−50.空(から)の都
マナの満ちる森。印象はそれ以上のものでも以下のものでもない。
ここだけは世界から隔絶されたようだった。
それとも本来自然とはこうあるべきなのだろうか。
森の濃い空気。
それは甘いようでだがしかし、人にとっては惑いの森のようでもある。
惑いの森を超え、光の満ちる広場へ出るとクラトスが待っていた。
「来たか」
石碑の前にクラトスは座していた。
ロイドたちが来たことを悟ると立ち上がって歩を寄せる。
木々の合間から降り注ぐ光と影を交互に踏みしめながら緋色の髪を揺らして現れるその視線は迷いなく、まっすぐにロイドを見つめている。
「どうしても戦うのか」
立ち尽くすロイドにクラトスもまた無防備なまま言葉を返す。
「…今更、何を言う。中途半端な覚悟では…死ぬぞ。
オリジンの契約が欲しくば私を倒すがいい」
「それが…あんたの生き方なのか。
みんな。ここは俺に任せてくれ」
迷いの無いまなざし。
対するクラトスもまた、父の面影はなくただ厳しいまなざしで息子を見た。
「…一人で大丈夫なのか?」
「…あんたが過去と決別するならそれに引導を渡すのは…息子である俺の役目だ!」
ロイドが腰を落として双剣に手をかける。
森がざわめいた。
「行くぞ!」
「本気を出させてもらうぞ」
クラトスもまた、剣を抜く。
空を軽く切るとまるで羽のように軽く剣はその手に収まった。
「ああ、俺も本気であんたと戦う」
先に行動を開始したのはロイドだった。
だが、クラトスの剣はやすやすとそれを捕らえ先制の一撃を繰り出す。
ロイドの片刃が紙一重で止めた。休むことを知らずもう一方の刃がクラトスに襲い掛かる。
「やるな」
「そっちこそ」
受け止め、笑みすら交し合う。
だが、その瞬間クラトスが目の前から消え刃は虚しく空に浮いた。
「ロイドっ後ろっ!!」
思わずコレットが叫ぶがロイドが動いたのはそれより先だ。
体を大きくのけぞらせ、刃を振るうとキンッと甲高い金属音が響いた。
剣がはじかれ、止められ、打たれ、まるで演舞のように繰り返される。
時には空白の時間があり、ジューダスの瞳が何かを捉えたように細められた。
刹那。
「うぉぉぉぉぉおっ!!!」
「!」
ロイドの掛け声と共に、ロイドの片剣は折れんばかりの勢いではじかれた。だが、もう一方の剣が猛襲する!躊躇は無かった。
しかし、剣はクラトスの背後にある石碑を強かに打って、止まった。
「決着はつけたぜ。」
ロイドの剣は微動だにしないクラトスを掠めたまま。
「…強くなったな」
静かにクラトスは剣を下げて構えを解いた。
その顔は、確かに父親のものになって見えた。
「…あんたのおかげだ」
「とどめを…刺さないのか?」
再び森に静寂が戻ってくる。
「俺は、俺たちを裏切った天使クラトスを倒した。そして俺たちを助けてくれた古代大戦の勇者クラトスを許す。それだけだ」
「フ…。ようやく死に場所を得たと思ったのだが…やはりお前はとことんまで甘いのだな」
クラトスを殺さなければ封印は解放されない。
ロイドはそれをしようとはしない。
だが、誰もが反目しようとは思わなかった。けれど動いたのはクラトスその人。
ゆっくりと石版の前に異動すると手をかざす。
光の羽が開いた。
「ま、待て!まさか、封印を解放する気か!?」
「…それが望みだろう」
「それじゃあ、あんたが…」
クラトスの手から白い光があふれ、石版に注がれた。
誰もが望まないのに黙ってみているしかなかった。
けれど、クラトスは死なないかもしれない。死んでしまうかもしれない。
そんな気持ちを抱えながら。
「クラトス!!」
光が不意に消えると、クラトスはひざから崩れ落ちた。
それを支えたのはここにいるはずのない人物だった。
「ユアンさん…」
シン
の呟きを聞いてか聞かずか。ユアンは今クラトスがそうしたように手を彼の胸にかざすと光を照射した。それは鮮烈というよりもどこか温かい光だった。
「…私のマナを分け与えた。大丈夫。クラトスは…生きている」
「とうさ…クラトス。本当に大丈夫か?」
「…また死に損なったな」
ユアンに支えられながら頭だけを動かしてクラトスはふっと微笑んだ。
「馬鹿野郎!」
とたんにロイドから浴びせられる怒鳴り声。
「死ぬなんて、いつでもできる。でも死んじまったらそれで終わりだ」
「生きて地獄の責め苦でも味わえと?」
答えたのはユアンだった。
クラトスの葛藤はおそらく誰よりも知っているのだろう。
だからこそ、躊躇の無い言葉。
「誰がそんな事言ったかよ!死んだら何が出来る?
何も出来ないだろう!死ぬ事には何も意味は無いんだぜ!」
ロイドの憤りはそのまま仲間たちの想いだった。
だからだろうか。
クラトスは、苦笑し…それから笑みを優しいものにした。
「…そうだな。そんな当たり前の事を息子に…教えられるとはな…」
「クラトス!」
「クラトスなら大丈夫だ。お前はオリジンと契約をしろ」
静かに瞳は閉じられ、案じるようにロイドはその傍に膝を折ったがユアンに言われて顔を上げる。
仲間たちの視線もそれぞれが石版へと集まった。
待っていたかのように輝きだす石版。
現れたのは、筋骨隆々とした上半身を外気にさらす、6本の腕を持つ男の姿をした精霊だった。
君臨したオリジンは後光をまといながら瞳をゆっくりと開いて目覚めを示唆した。
「資格無き者よ。私はすべてに失望している。お前も私を失望させるために現れたのか?」
細く開かれた瞳は厳粛で、拒絶をまとっていた。
負けずにロイドは一歩踏み出し、聞いた。
「オリジン。お前はミトスとの契約に縛られていないのか?」
「我の解放と共にミトスとの契約は破棄された。もはや、何人たりとも我と我そのものを行使することは出来ぬ」
「誓いを立ててもダメなのかい?あたしたちにはエターナルソードが必要なんだ!」
しいながその隣に歩み出る。
誓いを立てても駄目なのだろう。
彼の心が開いていなければ。
「エターナルソードで二つの世界を一つに統合したいんだ。そして大樹カーラーンを復活させる!このままじゃ世界は永遠に搾取されあってみんな絶望しちまう!」
「それは…自らと違う者を認められない人と言う生き物の弱さから発生したことだろう」
力説するがオリジンは色の無い瞳をしたまま。
ただ空中から見下ろすばかりだ。
「だから世界を見捨てると?精霊のくせに人のみの責任で荒廃した世界に失望してるんだ?」
「……」
「世界は人のものだけじゃない、そういうものを庇護するのも精霊の役割ではないの」
何千年もの昔、人が犯した罪。それは世界を飲み込んで理すらも変えてしまった。
しかも理を変えたのもまた、人だ。
だがしかし、そんな「世界」に失望するというのはなんと狭量なのだろう。
シン
は憤りさえ感じながら訴えるが、沈黙を返すかの精霊は憂いの表情を浮かべると静かに口を開いた。
「とり返しのつかないこともあろう」
「それでも…出来る限りのことをしなくちゃ…」
コレットがつらくなったように呟いた。
世界を愛した少女は、今や世界の広さを知っている。
「そうだよ、間違いは気づけば正せるはずだ!」
どれほど勇気を振り絞ったことだろう。ジーニアスが声を上げた。
「そうだ。俺は諦めない。誰だって生まれたその瞬間から生きる権利がある。それを取り戻したいんだ」
強い瞳でオリジンを見上げるロイド。
「人もエルフもハーフエルフもドワーフも精霊も…みんな、自分であるってだけで生きてる価値があるはずだろ!」
その訴えはどれほどオリジンの心に届いているのだろう。
人はみな、生きる権利がある。
それをはじめて彼が聞いたのは四千年も前の話だった。
金の髪をもつ少年の言葉に面影がある言葉だった。
「オリジン…。私は長い間、この世界を救うのはミトスの言う理想に縋るしかないのだと思っていた」
クラトスがユアンの手を借りてゆっくりと立ち上がる。
精一杯の力で精霊を見上げると彼は続けた。
「かつてあなたがミトスの理想に共鳴したように、私もそれしか手段が無いと思っていた。だがロイドは違う。何かを変えるためには自分が動かなければならぬことを教えてくれた。
誰かの力に頼り理想に共鳴しているだけでは…だめなのだと」
自らも力となるならば決してそれは間違いではなかったろう。
いつから歯車が狂ってしまったのか。
オリジンの愛した少年は純粋でひたむきだった。
今もそれに変わりはないだろう。
なのに、いつのまにか自分の共鳴した理想は歪み、世界は間違いなく崩壊へ進んでいる。
「…召喚の資格を持つ者よ。誓いを立てよ」
組んでいた腕を解くと彼は言った。
「オリジン!それじゃあ!」
「今一度、人を信じてみよう。お前が言った誰もが等しく生きられる世界のために、私も自ら動く」
誰もの顔に希望が灯る。
しいなはいよいよ声を張り上げて拳を前に突き上げた。
「契約者しいなの誓いはただ一つ。自分が自分らしく生きられる世界を…誰かが無意味な死の犠牲にならない世界を取り戻す!それだけだ」
「では、その誓いを元に契約を行う」
オリジンの体が淡く明滅し、それは光になって中空に浮かぶ欠片となった。
「え?戦わなくていいの?」
「剣の力のみが真の力足りえぬことを私は知っている。
契約者しいなよ。そしてロイドよ。お前たちに、私の力を預ける。…それを使ってエターナルソードを全ての命ある者を救う剣とせよ」
オリジンの声だけは続いていた。
−しかしエターナルソードはミトスの契約のまま
エルフの血をひく者しか使えない。
お前自身の力で使いこなしあの剣をお前との間でもう一度新しい理をひくがいい
虚空から契約の証、ダイヤモンドがしいなの手に収まった。
「やったね、ロイド…」
ジーニアスがロイドに駆け寄ろうとしたときだった。
「う、うわぁ!」
突然立ち止まったジーニアスから発せられたのは悲鳴。
彼の懐から閃光が発され、少年はあと退った。
それはミトスの輝石だった。
『時間が無い…お前の体を借りる!』
「や…やめ…ろぉー!」
ロイドの額に張り付いたそれは根を張るように彼の皮膚を盛り上がらせた。
刹那、目の前にミトスの幻影が現れ、ロイドに重なるように接近していく。
「いけない!ミトスよ!クルシスの輝石に宿って生きていたんだわ。このままではロイドの体が乗っ取られてしまう!」
リフィルがそう発したのが先かそれよりもプレセアが動いたのが先か。
「ロイドさん!」
『くそ、邪魔されたか!』
額から輝石をはがすと今度はプレセアの手に根が張っていく。
「ミトス!やめろ!」
『この体は…返さないよ』
クラトスの制止にもミトスは耳を貸さない。
幻影はプレセアと融合すると、姿を消してしまった。
「待て!プレセアを返せ!」
『あはははは、知るもんか!ボクはこの汚らわしい世界から出て行くんだ!』
はじめは小さな震撼だった。
あっという間にそれは大きくなり、暗く垂れ込めた空の下に龍が立ち上った。
龍かと思われたそれは光の亀裂だった。
「救いの塔が崩れる!?」
遠目にもわかる。
遥か空のかなたから、剥離した欠片はなぜかまっすぐには落ちず、隕石のように降り注ぐ。
このトレントの森も、ヘイムダールも例外ではなかった。
「ミトスだ!デリス・カーラーンの進路を塞いだのだ!」
ユアンが見上げながら忌々しそうに叫ぶ。
「くそ!とにかくエルフたちを避難させよう!このままじゃ、村は壊滅だ!」
ロイドが足を鳴らす。
避難と言ってもどこへ逃げればいいと言うのか。
空からの飛来物はどこに落ちるのかまったく予測もつかない。
「あれは…何だ!?」
瓦礫の下に倒れたエルフたちを助け、村の外まで出る。
手分けをしていた仲間が入り口に全員が集まったときに見上げれば塔の崩壊は最終段階を迎えていた。
塔が、崩れる。
支えをなくしたように塔は遂に直下に崩れて、やがて見えなくなった。
塔の消えたその空に、光の輪が描かれたように見えた。
だが、それは巨大な球体の大気圏だと誰が気づいたろうか。
スパークを散らしながらそれは大きくゆっくりと自転している。
紫色の外気をまとったそれ…彗星だった。
「あれが…デリス・カーラーンだ」
「まさか!あんな所に星が存在出来る訳が無いわ!」
リフィルが悲鳴を上げる。
それほどに彗星はこの惑星に肉薄していた。
本来だったら互いの重力で衝突していてもいいほどだ。
空が紫色に染まっている。
圧倒される距離だった。
「その不可能を可能にするのがエターナルソードだ」
「ユアン…」
「救いの塔から発せられていた障壁によって隠されていたが四千年間、常にあの場所に存在していたのだ」
「そうです」
ここにいるはずのない者の声を聞いて振り返るとそこにはタバサがいた。
タバサは過去には無かった流暢な口調で、先を続けた。
「そして今、ミトスは大いなる実りを持ってデリス・カーラーンごとこの大地を去ろうとしています」
「ちょっと待ってよ。デリス・カーラーンってのはマナの塊なんだろ。でもって、大いなる実りは大樹の種子なんだよね。どっちも持ってかれたら世界はどうなるのさ?」
「マナ不足で滅びます。確実に」
「世界統合どころの騒ぎじゃないよ!」
リフィルの冷静な声にジーニアスの悲鳴が重なる。
ゼロスは眉間にしわを寄せると手をひらひらと振って見せた。、
「なーにいってんだお前ら。大事な仲間が攫われたんだよ!おいロイド!どうするんだ!」
「決まってる!ミトスを追いかけるんだ!」
「しかし…救いの塔は…崩壊したのだぞ」
リーガルの声に一同が沈黙してしまう。
希望の光をもたらしたのはクラトスだった。
「エターナルソードだ。お前が真にオリジンと契約を交わしたならエターナルソードは必ずお前に応える。その時間と空間とを操る強大な力で…」
「しかしアルテスタはまだ起き上がれまい。契約の指輪は誰が作るのだ」
一瞬の空白。
ひらめいたようにロイドが叫んだ。
「…親父だ!」
「ダイクおじさん!?」
「ああ。親父に賭けるしかない。シルヴァラントへ行こう!」
ロイドとクラトスは契約の指輪を作るためにダイクの家に入っていった。
他のメンバーは外で待機している。
「シン
」
そう声をかけてきたのはジューダスだった。
名前を呼ばれるのは珍しい。
そんなことを思いながら振り返れば案の定。
「何?」
「お前は、元の世界に戻りたいのか?」
さらさらと家の脇に流れる小川が音をたてている。
ダイクの家は森の中にあって、静けさに包まれていた。
緑の気配が濃い。
家の脇にあるのはノイシュの小屋だろう。
ハイマに預けたままのノイシュの姿はそこにはなかったが。
「ジューダスは戻りたくないの?」
「僕は…」
質問で返すと複雑そうな顔で沈黙を返される。
帰りたくないはずは無いだろう。
でも帰るのもはばかられる、そんなところか。
『君と一緒ならどこでもいいってさ』
どういうつもりなのか軽口をたたいてしかられているシャルティエ。
ふっと笑うとばつの悪そうな顔が返ってくる。
「ジューダスはどっちに帰りたい?」
「どっち?」
「スタンのいる時代か、カイルのいる時代か」
不覚にも、聞かれて考えたようだった。
それからそういう問題じゃない、とばかりにまた複雑そうな顔をする。
「リオンを知ってる人がいないっていう点ではカイルの時代かなぁ」
『君、カイルに会いたいの?』
「スタンにもルーティにも会えるよ」
よくよく考えると欲張りな選択だ。
カイルの時代ならばどちらにも会えるのだから。
「それともジューダスは、この世界でしたいことがある?」
「いや、ないな」
きっぱり。それもどうなのか、といいたくなる。
「じゃあもしこっちの世界に残るなら、どの街がいい?」
「どこでもいい」
「投げやりだなぁ、私はメルトキオが良いかな」
「わざわざアホ神子のいる街を選ぶのか。酔狂だな」
今度はため息をつかれてしまう。
「未来は選びたい放題だよ。まぁ時間はたっぷりあるし、ゆっくり考えよう」
「この戦いが終わったら、の話だろう」
さわさわと風が木々を揺らす。
まるで世界崩壊が傍まで迫っているなんて、嘘のようなのどかさだった。
家から出てきたロイドは、その手に見慣れない剣を携えていた。
ひとつはダイクから譲り受けたヴォーパルソード。
もうひとつはクラトスから譲り受けたフランベルジェだ。
どちらも魔剣だった。
「良かったねロイド」
「あん?何が」
「いいお父さんが二人もいて、幸せだね」
言うと恥ずかしそうにまぁなと彼は頭をかいた。
「エターナルソードだ」
土台だけが残った救いの塔の入り口を越えて奥へ進むと放置されたままのエターナルソードが寂しげに残されていた。
契約の指輪を手に、ロイドが高く掲げると青く輝く光になって双剣に宿る。
—新たなる資格を持つものよ、我に何を望む?
どこからともなく声が響いた。
「俺たちをデリス・カーラーンへ運んでくれ。ミトスと大切な仲間のいるところへ!」
ー承知した
「いくぞ、みんな!」
光が一行を包む。
視界が真っ白になって気づけばそこはもうシルヴァラントではなかった。
「ここは…」
「ウィルガイア?」
誰もいない。
不気味な静寂に包まれたウィルガイアはからっぽの都市に見えた。
あれほどいた天使たちはどこに行ったのだろう。
「ちょっと待って」
通路は一本になっていた。
その先には転送装置が見える。
シン
が止めると仲間たちは一様に不思議そうな顔で振り返った。
「この模様…ひょっとしてデリスエンブレムじゃ…」
足元にはちょうど10人が乗れそうな紋様が描かれている。
不自然さに覗き込むとジーニアスが隣にやってきた。
「デリスエンブレム?」
「うん、詳しいことはわからないけどたぶん乗るとみんなバラバラになっちゃう」
「俺様聞いたことがあるぜ、歪められた時空と、時間を正す魔法の紋章ってな」
ゼロスが言うとしいながふんと鼻を鳴らした。
「なんだいそれ。とにかくここを乗り越えなければ先に進めないだろ?だったら行くまでさ!」
「俺はみんなを信じるぜ」
しいなに続いてロイドまでが行く気だ。
それどころではなく全員が行く気なのだから止めようも無かった。
やれやれとジューダスが息をつく。
シン
は紋様に乗る前にジューダスのマントをつかむ。
「なんだ?」
「いや、つかんどけば離れないかなって」
「浅知恵じゃないか?」
「私もそう思う」
それでも飛ばされることがわかっていて一人になるなんてまっぴらだ。
全員が紋様に入ると待っていたように光が沸きあがった。
「で、ばらばらにならなかったのはマントを掴んでいたおかげだと思う?」
「…偶然だと思うが」
二人が飛ばされたのは何も無い部屋だった。
白い壁、正面には一枚の水晶のような壁がある。
残念なことにドアは見当たらなかった。
正面を破壊して出るしかないだろう。
どれほどの厚さなのだろうか。
コンコンとたたいてみる。
向こう側がすけてみえているからシャルティエなら破壊できないことも無いだろう。
試しに上段にジューダスが構えた、その時だった。
「エミリオ」
「…!!」
水晶の向こうに現れたのはマリアン、その人。
いるはずがない、ジューダスが一瞬混乱に陥いるのが目に見えた。
「マリアン…」
懐かしい面影に思わず呟くジューダス。
目の前のマリアンはだが優しい顔で、微笑んだまま
「あなたがいなければ、私はあんな目にあわずに済んだのに」
ありえないことを言った。
「リオン、偽者だよ、惑わされないで!」
「君が言えることなのかね?」
「!」
その隣に現れたのは…ヒューゴ。
なぜだろう。いるはずがないとわかっていながらもすぐには反目できなかった。
「知っていながら止めなかった。君さえ選択を誤らなければ世界は危機に…いや、「リオン」も死にはしなかったかもしれないのに」
それは本当。
後悔はしていない。なのに心のどこかで燻っていた。
もっと違う選択をしていたら、あるいは──
「君こそが世界の裏切り者ではないか」
「エミリオ、あなたがそうであるように」
「違う」
「違わない」
「違う」
自分のことはそれでもいい。
でもリオンは違う。
貫くべき道を貫いたから、例えそれがどんな選択であったにせよ胸を張っていられる。
自分に嘘はつかなかったから。
「シン
…」
「エミリオ、あなたのせいで私、酷い目にあったわ」
「!」
「エミリオ、可哀想な子。あなたの気持ちを知っていたけれど、私は同情の目でしかあなたを見られない」
『坊ちゃん、しっかりしてください!』
「わかっている、偽者だ」
だがどれほどの皮肉だろう。
彼らは嘘は言っていないのだ。
おそらく、人間の一番深い場所にある傷をついてくる。
それがわかっているからこそ、負けられはしなかった。
「消えろ!」
「心の弱さは罪なの?」
腕を振りぬくジューダス。
幻影は消え去り、声が、響いた。
「ミトス!?」
「誰もが強いわけじゃない。
誰もが疎まれることを耐えられるわけじゃないんだ」
「だからあなたも負けたって言うの?」
だがしかし、返事は無かった。
独白のように振り来る声は続いている。
「そうしてお前たちは過去を忘れていく。
どれだけの命が犠牲になったのかも忘れ、そのために苦しんだものの悲しみも失われる。
背負った罪は罰せられるべきだ。
罪には罰と裁きが必要なんだよ」
ガシャーン!
声が消えるとともに水晶が砕けた。
沈黙が辺りを包んでいる。
響いているのは二人の靴音だけ。
カツンカツン、と響くその音に耐えかねたかのように口を開いたのはジューダスだった。
「シン
、先ほどヒューゴが言っていたのはどういう意味だ」
「…」
世界の裏切り者。
そう、汚名を着るならば自分なのだ。
知っていながらダイクロフトを復活させてしまったのだから。
しかし「知っている」ことにどれほど意味があったのだろう。
今となってはわからない。
「リオン、私ね。ヒューゴさんがしようとしてること、知ってたんだ」
「…」
今度は沈黙するのはジューダスの番だった。
彼はシン
が続けるのを待っている。
だからシン
は先を続けた。
「リオンがどうするのかも、多分、知ってた。でも結局何も出来なかった」
「だが、お前は何かをしようとしていた、違うか?」
何か、その何かとは何だったのだろう。
今は何も考えたくは無かった。
「それを僕が邪魔したんだ。今ならわかる」
「…」
再び沈黙が落ちた。
だがしかし、それはシン
の命を慮ってのことだった。
シン
は知っている。
彼なりの思いやりは、今も首にかけたチェーンの先に留まっていた。
「誰も間違った選択なんかしていない」
「そうだな、お前も後悔はしていないのだろう?」
「してないよ」
ふっとこぼれるのは笑み。
一人では駄目だ。
二人だから強くなれる。
自分ではなく相手を思いやることで、自分の道を定めることも出来るのだ。
大丈夫、シン
は微苦笑をジューダスへと向けた。