いつもならあまり長居はしないで帰っていく彼女。
退き返そうと裾を引きかけて…それでも躊躇したような顔を見せながら、今日に限ってはもう一度踏みとどまった。
「ねぇ、まだきちんとお礼を言ってなかったわ」
助けてもらった礼。
リオンにしてみれば、そうしたいからしたまでだ。
礼を言われるようなことでもない。
「本当に…危険なところなのに、助けに来てくれてありがとう」
それでもマリアン本人から言われれば嬉しくないわけはなかった。
「君が無事でよかった」
「エミリオ、ありがとう」
マリアンが微笑み、リオンも自然と口元をほころばせる。そんな時、彼はとても大人びて見えた。
未だもって他の人間には見せない素直なやさしい表情。こういう時が「エミリオ」という人なのだろうとシャルティエは思う。
そして、とても幸せそうだ、と。
久しぶりに見やる、マスターとその想い人との束の間の優しい時間。
けれど談笑する彼女を見ながらマスターが別の誰かのことも思い出しているのではないかとシャルティエは思う。
マリアンを助けることができたのは、リオン一人の力ではない。
それはリオン自身がよく理解していることだ。
だから、礼を言われれば必然的に思い出すだろう。
他にも、関わった仲間たちを。
とりわけ、導いてくれたのは───…
「じゃあ、あまり遅くならないようにね。おやすみなさい」
ささやかながらの談笑は終わり、マリアンは部屋を後にした。
再び、静かな夜がやってくる。
『………』
一方の話は駐屯してしまっていた。
リオンはシャルティエがいつ口を開くかと待っていたがいつまでもその様子がないので伺うように視線を送った。
いつもならどうということはないのだが、今夜に限ってはなんとなく頓挫してしまったようなちょっと気まずい瞬間でもある。
シャルティエ自身はなんとなく口を閉ざしたまま、なぜだかまだ眠りたくはない気持ちになっていた。
「シャル?」
『坊ちゃん、もう眠いですか』
「なんだ」
『いえ、眠れないなら…少し散歩にでも行きませんか』
散歩と言うには遅い時間だ。
外殻が空を塞いでしまったために世界を覆う闇の気配は夜のそれよりずっと濃い。
自粛して外へ出るものなどよほどのもの好きくらいだろう。
現にここから見える通りにも人っ子一人見えはしなかった。
「…外に出たいのか」
『えぇ…少し…』
なぜだろう。
それでもでかけたい気になっていた。
なんとなく、幸せそうなマスターを見ていたら、
嬉しいのだけれど寂しい気分にもなった。
闇は濃い。
リオンの足は、どこに向かうでもなく街を歩いていたが、気付けばメインストリートの宿にたどり着いていた。
ダリルシェイドでもっとも大きく歴史ある宿。
城からの計らいで、今日は仲間たちが眠っている宿だ。
「…」
高い場所につけられたガス灯が立派な看板を薄く照らし上げている。
足を止めて見上げて、特に何を想っていたわけでもない。
リオンは再び歩き出そうとして…
「物好きがいたな」
その先の街角の植え込み。
揺れる街路灯の下に、
の姿をみつけた。
…気付けば彼女はいつも一人でいる。
シャルティエはそんな彼女のことを思い出していたのだ。
なんとなくリオンは理解した。
暗い空を見上げる
は笑いもしない。
いつもとは違う、けれどこれが本当の姿なのだろう。
一切飾らない姿がそこにある。
どこか遠くを見るような、常に覆う鮮明さが今は曖昧になり全ての覆いはほどかれていた。
『
…?』
呼んだのはシャルティエ。
静かな瞳が振り返る。
闇の中で尚、黒い瞳。
それがリオンの姿を捉えるとかすかに緩んだ。
初めてそれが、リオンがマリアンに見せる笑みと似ている、とシャルティエは思った。
だから、会いたくなったのかもしれない。
リオンは歩を彼女に向かって進ませる。
いつものマントに代わって羽織っているアイボリーの外套が揺れた。
「こんなところで何をしてる」
何度同じことを言ったろう。
リオンの第一声はそれだった。
「いい夜だね…とはいえないけど」
は空を見上げた。
「この空も見納めかな、と思って」
おそらく彼女が考えていたこととは違う。今思いついた、言葉遊びでしかない。
けれどそれも嘘でないことは確かだった。
本当のことは言わないけれど、嘘もつかない。
彼女はそういう人。
呆れた顔をしてからリオンもまた、空を見上げた。
暗い大地の裏側に、青い宝石が覗いている。宝石がまとう静やかな光は薄ぼんやりと闇の中に曖昧な世界を浮かび上がらせていた。
全ての災厄ではなく、これが純粋にどこかの光景であるならば美しいと言えないこともない。…そんなふうに思う自分は多少なりとも感化されているのかも しれない。
深い吐息は、白い息になって闇に消えた。
太陽の光が届かなくなり世界は急速に体温を失おうとしている。ダリルシェイドもまるで冬だ。
頬で清廉とした空気を感じつつふと
を見ると少し凍えて見える。
当然だろう、彼女は「ちょっと外に出る」くらいのつもりだったのか防寒らしい防寒はしていない。
「…決戦前に風邪でもひくつもりか?」
「あはは、確かに寒いよね。雪でも降ってたらオツなんだけど」
「雪が降ってもその格好でうろついて風邪を引かなかったら馬鹿の証拠だ」
「……………………そうだね」
容赦なく半眼になってリオンは責める。
それから動く様子のない
の隣に腰をかけた。
みつめるのは闇の中。
今はどこを見てもそんなものだ。けれど、視線が曝されてしまう真昼よりは、こういう時はこれでいいのかもしれない。
「お前は…この戦いが終わったら、どうするんだ?」
「…どうしよう?」
はリオンの唐突な問いに、彼の方をちょっと見たがそう淡い笑顔を浮かべただけだった。
「これが終わったら…みんなそれぞれの場所に帰るんだよね」
別離を思うにはまだ早い。
けれど、何も考えないのにも遅い、そんな時間ではある。
「正直、私にとってはみんなと旅をしてる方が落ち着いてた気もするから…居場所があるというか」
「帰ったところで居場所なんて知れたものだ。永遠の別れになるわけじゃあるまいし」
「…それはそうなんだけど…」
それはわかっている。けれどそういう問題ではない。
は喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
帰る場所がないのは、ジューダスたちと旅をした時と同じ。けれど、今度は「ジューダス」は一緒ではない。
帰る場所がないのは、彼女だけだ。
シャルティエはどこかでそれを理解していた。
リオンもうっすらとは感じ取っている。感傷に浸るのは彼女らしくないと話をそらしているだけ。
いや、自分がそんな彼女を見ていたくないだけなのかもしれない。
無作法に触れないのは、彼なりの優しさでもある。
『あんまり、僕に心配事を残さないでくださいね』
唐突に「はぁ」と息をついて割ったシャルティエの声に二人の視線が集まった。
「?」
『
がそんなんじゃ、心配だよ』
「うん、ごめん」
苦笑が返ってくる。
『君、今「もう言わないようにしよう」とか思わなかった?』
「……思った」
素直に苦笑は消えない。
『そんなふうに、1人でやろうとしている人を見てるとね、心配なんだ。
…誰にも理解されない人間なんて、いちゃ駄目なんだよ』
口を開いたかと言えばシャルティエの言うことは珍しくお小言じみた韻を伴っていた。
厳密に言えば少し違う。
は誰にも理解されないなんて卑屈なことは思っていないだろうし、シャルティエも自分のことは棚に上げて甘ったれる人間を更に甘やかしたいとは思わない。
けれど、世の中は時々少しおかしい。
弱い人間ほど過保護にされ、強く見える人間は手を伸ばしてもらえない。そんな構図が出来上がる。
結果、自分で解決する力を持つものは苦しい時でもやりきらなければならなくなる。
できてしまうからますます誰かが手を貸すようなこともなくなる。
そんな循環だ。
人間なんて、誰だって弱さも強さも等しく抱いているはずなのに…
『僕は誰かさんをずーーーっと見てきたからね。そういう人が本当に何を思っているのか、理解されないもどかしさがもう嫌なんだよね』
「おい…」
誰のことを言っているのかは明白だった。
その気持ちは
もよくわかる。
例えば「ジューダス」。
彼はカイルたちに惜しむことなく手を貸していたがそんな彼自身の本当の願いや想いがすべて理解されていたのかは疑問だった。
されなくてもいい、彼はそういうだろう。だからこそ、1人でも理解者がいたら、と思う。
シャルティエの言っているのは多分、そういうことだ。
『結局…似たもの同士なんですよねぇ…会ったばかりの頃ってひょっとして、同族嫌悪ってヤツだったんですかね?』
言いたいことを言っているシャルティエ。
がふっと表情を崩す。
反して渋い顔をしたリオンの横で、声をたてて笑った。
「大体、僕はそんな話はしてないだろうが!」
ついにリオンが反論する。いや、わかりやすく話を仕切りなおした、というべきか。
「お前もお前だ。行く場所がないならダリルシェイドにいればいいだろうが」
「…え?」
「フォルトゥナを生まれさせないと言ったのは誰だ。外殻が落ちて荒廃した世界でお前は行方をくらますとでも言うのか。そんな暗いオチの話など読んでも つまらんぞ!」
『さすが読書が趣味のひとつだけあって言う事がわかりやすいですね』
「…確かに打ち切りの三流小説みたいだ」
だからと言ってリオンが絵本のようなハッピーエンドの小説を好んで読んでいるはずがない。
むしろ、彼はもっと現実的で、暗かろうが明るかろうがきっちりするべきことはする話をお好みだろう。
などと例によって脱線しつつも、それをあるべき方向に修正する。それで言わんとしていることをつなげてしまう辺り、
の推察力は賞賛に値する。
「ミクトランを倒しても…終わらない、って事か」
「理解したならどうすべきかわかるだろう」
「…手伝ってもいい?」
が隣から顔を覗き込むとふん、とリオンは逸らしてしまう。
いつも自分を主役には持ってこない
。けれど、やるべきことはもう決まったようなものだった。
『手伝って欲しいならはじめからそう言えばいいのにねぇ』
「…だからそういう話をしていたわけじゃないだろうが」
ようやく満足そうなシャルティエ。
少しだけ、安心だ。
そうして居場所があればいい。
世界に必要とされる、そんな物語のように大層なものでなくても…目印があれば
はどこへいてもきっと自分で戻ってくる。それがどんなに小さなものでも。
だから、安心。
「じゃあ…まずはダリルシェイドの人も、もしもの時のために避難させなきゃ?」
「どこにだ」
「例えば、地下水路、とか」
「…そうだな、あそこなら城よりは安全だ」
そうして未来への足がかりを作っていく。
少しずつ、少しずつであるが…
歴史は紡がれていくだろう。
* * *
『どうせなら、坊ちゃんもみんなと一緒に泊まればよかったのに』
「騒がしいだけだろうが。僕には僕の居場所がある」
『そうですか、じゃあ早く帰ってあったまりましょう』
夜道を辿りながら、冷え切ってしまったマスターの白い頬を見上げながらシャルティエは言う。
自分から散歩に出たいと言ったくせに早く帰ろうとはどういう領分か。
あっさり風味のその声にリオンは眉を寄せ、無言の反論を繰り出した。
それでも、彼の気に留めていたものがすっきりと晴れたらしいことは伝わっていた。
「気は済んだか?」
『えぇ…
は、なんだかつかみ所が無くて…』
聞いてもいないのにしゃべりだす。
いつものことだが。
『坊ちゃんが見ててくれないとどこかに行ってしまいそうで気になってたんですよ。でも、安心しました』
「これからもっと大変なことになると思うが…のんきなものだな」
『まぁ頑張ってください』
ふふ、と笑いながらあまりにも無責任なことを言ったのでリオンは反論しようとしたが『いつでも見守ってますよ』などと言われ、黙り込んでしまった。
シャルティエは自己完結をしてしまっている。
けれど、なかなかに痛い言葉だった。
ジューダスである時は散々自分が似たような心境であったくせに…おかしなものだ。
「シャル…お前は、幸せか?」
頓挫していた話の続きをリオンは始めた。
『言ったでしょう?上り詰めていくのを見るのが幸せだったけど、今もまんざらじゃない、って』
「まだその続きを聞いていなかったな」
『だから…軍にいた僕が出来なかったことを坊ちゃんがしてくれるのも嬉しかったんですけど…そうでない幸せな気分も存分に味わったってことです』
…頑張っても
ほどに謎かけは上手くない。
リオンがシャルティエの言葉を繋ぎなおしているところへ、答えは降ってきた。
『…今もそうですけど…18年後にカイルたちに会って、あの時僕は何もしゃべれなかったけど、…その分
と坊ちゃんと一緒にいるのは楽しかったんですよ』
「!!」
『ふふ、驚きました?』
「…お前はつい今、マスターを謀らないのが誇りだと言っていたのに謀っているじゃないか!」
思わず叫ぶリオン。
シャルティエはずっと、思い出してはいなかった。
時折交わすリオンと
の言葉に、いつのころからか不可解なものが多くなったと頭を捻っていたが…
アルメイダに向かう天幕の中で聞いた会話。
それを辿るうちに、断片を集めるようにして辿り着いた。
いつ言おうかと思っていたが、リオンと
が、自分が知っているとは知らずに二人でそんな話をするのを眺めるのも嫌いではなかったので黙っていた。
ここぞとばかりに言ったのは…気分の問題だ。
『謀るなんて人聞きの悪い。…ただ、いままではっきり思い出せなかっただけですよ。坊ちゃんが
にそうしたみたいに」
「…」
くすりと気配が笑う。
そんな気持ちが半分、後は言うタイミングと、今は戯れ心を持ってわざと驚かせてやりたかったというところだ。
『それでね、僕は…』
相変わらず静やかに、笑うような声音でシャルティエはささやいた。
『さっき言ってた僕の夢。坊ちゃんと僕と
で…ずーっとあんなふうにいられたらなぁって』
「…」
それはもう、おそらくは叶わない。
なぜ人は、叶わない夢を叶わないとわかった時に抱くのだろう。
けれどシャルティエは幸せそうだった。
『また、一緒に旅が出来たらいいですね』
叶わなくても、それは真実の願い。
誰も否定などできるはずがない。
「あぁ…そうだな」
叶わなくとも、願おう。
それが僕の幸いでもあるのだから。
ささやくように
さざめくように
穏やかで優しい記憶。
ずっと忘れないように…
今、この時をともに過ごそう。
