ミトスはそれを聞くと女神マーテルの力で
大きな石の扉を作った
テセアラの大地——すなわち
月が満ちたその時だけ開く扉を
天使物語2巻 最終章より
18.1×2=2の法則
夕闇が東の空を染める頃、月が淡く昇っていた。
ソダ島から帰った頃には風は真昼のそれより涼やかに流れ出す。
波の音を聞きながら、夜が訪れるまで一行は思い思いの時間を過ごしている。
遊覧船乗り場から救いの小屋の間には人間牧場がある。
当然、避けては通れない場所ではあるが、ただ通りすがるだけなら近づきさえしなければ問題はない。
けれど夜間の行程は危険と見て、今日は宿泊施設もかねた遊覧船のチケット売り場に身を寄せることにしていた。
西の空からはまだ十分なほどに透き通った金色の残光が射している。
はチケット売り場の入り口の幅広の階段に腰をかけて本を開いていた。
その視界の端には、ジーニアスとコレット、それからロイドが波打ち際で遊んでいる。
リフィルは例の海上の復路で疲れきったらしく早々に部屋にこもっていた。
今頃は誰も部屋に居ないのをいいことにベッドに倒れ込んでいるかもしれない。
誰も大して気にしないが、誰の目から見てももはや水が苦手なのは明らかである。
だから彼女のことはそっとしておいて、他の全員は外に出ているのだった。
…などというほど、繊細な気の使い方をする人間が実際どれほどいるのかは不明だが、とにかく辺りにリフィルを除いた全員の姿はあった。
3人組の無邪気な声を聞きながら
は淡い光の中で古い羊皮紙のような紙に視線を戻す。
- かつて世界の中心には巨大な樹があった
それは全ての生命のみなもと
第一の元素であるマナを無限に生み出すという大樹
それは『樹』の生み出す『気』であった
人々はその『気』であるマナを使い
神の如く大地を支配した
マナは魔科学を産み
魔科学は争いを産んだ
二つに分かれた国は互いを憎み、否定する。
その争いは『樹』の『気』を奪いやがて大地は枯れていった
以前に手にした「勇者ミトス物語」より多少は現実味を帯びた書籍だ。
しかし、なんとなくどこかで聞いたことがある言葉…いや、「話」に、少々考えていると
開け放されたままの両開きのドアの向こうからジューダスが現れてそれをのぞき込んだ。
階段の上から立ったままだから、そこに何が記されているのかまでは読み取れなかったのだろう。
「何を読んでいる」
彼は至極自然に、
の隣へ腰を下ろして、立てた方膝に肘をついた。
「天使学原論第三巻…の写しみたい。パンフレットみたいに置いてあったから持ってきた」
「天使…か。この世界の歴史は天使と共にあるんだな」
タイトルからして内容は見ずとも推測はつくらしい。
今見ている内容には「天使」という言葉は出てこないが確かに神子と天使は切っても切れない関係であるし、神子が人と天使を、ひいては神とを繋ぐ以上、この世界では現実的な原理なのであろう。
内容をジューダスに語って聞かせると彼は斜陽の差し込む瞳を細め、少しだけ遠い目をした。
「それがこの世界の「歴史」か」
「史実なのかな?伝承なのか、微妙なところだよね」
それくらいこの世界は文化の面では乏しく思える。
町々を見ても確固たる「歴史」があるようには感じられないのだ。
歴史を伝える書物自体もかつてあった文明の名残といった方が正しいだろう。
「ただ、原理がマナであるとしたら納得は行くよね。ここはただの魔法の世界じゃない」
「何事にも原理があるのは当然だろう。それが有限である限り、枯渇するのもな」
「でも無限に生み出すってあるけど」
「伝承そのものが矛盾している。それか生み出す速度を超えて消費したということだろう。……………ところで僕らがそれを今、真面目に論じる必要が今、あるんだろうか?」
ふと我に返ったようにジューダス。
この記述もまた、真実とは限らない。
今まで見たものより信憑性は高い気はするけども。
それ以前にいまいち全てを信用する気になれないのも事実だ。
知識を鵜呑みにする危険も知っているから、そうなる前に自分を諌めるように彼は中立の立場に立ち返る。
「ブレインストーミングってヤツだよ。どうせしばらく頭は使わないんだから、こういうのも悪くないんじゃない?」
まぁ、そういう見かたもあるが。とジューダスは半眼になって嘆息した。
「大樹は枯れていったがそれでも人々は争うことをやめようとはしなかった
やがて争いは愚かなる者、ディザイアンを生み出した
世界はディザイアンに荒らされ滅亡の危機に瀕していった。
…前の児童書より難し目に書いてあるけど、こっちの方がわかりやすいね」
子供向けの本というのは時々、わけがわからなくなる。
単純の域を超えてつっこみどころ満載なので、今は素直に文章の整っているこちらの方が読みやすい、と素直に思った。
「それは原書の翻訳版だ。原書は天使言語で書かれいる」
ふいに影が差し込み、顔を上げるとクラトスが立っていた。
彼もどこかしらその辺りで話を聞いていたのだろう。
本に視線を落とすことなくそう燈色の光が照らす二人の顔を交互に眺める。
「天使言語って…神託の石版もそれでしたけど、やっぱり天使たちの用いる言葉なんですか?」
「いや、天使言語はこの世界に伝わる言葉の基礎となったものだ。
文法に、それほど大きな変化はない。神子は幼い頃から学んでいるようだから、覚える気なら覚えられるだろう」
言葉のルーツまでもが「天使」がらみとなると信じるとか信じないとかの域を超えてくる。
この世界には天使が居て、その下に人間がにいて、彼らは畏怖と敬意の対象で…ディザイアンは忌むべき恐怖の対象。
書物としてみるとはっきりと構図が描かれて見えた。
薄い冊子を読み終えてしまうと
はぱたむと閉じて中へ引き返す。
まだ続きがあったはずだ。
チケット売り場のカウンターの横から「天使物語2巻」と書かれた本を借りてまた外に出る。
灯りのともされたばかりの室内よりまだ外の方が明るかった。
「あ、それ天使物語?ぼく、1巻しかみたことないよ」
その間にジーニアスたちも玄関先に戻ってきていたらしい。
リフィルを除いた全員が人影まばらな建物の前に揃っていた。
けれど、今度はロイドとクラトスが少し離れた階段下で何やら話し込んでいる。
向こうは向こうで戦闘指南でもする気らしい。
そんな二人を前に
は元の場所に腰を下ろした。
コレットとジーニアスが囲むように来たので逆に居心地が悪くなったのかジューダスは立ち上がって開いたままの扉に背をもたれ、腕組みをして剣を抜いたロイドたちを眺めている。
コレットたちは
の後ろからのぞき込むようにして、天使物語の続きに目を通した。
今度は音読をし始めたのはジーニアスだ。
「事態を憂えた女神マーテルは、荒れ果てた大地に少年を遣わした。
彼は女神の遺志を受け争う二つの王国をいさめ
ディザイアンを封じて世界に平和をもたらした
しかし時すでに遅く大樹は枯れ果てていた
マナは世界から失われていまったのだ」
「ふぅん、この間の偉人シリーズとは全然違うんだね。でもリアリティはある」
「確かにこっちの方が、言い伝えとしては信憑性があると思うけど…これも半分はおとぎ話だからね〜」
どこか冷めた物言いをしながらもジーニアスはすぐに本に興味を戻す。
コレットは肩から流れた髪を片手で押さえるようにして中腰でのぞいていたが、やがて、の前でしゃがみこんで両膝に頬杖をついた。
「そだね。でも、珍しい本だよ?小さいときに見たのと似てるかも」
原書が天使言語というのなら歴史も名もある書物なのだろう。
神話に近いものだとしても世界の根源が記されているという意味では貴重だ。
ジーニアスが続ける。
「テセアラの王は言った
『我らは大地を離れよう。
この世界に争いをもたらした
償いをするために』
ミトスはそれを聞くと女神マーテルの力で天に続く塔を建てた
テセアラの民はその塔を登り天に輝く月へと去っていった」
「…テセアラって…月のことだよね?」
「そうなのか?」
やはり聞かないふりをして、しっかり聞いていたらしい。ジューダスが組んでいた腕を解いて顔を向ける。
ついこの間、クラトスに教わったことだ。
その後、少しだけ自分でも調べてみた。これは何の本でも載っているので難しいことでもなかった。
「テセアラはシルヴァラントの衛星で、約四十…何日だったっけ?かけて一周するんだって」
「42日だよ。よく知ってたね」
この間まで、いや、今もあやふやな知識だからしてジーニアスは素直に賞賛に目を丸くする。
折りしも月は輝きを増して、東の空をゆるゆると上がっている最中だ。
「古代大戦以前はテセアラをセレネって呼んでいた時期があったんだって。
月をテセアラと呼ぶようになったのは、古代大戦後で…
文献が殆ど残ってないからそれ以上前のことはよくわからないみたいなんだけどね」
「その古代大戦というのが、先ほどから話しているマナとやらを巡る戦争のことか」
「うん。その戦争でマナがなくなった、っていうのは本当みたい。
これはおとぎ話でも、多分ずっと先まで読んでいくと、はじめて二人と会ったときに話した世界再生伝説に繋がるんじゃないかな?」
いまいち、曖昧な当事者・神子コレットの発言。
彼女は天使言語が読めるというから昔に同じような話を学んだことがあるのだろう。
それがおとぎ話でも、マーテル教の伝承は伝承だ。
しかし、それ以上の続きは置いてないようなので「天使物語」がこの再生の旅に繋がるのはまだ先になりそうだった。
「で、シルヴァラントはどうなんだろう」
「あ、ほら。ここに書いてあるよ。
シルヴァラントの王は言った。
『我らは遠く離れたテセアラの民のため
あちらとこちらを繋ぐ異界の扉を用意しよう』」
「…昔はこのシルヴァラントも王国だったのか?」
「だったんだよね?」
神子としての勉強以外はごくごく普通の生徒なのかコレット。
復唱されてジーニアスは、さすがにロイド相手のように馬鹿にすることも出来ず、「あ、うん」と頷いた。
「この地方の北にあったバラクラフ王朝が最後の国だったって言われてるよ」
今は統治する国すらないほどに衰退している世界、ということか。
科学のない世界はのどかといえばのどかだが、その実、どこか世界全体が色のないことにも気づいていた。
時折見かける森の木々は夏から秋に向かうような色合いで、どこか活力がない。
衰退というのはマナが減り、全ての命が衰退に向かい、つまりは貧しい世界になっていくということらしい。
だから文明も発達しない。
納得といえば納得の循環だ。
「行くぜ!」
階段を下りたすぐ前の広場では、実技指南に入ったのかロイドとクラトスが少し距離を開けて対峙している。
ロイドの気合の一声にみんなの注目がそちらへ向いた。
天使物語はもう最後のページだったので、
もそれを閉じて剣戟を眺めた。
「ロイド、がんばって!」
もう、文字を読むのは難しくなってきたくらいの淡闇に、コレットの声援が送られ、白刃がきらめく。
両手を下げて、無防備なほどに構えなどしていなかったクラトスは、刹那の後にそれを受け止めた。
はじき、二刀が交差し、防ぎ、そして──
「…どうだ!」
「隙だらけだな」
「えー!? どうしてだよ」
結構いい線で攻めていたかのようには見えていたが、ロイドに下されたのはなかなか酷評だった。
ジューダスから言わせると、適評でもあるという。
「二刀流というのは本来の剣の型からは、はずれている。
無理があれば隙も大きい」
ジューダスの場合は真正の二刀流、というのとは少々違うが、確かに扱うのにそれなりの苦労はあったろう。
それでも早々にマスターしたのは天性の才能と経験ゆえだ。
わざわざ得手の片手剣から切り替えたのは、スタンたちとの戦いで一時利き手が不自由になっていた(本人は隠していたが)のと、シャルティエが使えなくなったので威力的に普通の剣では不満だったのではないかとは踏んでいる。
本人に自覚があるかどうかはともかく。
さて、クラトスの評価に対してロイドいわく。
「おかしいなー
一刀で100の力なら二刀流にすれば200の力になるだろ」
「「「……………………………」」」
彼の幼馴染を除いた人間たちとある種、同じ沈黙を共有しているのをはひしひしと感じている。
辛うじて口を開いたのはクラトスだった。
「…まさかそんな理由で二刀流にしたのか?」
「そうだよ」
「………」
そして再び沈黙。
「な、なんだよ。
どうしてそんな哀れそうな目で俺を見るんだよ!」
「すまん」
「言っておくが、僕はそんなアホな理由じゃないぞ」
ロイドには自分のいっていることの意味がわかっていないらしい。
素直に謝るクラトスがむしろ可哀相な気もするが、勝手が違うといえど双剣を使う身としてジューダスは少なからずプライドに抵触したようだった。
彼の中で、ロイドは馬鹿ではなくアホという定義が定まったのもおそらくこの時だったのかもしれない。
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