30 マナの守護塔
その中途。
間抜けた、かつ、鋭い問いをロイドが放ったのは西の山の端に夜の帳が下りる頃。
「マーテルさまってのは、女神なんだろ」
「…そのように言われているな」
「女神も病気になったりするのかなぁ」
そうなんだ。確かにユニコーンもそういっていた。
気になるのは「天使」になろうとしているコレットと「女神」であるマーテルが同じ病だと言ったこともあるのだが。
シン
はいつもどおり今日食べた昼食について話しているようなロイドとクラトスの抑揚のない声に耳を傾け、足を動かしている。
風は西風。向かい風だ。
「なるんでしょうね」
「そんなバカな…」
と、これはしいな。
ユニコーンが「生かされていた」というのだから女神特有の難しい病気なのだろうが、風邪も引くのかと言えば聞こえが悪い。
シン
は1人で問答を繰り出している。
「でもさ、コレットが天使になるってことを考えれば人間と天使は似たようモンってことだろ」
「天使と女神も似たようなものなわけ?」
「うっ…そ、それは」
ここぞとばかりのシン
の一言には無論、ロイドは答えられなかった。
「眷属と言えば聞こえはいいがな」
「でも神様、って何を基準に言うのかわからないしねぇ」
それはかつて何度か問答したことなのでそれ以上触れないことにする。
ジューダスを振り返って、風に流された前髪をシンは押さえつける。
「まぁね、神さまが風邪を引くなんて何かうさんくさいよ」
結局は、他のメンバーもそこに行き着いた。
「それはともかく、ユグドラシルっていう名前はロイドたちの間では有名じゃないの?」
それはクヴァルの残した名前。
聞き覚えがあるからこそ、シン
の耳にはきっかり印象に残って聞こえた。
けれど、ロイドたちは反応を示さない。
言葉に気をつけて言うと「?」という表情がいくつか返ってきた。
「俺たちの間で…って何だよ」
「私は良く知ってる名前だから」
「!!なんだって!?」
それほど驚かれることではない。
おそらく架空の物語を読んだことのあるものなら1度くらいは聞く名前だろう。
けれどようやくクヴァルの残した名前だと思い出したのか
ロイドからは思いがけない叫びが返ってきてしまった。
「落ち着きなさい、ロイド。シン
たちの文化圏は私たちとは違うのでしょう?だったらそんなに驚くことはないのかもしれなくてよ」
「言っておくが僕は知らん。何なんだ、「ユグドラシル」とは」
違う文化圏と聞いて別の疑問を発したしいなに、軽くリフィルたちにしたのと同じ説明をしてそちらはとりあえず、ジューダスが聞いてきた。
確かに彼が知識豊富とは言え得意分野ではないだろう。
「ユグドラシルは…私の知る限りでは世界の中心にある巨大なトネリコの木のことだよ」
「世界の中心?」
「あ、あまり気張らないで聞いてね。
ユグドラシルは別名、世界樹って言われてる。
文学書とか、マーテル教とはまた違う物語の中での話」
「なんだ、物語の話か」
一気につき物が落ちたようにロイド。
物語と聞いて好奇心を瞳に浮かべたのはコレットとジーニアスだ。
「それで?それで?」
「いや、それでどうっていうわけでもないんだけど」
せびられる。
確かに寝物語として聞くには良い話だろう。
ちょうど、日も落ちて今日の野営地を決める頃合になる。
あまり別の宗教を匂わせるわけにも行かずシン
は口ごもった。
それに、マーテルとユグドラシル、という言葉が出てくると他の物語も思い起こされてならない。
それは、アセリアと呼ばれる暦を持つ、更に違う世界の話。
そちらだったら話しても差し障りないだろうか。
シン
は期待でいっぱいの二人を前に思う。
「それにしても世界の中心の世界樹、とは…意味深長なことだな」
日が落ちきってしまう頃、クラトスは紺碧の空に輝き始めた星を見上げながらひとり、呟いた。
* * *
「うわー、本がいっぱいあるね!」
「おおー!私の研究意欲をそそる本がこんなにたくさん!」
マナの守護塔は、前の世界で言うところの知識の塔に近かった。
封印に近い複雑な鍵をといて入ると天井の高いホール、そして壁際は本でびっしり埋まっている。
そしてその中央に、神託の石版を見つけた。
「再生の書の通りだ。やはり、ここが封印だったか!」
一番テンションの高いリフィルがそうしてコレットに促した。
「ボルトマンの術書は…?」
「さぁ!コレット、頼むぞ!」
聞こえていないらしい。
封印と言うより古代の文明の発動に興奮しているリフィルには何を言っても無駄である。
先に封印をとくことになりそうだった。
しかし。
「はい、先生」
…。
「?」
コレットが石版に手をおくが何もおきない。
「どういうこと?」
「いや、あの中央の魔法陣みたいのがむちゃくちゃ怪しいから」
シン
が指差すとリフィルがすっ飛んでいってすかさず調べだした。
一階部分は左右に重そうな石の扉、本の海、そして中央に魔法陣らしき紋様。更にその中に青い円が3つ。
「ロイド、そこの青い円の上に乗ってみろ」
「え?あ、ああ」
「ジーニアスはそっちの円の上へ」
「うん」
物凄いわかりやすい仕組みだった。
二人がリフィルに誘導されて円の上に乗ると右手の扉が開いた。
「おおー!」
「わあー!」
いちいち感嘆する幼馴染コンビがむしろシン
には新鮮だ。
「すげー!開いたぜ、先生」
ロイドが円から出ると扉は閉まってしまった。
「へ? あれ?」
「どうやら、3人がその円の中にいないと開かないようだ」
「いつも思うんですけど、なんでそういうパーティを分断させるような仕組みなんでしょうね」
「シン
、何を基準に「いつも」思っているんだ」
「色々」
ジューダスのこちらを見ないまま放った疑問は受け流してシンは棚の方へまっすぐに歩いていく。そして本を何冊も抱えて戻ってきた。
「?」
どさ。と円の上に置く。
何もおきない。
「うーん、生体感知機能つきかー」
重さならそれでいけると思ったがどうやら無理らしい。
「ということは3人がここに残らなければならないということか。危険だがやむをえんだろう」
「確かに帰りのことを考えると扉が閉まっていては困るな」
「じゃあ居残り組み!」
「どうしてお前は物事についてここのところそう即決なんだ」
何が困ると言うわけではないだろうにジューダスが渋面する。
むしろ、行く方に手を上げないことも彼にしてみると疑問だ。
その疑問をぶつけてみると存外答えは安易に返ってきた。
無言で指し示されたのは、大量の本棚。
「…。僕も残ってもいい」
「じゃああと一人か」
「ノイシュは無効?」
「…………」
誰が残るかと顔を見合わせた直後のイレギュラー。
ロイドは外で待たせているノイシュを呼んで円に座らせると…
扉が開いた。
「彼」も1人分としてカウントされたらしい。
「こっちも危ないといえば危ないんだけど…」
「構わん。行って来い」
ジューダスからもあっさり許可が出て振り返りながら彼らは長い階段を登っていくことになる。
その姿が見えなくなるとシン
はその場を離れた。
扉は閉まったが、構わないだろう。
ジューダスも解散。ノイシュだけがきちんと「おすわり」をして待っている。
単にすることがないだけかもしれない。
「すごい本だね」
「…あぁ、だが…」
開いてみると──天使言語だった。
「読めない」
「先に確認するべきだったな」
失態にフッと笑ってジューダス。
けれど幸いにも天使言語でない書籍もあるようだった。
「パラグラフ王朝の繁栄」
「トリエットの悲劇」
「究極のレシピ」
「祭司という生き方」
…どれも一癖ある書物だ。けれど薄い本なのでさっさと読み終わってしまった。
「ジューダス、あの本とって」
「は?」
更にその上の方に見つけたのは「天使物語」。まだお目にかかっていない第三巻だった。
『シン
、君に取れないものは坊ちゃんに頼んでも…』
「うん、言ってみただけ」
「貴様ら#」
手を伸ばしても届きそうにないので、失敬して本棚に足をかける。
それでも僅差で届かない場所だった。
そんな時はノイシュに頼むに尽きる。
乗らせてもらって無事に天使物語の3巻を手にするとシンは高い段から飛び降りた。
エクスフィアを持っていたらこれくらいはジャンプできるんだろうか。
正直そういう使い方をしている彼らを見たことがない。
ぺたりと腹ばいになったノイシュに背中を預けて読書を始めるシンをジューダスは透明な視線でただ眺めている。
『何か面白そうなことが書いてある?』
先に声を投げかけてきたのはシャルティエだった。
ぴくり、とノイシュの耳が動く。彼にはシャルティエの声が聞こえているのだろうか。
「ん〜じゃあ読むね」
断ってからシン
は音読を始める。
もちろん、ジューダスに聞かせるためもある。
「『そして最後にミトスは言った。
大樹は枯れた。しかしマナは必要だ
私は私の体を使って世界にマナをもたらそう
私はここに眠る。
大樹が光を放っていた
この大地にミトスは消え
彼の死を嘆いた女神は天に隠れて
そのまま眠りについてしまった』
…なんか似たような話、聞いたことがある気がする」
ニュアンス的には「天岩戸」だろうか。もっともあれは暴れ者の弟を嘆いてこもった太陽神の話だった。
それにひきかえジューダスはこれまた難しいような顔をした。
「じゃ続きね。『世界はミトスも女神も失い彼らの力が生み出した封印はその力を失っていく。やがて封印を破りディザイアンが復活した。
全ての命は再び絶望したこの時ミトスの光から生まれた天使が世界に光をもたらした。』…?」
「伝承とまったく違うな」
シン
も疑問符を浮かべ、ジューダスの難色の理由が明らかになる。
マーテル教ではマナありきでミトスの伝説がある。
なのに、マナをミトスが生み出したことになっている。
更に女神とミトスは同位ではない。
なのにこの話ときたらミトスまで神格化している有様だ。
物語にしても支離滅裂ではないか。
「なんか、もう訳わからない」
『伝説ってそんなものかもよ?』
妙に悟ったような声でシャルティエ。
ノイシュがうぉん、と同意するように小さくほえた。
ジューダスが後ろから覗き込み、最後の一文を読み上げる。
「『天使は精霊の力を借りて天へ続く塔を登りそこで女神に祈りを捧げだした』。…塔の存在が出てきたところでこの本はもうあてにならんな」
「いいよ、読破したってことで」
ひらひらと閉じた本をシン
は振ってから手近な本棚に置いた。
そこにあった別の本。
「あ。『スピリチュア書』だって」
「ある意味おとぎ話の宝庫だな」
そうかもしれない。「知識の塔」は科学と神話の折り重なりだったがこちらはあくまで物語…
あまり当てにはならなそうだった。
それでも手にとってしまうシン
。
「…ちょっと上にも行ってみたかった」
「なんだ」
ジューダスが横目で本を見下ろす。
もちろん、立ったまま腕を組んだままではこの細かい文字は見えまい。
見開きをつきつける。
−−そのとき突如光が目の前に広がった。
私をかばい祭司のウォンとレイが消滅した
光の守護者は伝説のユニコーンによく似た姿をしていたが
私たちが想像していたよりはるかに強大であった。
「見たいのか」
こっくり。
時々ものすごくわかりやすい。
ジューダスはあきれてからシン
とは反対側に腰をかけ、ノイシュに背を預けた。
それからどれほどたったのだろう。
レミエルの光臨は最下層まで神気を届けていた。
いや、それは果たしてレミエルだったのだろうか。
シャルティエの声のように、肉声ならざる声が大気を震わせた。
『…アスカはどこ? 』
「「?」」
振り仰いでも高い天井には何もいない。
声はひとりごちるように続いている。
それはまだ若い女性の声だった。
『アスカがいなければ何もできない
契約も誓いも…何も…
私の力を取りもどすためにも
お願い…アスカを探して…』
そして唐突にまた声は消えた。
『今の、なんですかね?』
と今度はシャルティエの声だ。
「アスカ…って、精霊のあれだよね」
「たぶんな」
いずれ、厄介な頼みをしてきたには違いない。
そういわんばかりにジューダスは短く息をついた。
「アスカがいなければ、って何だろうね」
「僕に聞くな。ファンタジーのことはわからん」
それもそうだ、とシン
はそのなげやりな態度に思わず笑ってしまった。
* * *
ノイシュをはさんでのんきな二人と裏腹に、戻ってきた一行の表情は沈んでいた。
それもそのはず、コレットが今度は「声」を失ってしまったのだ。
これが最後の封印で、次はいよいよ「塔」に向かうのだと言った。
やるせない表情のロイドたちとは裏腹に、コレットは少し困ったように笑うだけだった。
もう倒れたりもしない。調子を崩すことはなかったが、その姿は快適ともいえそうになかった。
一度ルインに戻り、ピエトロを治し、廃墟の影で野営をしていると重苦しい沈黙を破ってしいなが立ち上がった。
「…みんな、きいてくれないかな」
神妙な顔で彼女は意を決したように表情を硬くしている。
「どうしたんだ、急に」
「どうしてあたしが神子の命をねらっていたのか、話しておきたいんだよ」
いまさら何を言い出すのか。
その申し出は一行を戸惑わせるには十分だった。
けれどリフィルは冷静に、
「聞きましょう。この世界には存在しないあなたの国のことを」
静かにそう瞳を伏せた。
「知ってたのか!?」
「いいえ。でもあなたが言ってたのよ。
シルヴァラントは救われるって。それならあなたはシルヴァラントの人間ではないってことでしょう」
これだから言葉は怖いのだ。
ほんの少しのほころびを、見ている人は見ている。
しいなはずばり言い当てられて、苦笑しながらシルヴァラントにはもったいない頭だと賞賛した。それから火に照り返される頬で一同を見渡してから、話し出した。
「その通りさ。あたしの国は「テセアラ」。…そう呼ばれている」
「テセアラ!?テセアラって月のこと? 」
ジーニアスが思わず立ち上がった。その頭上には細くなった月が密やかに輝いている。
しいなはそれを振り仰ぎながら苦笑した。
「まさか。あたしの国は確かに地上にある」
わからない、というような仲間たちの顔。
聞かれる前にしいなは話を続ける。
「あたしにだって詳しいことはわからないんだ。でもこのシルヴァラントには光と影のように寄り添いあうもう一つの世界がある。
それがテセアラ…つまりあたしの世界さ」
「寄り添いあう、二つの世界?」
リフィルの呟きをよそに、シン
の中で何かがつながりあう。
それはもはや確証に近かった。
確かにある二つの世界、それは…
「世界は常に隣り合って存在している。
ただ「見えない」だけなんだ。
学者達にいわせると空間がずれているんだと」
そして互いに干渉しあっている。
その後は、シン
の思ったとおりだった。
二つの世界はマナを搾取しあっている。
片方の世界が衰退するときその世界に存在するマナは全てもう片方の世界へ流れ込む。
その結果、常に片方の世界は繁栄し、片方の世界は衰退する。
つまりしいなはその繁栄世界からやってきた。
神子の旅はその均衡を逆転させるためのもので、テセアラを衰退に追い込まないためにしいなは邪魔をしていたと言うわけだ。
けれど思いもよらなかったのだろう。
シルヴァランとの幼馴染たちは、戸惑いをそして疑問を隠せなかった。
「待ってよ。それじゃあ
今のシルヴァラントは…」
「そう、シルヴァラントのマナはテセアラに注がれている。
だからシルヴァラントは衰退する。
マナがなければ作物は育たないし、魔法も使えなくなっていく
女神マーテルと共に世界を守護する精霊もマナがないからシルヴァラントでは暮らせない。
結果、世界はますます滅亡への坂道を転がり落ちる」
そして事実に愕然とした。
しいなが言うには逆転作業とは封印を開放するとマナの流れが逆転し、精霊の目を覚ますことらしい。
繁栄世界テセアラには超えられるはずのない空間の亀裂を突き抜ける技術もあると言うことだった。
「それじゃあテセアラはシルヴァラントを見殺しにするってことか」
ロイドがやるせない声を憤りにして張り上げた。
「そういうけどあんたたちだって再生をおこなうことによって確かに存在しているテセアラを
滅亡させようとしているんだ。やっていることは同じだよ」
「信じられないわ」
「あたしが、証人だ。あたしはこの世界では失われた召還の技術を持っている」
コレットがじっと物いいたげにしいなをみつめている。
気づいたのかしいなはその視線から逃れるように視線を落として刹那、口を閉ざした。
ぱちり、と火のはぜる音が沈黙を埋める。
「…そんな目で見ないどくれ」
「…」
「あんたがそんなつもりじゃないことはわかってるよ。
あたしだってどうしていいのかわかんないんだ。
テセアラを守るためにきたけどこの世界は貧しくてみんな苦しんでてさ。
でもあたしが世界再生を許してしまったらテセアラがここと同じようになってしまう」
「でも今は、ボクたちに協力してくれてるよね」
「だからってテセアラを見捨てることはできないよ!
あたしにはわからないんだ。なあ、他に道はないのか?
シルヴァラントもテセアラもコレットも幸せになれる道はさ!」
すべてを背負ってはいつか歩けなくなる。
そんな言葉をシン
は思い出した。
何かひとつを選ぶときは、大抵他の何かは切り捨てられるものだ。
そうでなければ人は重みに耐えられない。
いつもそうならないようしてきたものの、こればかりは彼らの選択の余地は…
少なくとも今の時点ではないような気がした。
「俺だって、知りたいよ!」
ロイドが深い夜の下、声を張り上げた。
「そんな都合のいいものは現実にはないのではなくて?」
「…我々にできる最善のことは今、危機に瀕しているシルヴァラントを救うことだ」
リフィルとクラトスの答えは無情だった。